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ハリボテのトロフィー

全国で一位!

今までの人生で、こんな風に頑張りが認められて表彰されて、周りの大勢の人や会ったことがない人からも喜んでもらえたのは初めてで、ものすごく嬉しい経験だった。

幼少期に祖母から習っていやいやながら頑張っていた民謡ですら、ライバルの子に勝てなくて、常に二番手だった。

他人に認められるために愛想よく振舞ったり、部活の練習をサボらずやったり、仕事を早く覚えたり他人の仕事を手伝ったりしていたら、「頑張り屋だね」「勉強熱心だね」と褒めてもらえることはあったけど。

こんなに明確に、大々的に、っていうのは初めてで。

自分でもこの半年間、これだけのためと言っても過言じゃないくらい一生懸命時間もエネルギーも費やした自負があるからこそ、とにかく嬉しかった。

この成果は、100%自分の頑張りのおかげだ!!

って、本当は声を大にして言いたいくらいだし、あんなこと頑張った!こんな風に乗り越えた!みたいな、自分の努力について事細かに誰かに話して聞いてほしくて、その気持ちを必死に抑えてたほど。



でも実際はそうじゃなくて。

私がどうしても叶えたかったその目標を達成するために、遠慮なくそれに向けて準備をさせてくれたり、集中できる環境を作ってくれた周りの方の理解と支えがあったからこそだとわかってる。

そして、私が練りに練ったものについて、一生懸命考えてくれて、より良い物を作るために私と同じ(もしかしたらそれ以上に)頭を悩ませて時間を使ってくれた、同志の人たちのおかげでもある。

絶対に、私一人では無理だったと言い切れる。

だからこそ、その成果に行きつくまでの過程で、常にそれを言葉や態度で表してきたつもりだった。

直接お礼も伝えたし、それだけじゃなく、この半年間、とにかく「感じのいい人」「応援したくなる人」であるように努力した。

いつも笑顔で、自分から挨拶もして、常にポジティブに物事をとらえて、他人や自分の置かれた状況を決して悪く言わない。

思い通りの成果を出せたとしても、「なんであの人が?」って陰で言われるような自分になりたくなかった。それに、成果を出せなかったときに、「やっぱりね」「あの人じゃ無理だよね」って言われる未来もいやだった。

絶対に成果を出すこと、そしてそれを一人でも多くの人に喜んでもらえる、人望のある自分になるために、半年間頑張ってきた。



それで、成果を出せた。表彰状やトロフィーももらった。

色んな人から「おめでとうございます」「すごいですね」「誇りだよ!」って声をかけられたりして、まるで有名人にでもなったかのような気持ちになった。

そのことで顔も名前も知られたせいで、「余計悪い事(感じが悪い人と思われそうな言動)できないや…」って神経質になったくらい。



それまでとは、自分を取り巻く世界がかなり変わったような気がした。

色んな人から頑張りを認めてもらえて、こんなに一緒に喜んでくれる人達に囲まれて、なんて幸せなんだろう・・・

言葉のレパートリーが少なすぎて申し訳ないけど・・・
本当に、この夢をかなえるために協力してくれた方々全員にたいして、感謝の気持ちでいっぱいだった。



そして今回、その成果をお祝いするという名目で、今までにない参加人数(所属部署の参加率めちゃ高い)での飲み会が開催された。

この日がすごく楽しみだった。

それまでに、全国大会の出張先で買ったお土産を渡しつつ、個別で一言お礼を伝えることはしてたけど、ちゃんとみんなにお礼を言うのにはこれが絶好の機会だと思ってたから。



でも・・・

4月に入ってからだったか、だんだん自分のなかで疲れがたまって限界に達してしまった。

周りからの見られ方をずっと気にし続けた半年間で、成果を出して名前も顔も知られるようになってからは、余計周りの目線や話し声に過敏になって、もともとの神経質さに拍車がかかってたんだと思う。

今回のことがきっかけで距離が縮まった人もいたけど、広く浅くと言えど、生身の人でしかも大人数と関わることってあんまりなかったから、距離感とか色んなバランスが全然わからなくて毎日悩んでた。

