「やりたい」と「やらなきゃ」では雲泥の差がある。
相手に対して十二分に理解してもらいたいと心を込めて説明に力を注ぐのと、相手に触れられたくない(できれば静かに通過したい)と現断面だけの話し手都合による必要最小限の内容に留めようとするのとでは、その理解も印象も雲泥の差の結果となる。敢えてこう表現したい。前者を山本式、後者を岸田式。
【嘘のつける女は嫁に行き嘘のつけない私は売れ残りどころか廃棄処分嫌われ者の不要品人間扱いで追い出された挙句現在本当に家がないから知り合い宅で家政婦として寝る場所だけを確保したが家は事件現場状態の惨状のごみ屋敷にはものが溢れかえり埃や蜘蛛の巣とタバコの煙りの臭い中で生きる女です♪】
何か対価が欲しくて打算的な行動をするのと、純粋に自分が相手に何かしたくてするのって、紙一重だけど雲泥の差だなと思う。対価目当てだと、思惑が外れたときに傷ついたり怒ったりするんですよね。でも完全に対価を期待しないって難しい。うーむ。例えばnoteの投稿も。あゝ矛盾。