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NHK「100分de名著」ブックス サルトル 実存主義とは何か: 希望と自由の哲学[part2][感想,批評,レビュー,あらすじ]

弱者の連帯とまなざし

 労働者が連帯するのは、ブルジョア(資本家、支配者階級)からのまなざしが原因である。被抑圧階級である労働者は、生活水準の低さや、労働環境の悪さが原因で雇い主に反抗を始めるわけではない。雇い主からのまなざしに羞恥を感じ、連帯するようになる

疎外論

 マルクス主義の疎外論では、労働者が労働により生産した生産物は、雇用主によって奪われ、利益は作った人間に還元されない。支配者階級には搾取されるということである。労働は人間を疎外-他有化するものであると考えること

労働のヒューマニズム

 サルトルは労働という行為の中に、自由の可能性を読み取ろうとする。労働する人間がものに対するイメージをまず持ち、材料に働きかけてつくっていく。それが作る人間の自由であり、生産性の自由となる。これを労働のヒューマニズムという


記事作成者の感想

 労働者たる人間は単なる部品とも捉えられる。私自身も社会に巻き込まれるように働き始め、摂取されていると感じるときもある。私が提供した労働力というのは、金額という数字になり企業の経営者や、役員の懐を温めている。愉快ではないが、生活のために仕方ない。労働者とは単なる部品である。それが嫌ならば人を使う人間になればいいということだが、簡単にその答えに飛びつくわけにはいかないだろう
 実存主義では、人間は人間の形を持って生まれ、経験が後から積み重なり人間となる、と主張がされていると私は解釈している。学校という教育システムが生み出すのは労働者である。資本主義が作りたいのは労働者であり、学校でうまく過ごせた人間は会社にも適応できる。資本主義のシステムはよくできているものだと思うが、それと同時に部品を製造しているとも解釈でき、いいように扱われているとも捉えられる
 記事part1で取り上げた「嘔吐」の視線のシーンは、権力を持った人間も、弱者たる人間も実質的な中身としては変わらない、つまり、そのシーンで小説の主役、ロカンタンは本質を見たということだろう。サルトルは、プラトンの洞窟の比喩と似たようなことが言いたいのであろう
 労働者という立場に甘んじていればずっと搾取されるのみである。実存主義に従えば、偶然にもこの世に表れた自分の価値を決めるのは自分であるのだから、他者のまなざしに臆することなく、自分の価値を決めていきたいものである



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