そうしてるうちに、休憩時間とか、仕事が終わって家に帰ってからとか休みの日とかは、そういう人間関係もひっくるめて、全部「オフ」にしたい衝動に駆られた。

20代のことは全くストレスを感じてなくて、むしろ人より好きな方だったはずのSNS(LINEとか)すら、めちゃくちゃ億劫になってしまった。

誤解されないように言うと、「面倒くさい」わけじゃなくて、「相手のリアクションが怖い」のが原因で、ラリーが続けば続くほど、「どんな返事がくるんだろう」「どう思われてるんだろう」って考えすぎてしまって、そのやりとりが私にとってすごく強い刺激になっていたというか・・・

そういうことにも過敏になっていたから、そういう刺激や不安から逃げたくて、返事をするのが遅くなったりそもそも返事しなかったり、読むことすらしなかったり・・・とにかく避けてた。



いったん「感じのいい人」と思われてしまったら、四六時中何があっても、ずっと「感じのいい人」でいなくちゃいけないって自分をがんじがらめにしてて。

そうでいられない、余裕がない疲れた自分に気づいたときは、人前に姿をさらしたくなくてコソコソしたり。

外(職場)にいるときはとにかく、全力で「感じのいい人」らしく振舞ってたから、心も体もめちゃくちゃ疲れて、帰宅したらほんっとうに何も考えたくない、何もしたくない無気力状態。

日中は、「あ、こういうことnoteで書きたいなぁ」「私のこと気にしてくれてる人いるのかな」とかあれこれ考えたりもするけど、一日のエネルギー使い果たして帰ってきたら、もうそれも全部できなくなってて。



他人の前で100点の自分でいようとしすぎた弊害が、思った以上に大きかった。



最近はその疲れがMAXに達して、「明日仕事行きたくない(職場の人に会いたくない)」って気持ちから、朝を迎えるのを先延ばしにしたくて、夜寝る時間がどんどん遅くなって、当たり前だけど次の日は寝不足に・・・

睡眠が足りてないと、いつも以上に神経質になって、被害妄想もはかどりまくって、ちょっとした笑い声や話し声、ネガティブ話題をどんどんキャッチしてしまって、誰かの目線も声も全部自分に向けられた攻撃みたいに捉えてしまったり。

そういう悪循環が続いた。

そういうピリピリした自分の気持ちを吐き出せる場はどこにもなくて、誰にも八つ当たりもしたくなくて、夜早く寝れば良かったのかもしれないけど、それもできなくて、とにかく、「人を避ける」以外に選択肢を思いつけなかった。



その結果が、今回の飲み会にあらわれてたと思う。

「全国一位を取った主役」だからってことで、5~6卓くらいのテーブルが横並びにならんだ中の真ん中の席に、ぽつんと座らされた。

普段仲よくしていた人達は、私とは距離を置いて別のテーブルに。(ちなみに仕事終わりにそのまま居酒屋集合だったけど、その移動も「一緒に行こう」なんて声をかけられることもなく・・・)

あとから続々人が集まってきたけど、私のそばを好んで座ってくれた人も1~2人を除いて、あとは私のテーブルを避けるようにして、両サイドから順に席が埋まっていった。

飲み会の初めに「一言」を求められて、そのときにも、今回のことにたいするみんなへの感謝を伝えた。みんなの支えなくしてできなかったことだったと心から思うし、喜んでもらえて嬉しいってことを言いたくて、緊張して言葉足らずだったけど、大きい声で。


飲み会のときの立ち回り方が下手というか、ここの頑張りが私は全然足りてないといつも思う。

自分からテーブルを移動して、色んな人と話そうって努力をしない。

「私が割り込んでいったら迷惑だ」「喜ばれるわけない」って思いこんで、自分から積極的に人に近づけない。

とか言いながら、これがお礼をちゃんと伝える絶好の機会だって思ってたはずだし、本当は↑みたいな懸念を押しのけてでも、ちゃんとそれをやり切るべきだったんだろうけど・・・

