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『スカイスクレイパー』

執筆時BGM:スカイスクレイパー/wotaku


【前書き】
 皆さん、こんにちは。本作は大学のサークルで出している部誌の2023年度11月号に掲載してもらった作品です。今回も他作品同様に改稿なしでの掲載となります。

 本作はmonogataryに投稿した過去作品『アンダーグラウンド』のリメイク及び続編にあたる作品です。前々から望んでいた「早河ワールドの未来世界をまた書きたい」をようやく今回で実現できたかなと思っています。
 執筆における主題は「底知れない巨悪を書きたい」。その上で掲げた課題は「広大な世界を10,000字に収める」というものでした。今僕達が目の当たりにする世界とは少し違うサイバーパンクな世界観を、少ない文字数でどれだけ表現できるかに挑戦してみました。結果は……やはり要修行と言った感じです。

 下記に前作のリンクを添付しておきますが、一応前作の知識が無くても楽しめるよう工夫は凝らしています。内容が解かりにくかった際の補助みたいな感じで読んで頂けると幸いです。



 二〇XX年。「Underground TOKYO」。

 果てしなく伸びる摩天楼の背の先には空が見えない。代わりに見えるのは、虚像の星空を映し出す黒く広い円蓋だけ。国内人口の急増に伴い、一部の人間はこの地下居住区に追いやられる形となった。

 偽物の月光が足元を照らす。雑居ビル一階にある居酒屋の廃墟。その入口から店内にかけて広がった血溜まりが、紅玉の如く妖しく煌びやかな光沢を放っている。

 ハンカチで頬の血を拭いながら、僕は電話をかける。ちらと足元を見ると先刻まで元気に暴れ回っていた中年男が仰向けに倒れ、首元から血を流し続けていた。

「──もしもし。ターゲットの掃討、無事完了しました。これで『から蛇組』は壊滅したと捉えていいでしょう」

 よくやった、と単調な声が耳に届く。

『爆破物の運搬を行っていた奴等は別の者に排除してもらったよ。ひとまずは脅威から免れた。尽力に感謝する』

「……やはりあの男の仕業ということでしょうか」

『そうだな。推測の域を出ないが、入手した情報を照らし合わせるとほぼ間違いないだろう』

「旧政府、総理大臣……」

 くしゃっ、とハンカチが手の中で潰れる。

「……国に仇なしているのは彼らだと言うのに」

『気持ちは解る。だが今は怒りに身を任せている暇などない。再度作戦を練り直す。先程座標を送った場所へ至急向かってくれ』

 了解、と短く応答し通話を切った。床に刺していた剣を引き抜き、刀身を見つめる。そこに映るのは薄汚い罪人共の醜い血と、黒曜石の如く虚ろな瞳孔。一体、僕はいつからこんな顔をするようになったのだろう。考えまいと、必死でかぶりを振った。

 腰の鞘に剣を収め、血生臭い廃墟を後にする。目を瞑ればいつだって、あの人の悲鳴が脳内で反響する。
 
 

「また新政府側のクーデターかい。ホント物騒な世の中になったねぇ」

 地下街都心部。ネオンライトが照らす裏路地の店先から様々な不平不満が聞こえてくる。

「全く、最近の若者はすぐ暴力行為に走るんだから」

「つい先日も警察と抗争を繰り広げてたんだろ? 死傷者も相当数出たとか何とか」

「どうしてこうなっちまったんだろうねぇ。私らが若い頃はもっと平和だったのに。これも若者の自由を許した新政府の落ち度だろう」

「空を拝みたいだの、真の自由を掴みたいだの好き放題言いやがって。餓鬼共は黙って旧政府の指示に従えば良いだけの話なんだ」

 何気ない風に店先を通過しながらも、胸中ではどす黒い感情が渦を巻く。今の若者は。昔は良かったのに。汚い大人共から耳が腐るぐらい言われてきた。

 目先の情報に騙されて、自分の主義主張で勝手に塗り固める。真にこの世界を衰退させてるのは、お前等の凝り固まった思考が原因だというのに。

 五軒ほど店を通り過ぎ、やがてパソコンの部品屋の前に行き着く。天井の豆電球一つのみが光源となる暗闇に満ちた店内。ネジ、小型カメラ、替えのキーと部品の入った様々な木箱が並ぶ奥で、店主と思しき大男が眼光を瞬かせていた。

