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「桜が雨で散っちゃいそうですね。」って言う人。

桜がちょうど満開を迎えようとしていた昨日、大雨が降った。
雨が明けて、今日は曇り、せっかくきれいに咲いた桜たちが、見事に足元に散らばっている。
散らばった花びらたちを見ながら、いつの日か、誰かが私に言った言葉を思い出す。

「桜が雨で散っちゃいそうですね。」


確か、仕事で出会ったとあるお客さんだったと思う。名前も思い出せないくらい、数回しか会ったことなかったし、あくまで仕事上の関係の人だった。
けれど、その人が放った一言は、私にとって、とてもインパクトのあるものだった。
きっとその彼は、毎年くる季節の訪れを、桜という花で感じとることのできる風情のある人で、その花が散ってしまうかもしれないと外で降っている雨を見て、その行く末を案ずることのできる余裕のある人で、そう心の中にふと沸き出てきた感情を、見ず知らずの私に素直に言葉で伝えることのできる人だった。

そんな彼を、素敵で、うらやましく思った。


幼いころ、桜が咲いて、お花見をしたことは何度かあった。けれど私が興味があったのは、桜よりもそこで食べるおいしいお弁当で、色とりどり並べられたおかずの数々に、桜が咲いていることなどそっちのけで、夢中で食らいついていた。まさに「花より団子」な女の子だった。

大人になった今、私が春の訪れを感じるのは、桜の開花という出来事ではない。寒い冬、日々の食事のために、作り置きしておいたスープを、めんどくさいので、鍋に入れたまま、数日間なくなるまで私は放置する。
仕事で外に出ていて、エアコンがほとんど機能していない我が家では、鍋をそのまま放置しておいていても、部屋自体が冷蔵庫の役割を果たしてくれる。
けれど、だんだんと気温が上がってくるこの季節、放置したスープを3日目くらいに飲んだときに、それが異様に「酸っぱい」ことに気づく。
そして私は感じるのだ。「あぁ、春が来た。」と。
私は毎年、「スープが酸っぱい。」そう感じる出来事によって春の訪れを感じている。

もしも、「あぁ、桜が咲いている。」と桜を見て、立ち止まって、しみじみとその桜がかわいらしいと「いとをかし。」そう呟いて、春の訪れを感じることができるとするならば

もしも、急に強く降り出した雨をみて、「桜が雨で散っちゃいそうですね。」少し悲しい表情を浮かべながら、そう呟いて、春の訪れに哀愁を漂わせることができるとするならば


私の人生は、もっと違う価値観で、もっと違う設定で、新しい何かと、新しい誰かと出会うことができるのだろうか。


桜がちょうど満開を迎えようとしていた昨日、大雨が降った。


「桜が雨で散っちゃいそうですね。」


なぜか、それを誰かに言いたくてしかたがなくて、職場の同僚に出社するやいなやその言葉を告げた。どう考えても口にしなさそうな言葉を発した私をみて少し動揺していたけれど、私は満足感に浸った。
「私は、春の訪れを知らせる桜の行く末を案じることができている。」と。
作為的にその言葉を口にすることは、いささか間違っているのかもしれない気がしたけれど、「言霊」という言葉を信じて、口に出してみた。

雨が明けて、今日は曇り、せっかくきれいに咲いた桜たちが、見事に足元に散らばっている。

どう考えてもその花びら一つ一つを避けて歩くことは不可能だったので、散った花びらの上を踏みしめて歩きながら思う。


彼は今年も、桜満開目前で降った雨を見て、その言葉を呟いただろうかと。

私はきっと「桜が雨で散っちゃいそうですね。」って言う人が好きなんだと思う。
私には心からその言葉を発することができないから。



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