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個人をどう取り締まれる?

今朝は、仕事へ出る前に、近所の小学校(が投票所になってる)に寄って投票した。昨日も書いたことだけれど、投票すること自体は、まぁ、簡単なことだ。ただ、お年寄りとか、障害のある人とか、あらゆる人にとって簡単かどうかというと、そうではないかもしれない。検討を続けて、微修正を加えてゆけるところは多いように思う。が、検討をしている気配は、全くないと言っていい。

何なんだろう、この国は、というのが正直な感想だ。

ところで、投票時の前日の23時59分で、選挙活動は止めなければならない、ということになっている。

SNSでも、その時間で終えなければならない、ということになってる。

しかし、たとえばTwitterを見ていると、「◯◯さんに投票してきました」と(Twitterで)言っている人は、けっこう見かける。前日までの"選挙活動"をリツイートしている人も見かける。

ぼくには、それを見て「違法行為だ!」と告発したいと思うところは全くない。支配層にとっては、いつかそれをするようになってほしいという気持ちがあるのかもしれない。そう思えば思うほど、やるまいと思う。

SNSには、私的な"つぶやき"から、公的な発言まで、幅広い領域が存在する。

それをどう線引きするのか。

個人をどう取り締まれると考えているか。

ウェブで検索したら、いろんな解説が出てくる。その多くは、「違法にはならないかもしれないが、違法とされる可能性がないわけではないので、しないほうが安全」といったもの、だ。

「◯◯さんに投票してきました」は、◯◯さんへの投票を進めるニュアンスがなかったらOK、という解説もある。というか、行政の説明がそういった逃げ道をつくった物言いをしているのだろう。

「◯◯さんに投票しました」と表明することが、◯◯さんへの投票を勧めない、ということがあるだろうか。だとしたら何のために表明するのだろうか。

それをどう見つけ、どう判断して、どう取り締まるのだろうか。

行政は、何であれ、責任をとりたくないらしい。

では、なぜそんな物言いをするか。つまり、国民同士で、市民同士で、住民同士で、監視し合え、ということではないか。

沖縄戦の繰り返しだ。この国の行政は何の反省もしていない。というか、東京やらジュニア東京やらででふん反り返ってる人らは、もう沖縄戦のことなんか忘れてるのかもしれない。忘れたまま、放っておけば彼らはまた、われわれに「殺し合え」というメッセージをわかりにくく送るだろう。

そうはゆかないぞ、と思う。

というか、この国の行政は、テレビは、国民に(市民に、住民に)選挙に積極的に参加してほしいと思っているだろうか?

(つづく)

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