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コロナ問題にみる、自由民主主義と有事対応の相克

本稿記載の情報は2020年3月30日正午時点のものです。
お読みの時期によっては、古い情報となっている可能性にご留意下さい。
先に本稿の結論を申し上げておくと、下記の通りである。

政治家・メディア・国民など全てのアクターが平時から自由民主主義と向き合うことが、円滑な有事体制の構築につながる。
①与党の法秩序に対する姿勢は、国民の信用を損ねる不誠実なものである
②与党を追求する主要野党も、与党との行き過ぎた対決一辺倒により国民の信用を失っている状態である
③国民自身も、与野党の主張を色眼鏡で見ることなく、冷静かつ中立的な姿勢で与野党を監視していくべきである。

今年に入ってから急速に拡大してきた新型コロナウイルス(COVID-19)が猛威を奮っている。当初中国国内で拡大したコロナウイルスは欧州に飛び火したのち米国でも2000人超(3/30時点)の死者を出しており、ドイツのメルケル首相が「第二次世界大戦以来の試練である」と表現するなど、各国政府の危機対応力が問われる局面となっている。

日本でも3月13日に新型インフルエンザ等対策特別措置法をコロナウイルスにも適応できるよう改正するなどして、急ピッチで今回の有事に対応しうる法整備が進められきた。

発令できない外出禁止令

しかし、現状の日本の法体系では欧州各国で展開されているような罰則付きの外出禁止令は発令出来ない。前述の改正特措法では新たに「緊急事態宣言」に関する規定が盛り込まれ、内閣総理大臣が区域や期間を指定して緊急事態を宣言することができる。この宣言を受けて、各都道府県知事は学校等の施設使用制限や病院開設等のための土地使用を行うことができる。
しかし、市民の外出についてはあくまで外出自粛要請を発するにとどまり、警察権力を使って強制的に自宅待機を命じたり、外出した人間に罰則を付すことが出来ない。
つまり、現状(3/30時点)東京都の小池知事が出している自粛要請以上の行動制限は今後とも行うことが出来ないのである。

憲法で縛られている私権制限

なぜ緊急事態にもかかわらず首長が市民の行動をコントロールできないのか、という疑問が湧くところだが、これは70年以上も前に成立した日本国憲法と密接に関わっている。
まず現行憲法では、緊急事態に伴う政府の私権制限に関する規定が存在していない。先の大戦で政府が国民の人権を著しく軽視したという反省から戦後日本では私権制限に対するアレルギーが強く残っており、いかに戦争を再び起こさないか、という観点から緊急時の私権制限が盛り込まれなかったのである。
これは今まさに有事に置かれている我々からすれば不都合に見える。実際に政府による強権的な統制でコロナウイルスの拡大を阻止して欲しいと望む声も多く聞かれる。

私権制限は政府の暴走を招く

一方で、私権制限が政府の暴走を招いた例は歴史上枚挙にいとまがない。1789年に始まったフランス革命では「自由と平等」を掲げて市民が絶対王政の破壊を目指したが、当時の政権は有事であることを理由に市民の理解を取り付けて裁判の簡略化等を図り、数々の無罪人を死刑に追い込んだ。その後社会がある程度平定されてからも、革命の指導者たちは自らの権益を手放したくない思いから有事体制を続行し、不当な私権制限が続いた。
このように、有事における私権制限が事態を収束させるために必要な一方、慎重なプロセスを踏まなければ時の為政者の思うがままに国を動かすことが可能になってしまい、取り返しのつかない過ちを犯す危険をはらんでいるのも事実である。

日本における憲法論議はどうだったか

さて、このような有事を想定して安倍政権では、憲法改正による緊急事態条項の追加を画策してきた。国際社会の要請に基づく集団的自衛権の行使や緊急事態の法整備は、リアリズムに基づく有事対応を迅速かつ的確なものとするために、間違いなく必要なものである。
しかし、安倍政権による憲法改正に強く反対してきたのが共産党や立憲民主党をはじめとする主要野党である。(維新や国民民主など憲法論議に反対でない野党も存在することから「主要野党」と呼称している。)
党によって思想が異なるものの、彼らの主張をあえてシンプルに言い表わせば「信用のない安倍政権に憲法改正を許してしまっては、権力の乱用による不当な人権侵害を誘うことになってしまう」といったところだろう。
自民党支持者からすれば、なぜ安倍政権の信用をそこまで低く見積もるのか理解に苦しむところだろうが、これまでの安倍政権による法解釈を見てみると、たしかに安倍政権の法や人権に対する意識が軽薄であることは明白である。
多くの憲法学者が集団的自衛権を違憲と捉えるなかで、憲法を変えずに憲法解釈を変えるという強引な手法で集団的自衛権行使を可能にしたことは法治国家の政治プロセスとしては著しく不適当であるし、文書改ざん問題に対する安倍政権の説明も不可解な点が多い。
これらの平時対応によって安倍政権のずさんさが際立ってきた事実をみれば、主要野党が安倍政権による憲法改正に危機感を覚えるのも無理はない。

いかに自由民主主義と有事体制を両立するか

以上の考えから、政権与党・野党・メディア・国民などあらゆるアクターが自覚を持って自由民主主義と向き合うことが大事である。
自由民主主義は先人が血を流して獲得してきた貴重な財産であるが、各時代に生きる一人ひとりが意識的に守っていかなければ、脆くも崩れ去ってしまうものである。

メディアは、政権を厳しく監視して不適切な政権運営があれば逐一世論に訴える必要がある。
国民は、メディア等を通して受け取った情報をもとに政権が健全に運営されているかチェックし、もし否であれば為政者を引きずり下ろす覚悟が必要だろう。
そして為政者自身は、国民の理解を得ながら適切なプロセスを踏んで法秩序と向き合うべきである。

こうして国民が政権を監視し、政権は国民の期待に応える政権運営を行うことで政権に対する信用が高まり、有事における私権制限の論議も進みやすくなっていく。
安倍政権がずさんな法解釈を続けてきた結果として、法学者や法秩序を重視する主要野党からの信用を失い、自民党の目標である憲法改正を自ら難しくしてきた自業自得の側面がある。
ただし、政権の健全化を要求するからには野党の協力姿勢も必要である。安倍政権への不信感を盾に、現在のような有事にあっても政権との対決姿勢を崩さず有事対応に支障がでるようであれば、主要野党もまともな政治勢力とは言えない。
与党のずさんな政権運営にはじまり、野党の過剰反応を通じて相互不信に陥ったことによる国会の機能不全は与野党双方の問題であり、両者が今一度自らの政治姿勢を省みて信頼関係を築き直す努力が必要である。
そして我々国民も、「安倍政権のやることは全て陰謀である」「野党はモリカケばかりで対案を出さない」といった印象論に基づく批評を止め、与野党双方の目指す社会像に対する理解をもとに、適切な評価を加えていく中立性と冷静さを身につけるべきだ。


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