 圧倒的な威圧感と身長差。何度会っても慣れないその迫力に気圧されながらも、一歩ずつ店の奥へと進んでいく。やがて木箱の群れを挟んで大男と対峙し、ふっと息をついた。

「……『いつものヤツを一つ』」

 ぴくり、と男の眉根が動いた。
 ほんの数秒の沈黙の後、髭に覆われた口元が徐ろに開閉し始める。

「……『うちは酒場じゃねぇぞ?』」

「『またまたご冗談を。ミルクがあるでしょう? もしくはギトギトの機械油』」

「はっ、相変わらず物好きな客だな。アンタらは」

 強面のまま鼻で笑い、大男は背後の金庫を漁り、資料の束と小型の発信器をこちらに差し出した。次いで厚紙製の小箱が三つ。中身は携帯している拳銃の弾だった。

「──ここから四十メートル先にある雑居ビルの屋上に団長がいる。再三言うようだが尾行には気をつけろよ」

 小声でそう言って、店主は微かに笑った。情報屋として暗躍するこの男は三日ごとに様々な拠点を転々としていた。
 

 
「ようやく来たか、飛燕。先の任務はご苦労だった」

 屋上に着くなり、全身に黒の防刃服を纏った青年がふっと表情を和らげる。飛燕、というのは僕の別名だ。リスクの回避のため、本名を名乗り合うことは組織内で禁止されている。

「先程、爆弾処理班から報告があった。爆破物を積んだワゴンを調べ上げたところ、何やら不可解な印を見つけたらしくてな。どうやら過去に暴動を起こした人物達も同じ印を掲げていたらしい」

 反射的に、奥歯がぎりっと鳴った。

「やはり、旧政府……」

「かの総理大臣、奴は新政府の制定する法案を忌み嫌っていた。若造なんかに国を任せられるかなどとほざき、挙句の果てには新政府のありもせぬ噂を吹聴する始末。此度の『から蛇組』も旧政府が裏で手を引き、最終的に新政府に濡れ衣を着せる算段だったのだろう」

 その憶測を耳にした途端、『から蛇組』の首領が死に際に残した言葉が脳裏に浮かぶ。

 ──あんた、政府のモンだろ? 今に見てろ……俺達のボスが、この甘ったれた世界に改革をもたらす! 一度ぶっ壊してから、な!

 外面でしたり顔を取り繕って尚、奥底の恐怖が滲み出ていたような表情。弱気な奴の溢した「ボス」という確かな存在が、新たな情報を糧とし頭の中で膨張する。団長の言葉が真実なら、その正体は──。

「……あの外道」

 腹の底から吐き捨てて、僕は両の拳を握りしめる。

「奴等のせいで、唯花は……」

「怨念に溺れては痛い目を見るぞ、飛燕」

 淡々と、されど忠告の意も交えて団長は言った。

「情報戦で新政府を瓦解させ、反対勢力から祀り上げられた上で掌握を狙う。奴等はそういう獣の集まりだ。気を確かに持たねば弱みに漬け込まれるぞ」

「解ってる、つもりです」

「努々忘れるなよ。だが、そんな復讐に追われるお前に一つ朗報がある。どうやらから蛇組は奴等の手駒の中でも相当優秀な部類に入るらしくてな。突然の壊滅に多少混乱が見られたらしい」

 こちらが目を見開いたのを悟ってか、団長はにやりと口角を吊り上げる。

「単刀直入に言う。今が好機だ。作戦の概要を聞く気はあるか?」

 その背後、都心部の中空で巨大な飛行船がモニターに報道を垂れ流していた。『D地区にて血痕、及び行方不明者発生』。後処理を終えたにしては、明らかに情報が回るのが早かった。
 
 

