見出し画像

プリンの味と子どもの心【アダルトチルドレン】

仕事、家事、日々の生活を送る中で、ときどきふとした瞬間に「生きるって大変だな」「苦しいな」と感じることってありませんか?

お客さんに「馬鹿野郎!」と暴言を吐かれたときや、挨拶をしても気づいてもらえなかったときや、自分の心の不安定さを計算外にだいぶ先の約束をしてしまって後悔したとき、などなど・・・いろんなタイミングで「生きづらさ」みたいなものを感じます。

私は甘いものもしょっぱいものも大好きですが、お菓子で一番好きなものと聞かれたら必ず「プリン!(固め)」と答えます。

味や食感についてだけ言うなら、実際それが本当にマイベストなのかは自信が持てない(それだけ世の中には美味しいものがありすぎる)のですが、いわゆる「思い出補正」の力もあって、私にとって一番嬉しいお菓子は「プリン」で間違いないのです。

色んな場所で色んな人に話していますが、「プリン」は母との思い出が詰まったお菓子です。

私が小学3~4年生(9~10歳)で母子家庭だった頃、母はまだ30代前半でした。(そう考えると現在の私よりも年下だ…!)

仕事で疲れて、帰ってきて寝てしまうことも多く、あまり母と会話したり何かのテレビを一緒に観たような記憶はありません。どこかに出かけた思い出も多くありません。

ただ、そんな中でも、母はときどきプリンを作ってくれました。

アルミでできたプリン容器は、底が動物の形に凹んでいて、たぶんカラメルソースを入れてプリンを作れば、その模様になるんだと思います。でも、母の作るプリンはカラメルソース抜きでした。

今となっては母自身も、当時のレシピは忘れてしまったようですが、私にとってはあの味が他のどのプリンよりもおいしくて、忘れられない味です。

あのプリンが食べたくて、「プリン」が食べられるカフェを片っ端から探しては、休日のたびに夫に連れていってもらったりしています。

夫と知り合う前も、一人でよくカフェ巡りをしては、あちこちのプリンを食べてきました。

最近は「純喫茶」ブームもあって、固めのプリンを出すお店も増えてきています。

それでも、なかなか「あのときのプリン」の味には出会えません。

実は昨年大晦日、実家に顔を出した際、「あのときのプリンのレシピ見つかったよ!」と、母と妹が当時と同じレシピでプリンを作ってくれたことがありました。

私は大喜びで食べたのですが・・・

本当のところ、「当時のレシピ」で作ってもらったそのプリンでさえ、「あのときのプリン」の味と同じだとは思えなかったのでした。

(もちろん、そんなことは口にはしませんでしたが・・・)

いろんなプリンを食べすぎて、思い出の味が薄れていったのかもしれません。それに、もともとよくあるプリンの味に過ぎなかったものを、私が強く「思い出補正」してしまって、実際とは違う「味」を覚えてしまっていた可能性もあります。

ただそのとき、「もう二度と、あのプリンは食べられないんだな」と、少し寂しくなったのでした。

***

好きな食べ物って、その人をあらわすような気がします。

「カレーライス」が好きな人は明るく社交的なイメージ、「パンケーキ」が好きな人は育ちが良くておしゃれ好きなイメージがあります。

その点、「プリンが好きです!」と言うと、「子どもっぽい」というイメージを持たれるのでは?と思っています。

最近よく「サザエさん」のアニメを観ているのですが、サザエさんに登場するカツオ、ワカメ、タラちゃんの3人も、おやつタイムによくプリンを食べています。

プリンは子どものおやつ、大人にとっては思い出の味、そんなイメージです。

だからこそ、「プリン」が他のどのお菓子よりも好きな自分は、まだまだ「子ども」を引きずっているなと、どうしても思わざるを得ません。

先日、職場の若い女の子と話していたとき、年齢を教え合いました。

ビンテージ古着の似合う長身のおしゃれさんで愛想が良く、とっても可愛い女の子。聞くと年齢はなんと19歳ということでした。

自分の好きなおしゃれを思う存分楽しんでいる様子から、若いんだろうなと予想はしていたものの、まさかの十代に恐れおののきました。

34歳、非正規雇用で働く身では、職場で知り合う方々が自分よりも「年下」であることも、もう珍しくなくなってきました。

童顔・低身長であることから、数年前までは20代の子たちと同じように扱ってもらえる場面もありました。

が、だんだんとそういうことも減ってきましたし、既婚者であることも相まって、「いい歳をした大人」という自覚が私の中に芽生えてきました。

「可愛く見られたい!」「ちやほやされたい!」という気持ちは脇に置いておき、むしろ私こそが自分以外の若い人たちを可愛がったり、助けたり、ちやほやする立場に今はあるのです。

***

「大人にならなくちゃ」
「いつまでも子どもではいられない」
「しっかりしないと」
「もう若くはないんだから」

そう自分に言い聞かせながらも、心の中にいつまでもいる「プリンが大好きな自分」に目を向けるとき、抑えていた涙が溢れて、こぼれ落ちそうになります。

まだまだ子どもでいたい。大人になりきれない。
子どもっぽい自分でも許される場所があってほしい。
子どもっぽい顔を見せられる人が一人でもいてほしい。

あと何年、こんな自分でいることを許されるんだろう?と思うとき、心が、喉の奥がぎゅっと締め付けられて苦しくなるんです。


私の中の「子ども」は、ちゃんと大人になれるんだろうか。
本当の年齢に追いついてくれる日がいつか来るんだろうか。

あと何回、枯葉が落ちるのを見れば・・・


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?