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子供のいじめ自殺と大人の責任

 少し前に、小中高生の自殺者数が高水準(500人を超えている)というニュース記事を読んだ。

 私はいじめ自殺の問題にはわりと精通している方だと思っている。実際に中学時代にいじめを受けて不登校を経験した。自殺未遂をした経験もある。

 言うまでもなく、子供のいじめ自殺は重大な問題だ。警察が本腰を入れて動き出さないのを不思議に思っている。ネズミ捕りをしている暇があるのなら、いじめの頻発している学校をパトロールして欲しい。国民はきっとそういう税金の使い方を望んでいる。

 子供は純真無垢である。
 生まれた時から自分のことが嫌いな子供など存在しない。
 だが、多くの子供は大人になるにつれて自分のことを少しずつ嫌いになっていく。小学校から中学校、そして高校と上がっていくにつれて、
 
 「お前は運動音痴だよな」
 「俺の方が勉強ができる」

 という具合に、周囲の攻撃がはじまるのである。
 そして子供は少しずつ自分に自信を失っていく。
 そんな時、子供を励ませる大人の存在が必要だ。
 昨今は・・・と言っても私は昭和の時代は知らないが、子供を励ませる大人が少ないように感じる。
 これは切実な問題だ。

 私のエピソードを話そう。
 中学2年生の頃、主に容姿のことでクラスメイトに心ない言葉を吐かれて自信を喪失していた私は、地元の大型書店でとある本を偶然、手に取った。

 「自分の顔を鏡で見てみろ。いい顔をしているぞ」

 その本にはそう書いてあった。
 更に、同じ筆者の別の本には、

 「ナルシシストは素晴らしい」
 「男が自分が嫌いでは話にならない」

 と書いてあった。
 私は衝撃を受けた。「もっと自分に自信を持ってもいいんだ」と思えた。そして、中学校での遅れを取り戻すべく、私は高校では勉強に部活、すべてを頑張った。

 人が人生を輝かしいものにするためには(良い意味での)青天の霹靂が必要だ。特に子供は、自分を励ましてくれる大人と出会えるか否かで、その後の人生が大きく変わってしまう。

 社会問題化している引きこもりやニートの子供は、それまでの人生で周囲に攻撃を受けたか、なんらかの挫折を経験して、そこから立ち直れずにいると相場が決まっている。自分を信じられなくなっているのである。

 子供を励ましてあげるのが大人の重要な役割であるのに、時代の流れなのか、「自分が介入することで面倒事に巻き込まれるのは御免だ」という情けない大人が増えた(と私は思っている)。

 人生の大先輩として、心が折れてしまった子供を目の前にして知らんぷりするのは、あまりにも無責任だ。なにより子供が不憫でならない。
 ニュース記事になった自殺した子供たちの命は決して戻ってこない。繰り返しになるが、その責任の一端は我々大人たちにある。