 湿り気のある足音。木霊する呼吸の音。

 薄暗く黴臭い下水道の水路を、僕は発信機を耳に当てながらひたすら直進していた。団長から作戦の概要と目的地への道程を聞き早三十分。どれだけ走ろうと終わりの見えないこの一本道は熱病に侵された時の悪夢を連想させる。

 任務達成の条件は単純明快。尚且つ長年機会を窺い待ち侘びていた、敵本拠地の襲撃だった。

 から蛇組崩壊の対処に追われる今、旧政府側は本拠地の警護に割く人員を最低限に留めていた。されど数百人規模。精々五十歩百歩の差だが、黒鉄の城にも等しい奴等の本拠地を攻略する上で、新たに生じた亀裂の存在は軽視できないほど大きい。この絶好の好機を逃すわけにはいかない、というのが団長の思惑だった。

 作戦はこちらも少数精鋭、他部隊には秘密裏で実施されることとなった。作戦の要となるのは元総理大臣の暗殺を担う僕こと飛燕。ほぼ単独での潜入となるため、失敗は許されない。

『現時点で敵の反応は見られません。このまま直進して下さい。但し地雷や監視カメラへの警戒はくれぐれも怠らないようお願いします』

 発信機から流れる分析班の至極当然な忠告を受け、僕は了解の旨を短く伝える。周囲を事細かに見渡すものの怪しい物体は何も見当たらない。本来なら安堵すべき状況が返って己の懐疑心を濃くする。

 ──何がお前をそこまで狂わせるんだ。

 ふと、団長の言葉が脳裏に浮かぶ。殆ど自殺行為に等しいこの作戦を二つ返事で引き受けた僕に対する、不安と疑惧を含んだ問い。それでも尚、構わず淡々とした口調で僕は答えた。

 ──奴等は過去に地下街での暴動で、反対勢力の関係者を人質として幽閉した。僕の家族はその犠牲者の一部です。妹の唯花は誘拐され、それに対抗した両親は意識不明の重体。これほど甚大な被害を出しておきながら、旧政府は権力を振り翳し事件を闇に葬り去ったんです。

 奴等は家族の仇であり、社会を蝕む癌。
 燃え盛る憎悪が己の覚悟を確固たるものへと変えた。
 
 

『もうすぐ目標地点です。ステルススーツの準備を』

「──了解」

 通気口を匍匐前進しながら僕はスーツのフードを被り、胸部に付いた黒いブローチに指先で触れる。光の屈折を利用させて、自らを周囲の風景に溶け込ませる新政府軍スーツの特殊機能。体温や音を察知されない限り、相手は肉眼でこちらを感知できない。

 網目状の蓋を慎重に取り外し、通気口から広く長い廊下へと身を乗り出す。青みを帯びた常夜灯が幾つか足元を照らすだけの味気ない通路は、虫一匹すらいない静寂かつ重圧感のある空気で満たされている。

 念のため腰の拳銃に手をかける。たとえ無人だとしても、姿を隠してるにしても、何者かに監視されているという根拠のない不安が息を詰まらせる。一つでも選択を誤れば瞬きの間にこの胸に風穴を開けられるだろう。そうなれば仲間にも、最悪の場合は妹にも危害が及んでしまう。それだけは避けなくてはならない。

 常に敵への目を光らせながら、迷宮の如く入り組んだ通路を進んでいく。任務前、事前に見取り図の全容を把握していなければ路頭に迷っていた。通路の壁には名札の付いた鉄製の扉が幾つか存在し、研究室、資料室、応接室など目にしただけでも多くの部屋が存在していることが窺えた。

 記憶を頼りに目的地へと向かうと、やがて堅固な扉の前に行き着いた。鉄製で厚みがあり、すぐ横の壁にはテンキーパッドと指紋認証リーダーが設置されている。その真上には赤いランプとスピーカーがあり、恐らく認証に失敗した瞬間、即座に警音が鳴り響くシステムなのだろう。