結局動かず、最初のテーブルで、最初から座っていたメンバーと、ひたすらおしゃべり。

でもその間も頭の中はうわの空で、虚しさばっかり感じてた。



一位を取れたのは、電話応対のコンテストだった。

相手の話をよく聴いて、何を求めているのかや、どんな提案をほしがっているのかとか、相手の気持ちを「声」の情報だけで想像してくみ取って、相手に合わせた提案をする。

つまり、「顔の見えない相手とのコミュニケーション」で評価してもらえたということ。



なのに・・・

実際の、生身の、身近な人とのコミュニケーションではこんな有様で、相手の気持ちが想像できても、自分から行動を起こすこともせず、消極的になるばかりで、自分を偽ったり良く見せることにばかり気を取られてて、どうしようもなく薄っぺらい関係しか築けない。

そんな自分が情けなくて恥ずかしくて、「こんなのが一位・・・」って、自分で馬鹿馬鹿しく思えてきて。

もらったトロフィーをゴミ箱にそっと捨てたくなるくらい、なんだか虚しく感じてしまった。


一生懸命頑張ってきたのは何のためだったんだろう?

自分の見栄のため?負けず嫌いな性分を満足させるためなのか。

家族に「誇り」に思ってもらいたかったからなのか。

周りの人に頑張りを認めてもらって、好きになってほしかったからなのか。


応援される、愛される人になってみたかったし、頑張ればそうなれる気がしてた。でも実際はその逆で、私の行動が原因で、どんどん周りから人を遠ざけてしまってたんだと気づいた。


悪いのは全部自分。

間違った行動を選び続けた結果、今一人でぽつんとトロフィー持って、キョロキョロしながら、作った笑顔を浮かべてる。

何か得たように見えて、中身は空っぽの自分。

むしろ、最初よりも何かが減ったかもしれない。



私はどうすればよかったんだろう?

今後悔してもどうしようもないけど・・・


頑張れば頑張るほど、もともと苦手な人付き合いがさらにしんどくなる。
でも、頑張らない自分が他人から愛されるとは思えない。
愛されていない、嫌われ者の自分で堂々とできない。

「頑張りすぎ」がわからない。

さぼったり、愛想悪くしたり、愚痴や悪口を言ったり、人の好き嫌いをオープンにしたり・・・?


もっとそういう、嘘のない自分として振る舞うべきなのか。

もう何がなんだかわからない。


嫌われたり避けられたりするくらいなら、人と仲良くなりたくなかった。

って、こんな思考めちゃめちゃ子どもっぽいですね・・・(苦笑)

嫌われたのも、人が自分から離れていったのも、全部自分のせい。私を嫌うのも、私から離れていくのも、全部相手の自由。そうしたいって思わせたのは私が期待に応えられなかったからに過ぎない。


「こんな私が・・・」「私なんかが・・・」

あんまり口にするのはよくない言葉だけど、本当にそう思ってしまう。


今日の会でも、もれなく被害妄想膨らませて、アルコール飲んでも頭の中はず~っとシラフで、考えごとしてばっかりだった。

どれだけ一生懸命相手に合わせて、人の話を聞いたりしても、たぶんなんか嘘くさいって思われてるんだろうなぁ。

私が本心で話して、相手に興味や好感を持っていても、大げさに表現しようとすればするほど「嘘」「芝居」ととらえられる。陰で笑われる。かといって、伝わりづらい表現をするのもリスクがあって怖いと思う。

「もう嫌だ」「逃げたい」「消えたい」って思うくらい、自分の中ではいつも、一生懸命に人に接してる”つもり”。でも、結果はいつも伴わない。



すみません。

今に始まったことじゃないけど、今回は特に、まっったく話がまとまりませんでした。落としどころ見つからず・・・



自分の努力の方向性が間違ってたこと、頑張るべきところで逃げてたのが悪かったこと、今嘆いても仕方ないことだらけ。

でも、どうしても、こんな気持ちで中身空っぽのトロフィー持ち帰ってきて、一人で考え事しながら酔い冷ましてる眠れないこの時間つらくて、リアルタイムでは無理でも誰かに話聞いてほしくて、久しぶりにノートPC開いて書きました。

ほんとうにほんとうに寂しい。

何をどうやって頑張ればいいのか、もっとちゃんと考えていかなきゃ。

こんなんで、もうじき35歳。トホホ



最後まで読んでいただき、ありがとうございました( ;∀;)

次こそは、何か明るい話ができますように!🍮

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