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夏休み一か月バイト…と将来 つぶやき

夏休みの一か月を使って富士山の近くの山の中でガラスに関係するアルバイトをしている。
なんだかとてものどかなところで、住み心地はすごくいい。
電波が悪いのだけが難点だけれど、なんだか健康になれそうな生活をお送っている。
卒業制作のための課題、100枚ドローイングのノルマもこなしながらではあるけれど、普段の学校生活と比べると全然余裕がある。

あと、なぜかここにいると自分ができる人間だったかのような錯覚に陥る。
来る前は学校で一番できないのって自分なんじゃないかと思っていたし、実際意欲的に頑張っている周りの人に比べて、技術も意欲もないような振る舞いで過ごしてきた。

でも、ここで働いていると、専門的な知識をもっている人ばかりでもないし、当たり前に私にわかる知識だけでも関心されてしまう。

結局、評価って相対的なものなのかな。なんて思ってしまう。社会人してた経験も、今までのバイトでの経験も活かされて、簡単に適応できている気がするし、別に優秀なわけでもないけれど周りがやさしく接してくれて、自分ができる人間になったみたいだ。

これって昔働いていた時と一緒で、井の中の蛙に近づいてる…?なんて思う。

そう考えると、少し辛くても、辛いくらいの環境で頑張った方が成長できるしいいんじゃないかなって思う。
今お付き合いしている人もびっくりするくらい仕事を長時間、頑張ってるし、なんか、彼もこんな美学があってやってたりするんじゃないかって少し思ってしまった。本人は全然スローライフしたいっていうけれど、そんなに頑張れるのって普通じゃないよなーといつも思う。なにか理由があるんじゃないかな。

私は私で、頑張りが、もう少し結果に直結するように頑張ろうかなと思う。
進路のこともそうだけれど、やっぱり生きていくにはお金も必要だから、商業の知識も活かしてなにかできないかなといつも考えている。

お金がなくてもやりたいことができて幸せ、とか、お金がないと幸せになれないわけじゃないとか、追い求めていくべき美術の世界と資本主義は相性が悪いこととか、わかるけれど、ガラスもやりながら、私はお金も手に入れて、身近な人を幸せにしたいなぁ。

お金がないことで不幸に感じてしまうことはあると思うから、不自由しないだけちゃんと稼いでもいけるようになりたい。

こんなことしててこれから先どうしようという気持ちで、全然身が入らなかった学業だったけれど、ここで働いてみて、技術があれば意外と生きていく道はあるんじゃないかな。買ってくれるひととか興味を持ってくれる人って意外といるんじゃないかなと思えた。これはすごい収穫だ。

自分に自信を持てる。目の前のことを頑張ろうと思える。
そろそろ先も見据えて行動しなきゃいけないけれど、なんか大丈夫なんじゃないかって気がしてきた。恋人も幸せにしたいし、なにか…。

実は私は勝手に結婚したいなーって思っちゃうくらい居心地がよくていい人だなって感じているんだ。
でも、相手はすごくちゃんと会社で激務でも頑張っている人だし、私はちゃんと世間に顔向けできるくらいにならないととてもご挨拶もできないなっ。数年ごときじゃどうにもならないかもなってちょっぴりあきらめムードだ。
何年も頑張ってやっと首の皮つながるようなことを私はしてるんじゃないかなって思う。相手は多分他の人とも幸せになれるだろうから、はやく手を離した方がいいかもってずっと思っているのだけれど、まだ一緒にいてくれてるみたいだから、その間になんとかできればいいな。

だめでもいいんだ。それはそれなんだ。
ついつい普通に働くんでもいいや、土日休みの仕事にすれば休みも合うし、お金にも困らないし、相手も安心だろうし、それでも幸せだろうなー

ガラスをやってたら、辛いし、難しいし、土日も休めないから会えなくなるかもしれないしって思ってすごく迷って、私はそれでもガラスがやりたいのかなって迷っていたけれど、
ここにきたら意外とガラス好きなままなのかもしれないって思える。
むしろあまり触らせてくれないから、その距離感がよかったのかもしれない。制限されると触りたくなってくる。

もう、やるしかないよなぁ。

普通に働くこと望まれてもいないし。合わせるわけにもいかない感じだ。
だってせっかくここまできたんだもんね。

奮い立たせてもう少し頑張ろう。

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