 一般人ならここで門前払いだろうけど、叡智と技術を結集させた新政府軍の開発班は伊達じゃない。

 機械へと一歩踏み出し、僕は懐から小型の端末を取り出す。そして幾らか操作し、指紋認証リーダーにそっと近付ける。密着させて十秒後。ピロン、と軽快な音が鳴ったかと思うと、扉がゆっくりと横に開き始める。

 人の指紋情報を記憶し模倣することで機械認証を難なく突破できる──潜入捜査において主戦力となる便利な端末をしまいながら、部屋の中へと足を踏み入れる。

 中は光の一筋すら視認できないほど真っ暗だった。片手で拳銃に触れながら、慎重に歩を進める。余程広い部屋なのだろう。肌身に感じる空気の流れが廊下の時と全然違う。

 一体何を目的とした部屋なのだろうか。周囲の状況を見渡そうと暗視ゴーグルに手をかける。

 ──殺気。

 静寂を切り裂く微かな異変が、反射的に僕の身体を後方へと動かす。遠くで響く銃声。その刹那、頬を鋭い何かが摺り切り、血の生温かい感覚と痛みが滲む。

 見つかった──けどステルススーツはまだ機能している。思いもよらぬ襲撃に息を詰まらせながら暗視ゴーグルを装着する。赤い視界の中に銃を構えた人影が……数十人はいる。明らかに待ち伏せされた。

『無事ですか、飛燕さん!』

 ノイズのかかった通信の声が手元から聞こえてくる。

『ごめんなさい、敵影がこちらでは補足できなくて……』

「話は後! 可能な範囲で支援を──」

 発信機を持つ手に、衝撃が走る。じんと響く鈍痛と後方に吹き飛ばされる端末。慌ただしい声はもう聴こえない。味方との唯一の連絡手段が、ものの見事に撃ち抜かれた。

「くそっ……!」

 悪態をつき、僕は体制を低くし地面を蹴った。右手には拳銃。左手には逆手持ちした刀剣。暗視ゴーグルの情報だけを頼りに、敵影へと豹の如く飛び掛かった。

 最初の標的は迷わずこちらへ発砲してくる。しかし軌道は読みやすかった。横へ跳躍して回避し、そのまま次の跳躍で淀みなく首を断ち切った。
盛大に噴き出す血飛沫。まずは、一人。

 今度は左に一人。右に二人。眉間を狙い、左方へ的確に銃弾を放った直後、右側へ弧を描くように宙返りし流れのまま一人に斬撃。着地してもう一方にも袈裟斬りを喰らわせる。

 剣に付いた血を払い、次の獲物へと狙いを定める。今度は十の影が群れて銃を構えている。が、最早関係がない。ただ避ければいい。思考を止め、蝶のように舞い、蜂のように刺す。さすれば銃弾の雨は自然と横を通過し無傷のまま敵影に辿り着く。

 あとはただ、舞いの如く斬るだけ。

 目前で銀色の月が幾度となく中空で散る。その軌道で鮮血が舞い、首が跳ねる。生暖かい液体が頬に触れた途端、形容し難い魔力が体内を駆け巡る。

 ようやく、スイッチが入ってきた。
 痛みも、疲労すらも忘れてただ舞い続ける。

 銃声。悲鳴。閃光。血糊。

 赤に染まった目先の世界で延々と類似した光景が繰り返される。その景色を実感しても尚、何故か心地よさが胸にじんわりと広がった。
 
 

 ようやく、静かになった。

 最後の悲鳴が余韻を残したのと同時に、全身を巡っていた魔力もまた、すっと血管の芯へと消えていく。その瞬間、両肩に見えない錘がのしかかり自然と呼吸も荒くなる。闘いの疲労が今更になって襲い掛かってきた。

