田中長徳

神様のおつかい🐥9/19🐥

錦市場をひやかして表通りに戻ろうとしたら、チュンがお供えのお米を食べていた。これは食物連鎖と言う意味では無いかもしれないが、私の母親などは昔の人であるからひとつぶのお米も無駄にしない。流しの上に残った洗いざらしの米をまとめてそれを雀にあげたりするのである。そういうのは普通の生活の知恵であった。

もっとみる

リハビリ🐥9/18🐥

京都駅から祇園を目指して歩いているといきなりこの光景に出くわした。ポルノ映画館を先に見つけたのだが、よく見るとデイサービスセンターの一角にあるではないか。これもリハビリの一環なのか。デイサービスセンターとセットになっているというのがこの場合の想像力としては正しいと思う。そこが非常に面白い。人間は年代を重ねるとだんだん歩行が困難になってくるものである。例えばウィリアムクラインは15年にいちどのサイク

もっとみる

天使突抜🐥9/17🐥

38年前にアサヒカメラの京都の撮影で出かけた時に出会ったのが五條大橋から少しに西に行ったところにある、天使突抜町であった。旧約聖書に出てきそうなパスオーバーの意味を持って神の怒りが通り過ぎると言う文字面を見てかなりびっくりした。当時何かの対談で赤瀬川さんと話をしているときに、赤瀬川さんもこの不思議な街の名前が前から気になっていたと言うので話題が盛り上がった。

もっとみる

種田山頭火は新聞休刊日についていろいろ書いているのが面白い。インターネット休肝日がないのが現代の不幸である。🐦🐥😎9/13🐥家人誕生日

種田山頭火が好きで彼の日記などは全部読んでいるが、面白いのは彼が生きた時代と言うのは新聞紙が唯一の世界との連絡手段であったことだ。時代とは言いながら真面目な日本国民であった種田山頭火は天皇陛下万歳を唱えて日本帝国主義の体制がますます栄えるようにと祈り続けている。こういうインテリジェンスな人でもこの有様だから現代の我々の置かれている状況に自分たちが気がつかないのは当然であろう。

もっとみる

ズミルックス21ミリf 1.4レンズのピントの合う範囲🐥9/10🐥

都会の風景を撮影するときに、21ミリレンズと言うのは私の最も重要な視神経である。高校生の頃は28ミリを使っていて日大の写真学科に入学した年の4月に21ミリレンズを買ったのであった。確か定価が30,000円以上した非常に高いレンズであった。それをニコンエフにつけるのだが、当時は21ミリレンズと言うのはまだレトロフォーカスで作ることができなくてカメラのミラーをアップしてそこにレンズを突っ込むのである。

もっとみる

京都から帰って、はてなの茶碗ならぬ、はてなのレンズをゲット🐥9/9🐥

またやってしまいました、とかくとレンズ交換マウント1000日回峰行大阿闍梨伊藤さんを思い出してしまうな。私はレンズはほとんど買いませんよ。3泊4日の撮影でホビージャパンの人気のムックカメラホリックの松下さんと落語の話をした。私は人形町末広に行ったことがある人間である。松下さんのおじいさまが落語好きで古今亭今輔のごひいきであったそうだ。

もっとみる

写真家としてのアルチュールランボーはPhotoshopを知らなかったので教えてあげた。というお話🐥9/7🐥

フランス象徴波の詩人アルチュールランボーは、実は優れた写真家でもあると言うことがこの間ブックスキャンの古いファイルを見ていて気がついた。フランスを命からがら逃げ出してアビシニアに行ったアルチュールランボーは写真に興味を持って田舎の母親のところに預けてあったお金で、当時最新のシステムであったカメラと現像用品を送ってもらったのである。当時のお金で2000フランしたと言うからこれは大金であった。

もっとみる

30年ぶりに日本橋三越の本店に行ったら大食堂のことを思い出した。幼児の頃に大食堂で味わった最初の体験はおこさまらんちではなくて、いっぱいのコーヒーであったことを思い出した🐥NEW9/8🐥

この間川越の丸広百貨店でおこさまらんちを食べた。そのオリジナルは日本橋三越本店なのだそうである。お子様洋食と言ったそうだ。子供向きの食事と言う意味ではオーストリアのウィーンには子供用Shinitzelというのがある。地元の名物であって本来は牛肉を使うのだが街中では豚肉を使っている。子供用のそれは単にサイズが小さいだけである。何のアイディアもないが三越のおこさまらんちはその点で子供に忖度しているのが

もっとみる

新幹線のインシデント🐥9/6🐥

先週の金曜日の午後に新幹線でホビージャパンの仕事で京都に行ったのである。クルーと打ち合わせをして15時20分の出発なので、15時に待ち合わせをした。新幹線の待ち合わせ場所に関してはいつも苦い経験がある。要するに自分の思い込みで場所を設定してしまうのである。

もっとみる

ヨセフクーデルカが使っていたExaktaのモデルがほぼ特定できた🐥9/5🐥

プラハの春の8月にソ連軍のタンクがプラハに侵入してきたときにたくさんの写真家がその歴史を記録している。ヨセフクーデルカもその1人だった。プラハの春を記録した立派な写真集があって、私の長い友人のPavel Vachaもその現場にいて写真集にクーデルカと一緒に名前を連ねている。

もっとみる