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聴こえてきた声、新しいアイデア

ちょうど10年前の『アフリカ』vol.7(2009年7月号)の編集後記に、山下達郎さんと9人のミュージシャンたちのコンサートの話が出てくる。

大阪フェスティバル・ホールが取り壊され(建て替えられ)ることになり、その前の年末、そのホールに別れを言いに行った、その日は、山下達郎さんが久しぶり(6年ぶりくらいだったかな)にスタートしたコンサート・ツアーの1日だった。

達郎さんは、大阪フェスの取り壊しに表向きに異を唱えたひとりだった。その夜も、取り壊してしまう人たちをきつい口調で批判していたが、最後は、大阪フェスの"神様"に感謝のことばを口にした。──なんて、当時のぼくは書いている。

"場"のもつ力をもっと大事にすべきではないか?

達郎さんはよく、ホールのステージは、そこに立ったたくさんの音楽家たちの、そこで鳴らされてきた音の、"血"を吸ってる、という言い方をする。

文字通り「生きている」感じがするんだろう。

昨夜もそんな話をしていた。昨夜の舞台は、東京のNHKホール、ぼくはじつは昨日が(中に入るのは)初訪問だった。拍手が「降ってくる」のだそうだ。気持ちいいだろうなぁ。

先週、達郎さんは気管支炎の診断を受けて、生まれて初めて体調不良でコンサートを中止してしまった。歳のせいか? 「仕事をしながら治す」が困難だったという。昨日、今日のNHKホールも、無事に開催されるかどうか直前まで心配したが、すっごく声は出ているし(低い声も高い声も、ファルセットも)、むしろいつもより出ているような気がするくらいで、その"声"にもっていかれてしまう。

ぼくの場合、20代の頃は、山下達郎のコンサートのどこを観ているかというと、ひとりひとりのミュージシャンの演奏能力であったり、そのアンサンブルであったり、達郎さんのギターの音色にもうっとりしたりして。歌も、もちろん聴いていたはずなのだけれど(だいたいぼくは歌をやっていた癖に)。

最近、ようやく"歌"が、少し聴こえてきたような気がしてる。普段、レコードを聴いたりする時にも、似たようなことが感じられる。

達郎さんがコンサート活動を再開してから、もう11年もたった。その間はほとんど毎年のようにツアーをやっていたから、毎回観に行ったが、そろそろ"一区切り"が来ている様子(もちろんライブ活動も続けるだろうけど)。

昨夜は、「新しいアイデア」ということばが心に残った。ぼくは、ぼく自身の、次なる「新しいアイデア」に取り掛かっているからだ。

さ、またがんばろう。

(つづく)

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