 直に応援がやってくる。早くこの部屋を出なくては。

 己の中で結論が出た、その時。
 不意に目が眩むほどの電灯が天井から放たれた。

「……流石は新政府軍の主戦力、と言ったところか」

 突然の声に、思わず肩が跳ね上がる。ゴーグルを首まで下ろし恐る恐る振り返った。

「雑魚とはいえ、我が防衛軍を完膚なきまでに叩きのめすとは……敵ながら天晴れだ。是非うちにスカウトしたいところだね」

 壇上の社長椅子に悠々と腰掛ける初老の男。白い顎髭を摩りながら余裕綽々で微笑むその姿に、神経を逆撫でされるような気色悪い感覚に囚われる。

 やがて吐き気を催す程の悪寒が、沸々と猛る炎の如き怒りへと変貌する。脳裏に焼き付いた、この世で一番憎い男の顔。全ての事件の黒幕である旧政府の親玉。そして、己の家族の仇。

「元……総理大臣」

「そんな怖い顔をするな。初対面の者には敬意を払えと親から教わらなかったのか? そう最初から闘争心剥き出しでは私も──」

 発砲。

 狙いは正確だった。しかし銃弾が元総理の目と鼻の先で弾かれたのを見て、思わず歯軋りする。

「……おっと失礼。確か両親は入院中だったか」

 奴は相変わらず人を小馬鹿にした笑みを絶やさない。先程の現象は恐らく超音波を応用した透明の防弾幕。装置の大本を破壊しない限り、銃弾はおろか僕でさえも近付くことが許されない。

「非常に残念に思うよ。実業家に製薬会社社員。両者とも我が国の歯車となり得る優秀な人材だったと言うのに」

「貴様、どの口が──!」

「全く最近の若者は盲目で困る。事件の詳細を聞かなかったのか? 先に暴動を起こしたのは彼等で、我々は正当防衛をしたに過ぎないのだ。勝手に解釈を捻じ曲げられるとは悲しいものだ」

「ふざけるな! 元はと言えば貴様の横柄が招いた当然の火種だ!」

 剣の切先を向け、声を荒げる。

「金の回る年配の人にしか忖度せず若者を蔑ろにして、挙句の果てには富裕層から切り離された貧困層を地下街に追いやって……あれほど好き放題しながらまだ権力に縋るのか! 我々が支持するのは新政府だ。貴様の時代は終わった!」

「私の時代が終わった? ははは、流石に暴論が過ぎるぞ少年」

 嘲笑した元総理は重心を前に傾け、にやりと口角を吊り上げる。

「未だに老人共からの支持は根強くてな、その気になればいつでも我が党派は復興する。虫の息のお前ら新政府とは違ってな」

「……ならここで貴様を殺す」

「ほう? やれるものならやってみたまえ。最も、私の手駒があれだけだと思い込んでいる純粋な君には、到底難しい話だろうがね」

 そう言って、奴はパチンと指を鳴らす。瞬間、僕と壇上の間に高速で何かが落下し、着地と同時に土埃が周囲に巻き起こった。

 戦車の類いかと思ったが、違った。セラミック製の床にクレーターを作り出したその影は、明らかに人間だった。青い稲妻を辺りに散らつかせ、黒い装甲を全身に纏った細身の人間が悠々と身体を起こす。

 晴れていく土埃の中で、人影はヘルメットのこめかみの辺りをそっと触れる。顔面部から徐々に開閉し、スーツの襟部分まで装甲が畳まれていく。やがて頭部が露わとなりショートヘアの髪先が風に乗って揺蕩い始める。

 目を、疑った。

 脳が目に入る情報を拒否し始め、喉奥でひゅっと音が鳴る。一つは得体の知れない鉄塊から見知った顔が現れた衝撃。もう一つは、その人が何故この場所でその装甲を纏っているのかという混乱。

 何故。いや、そんなはずは。
 ありとあらゆる情報が脳を埋め尽くし、目が眩む。

「……畜生が」

 ただその言葉を唱えるだけで、精一杯だった。
 外道の顔に滲む嘲笑が、より一層濃くなる。

「こっちも人手不足なものでね。色々と実験に着手しているんだ。君が対峙しているのはその一環──専用の装甲を装着させれば、数秒とかからぬうちに我が忠実なる僕を量産できる」

 覚束ない目線が『彼女』を捉える。身体付きや顔立ちは最後にその姿を収めた時よりも遥かに大人びて見える。しかし、黒曜石のように美しい瞳だけはあの時と全く変わらない。

 ──旧政府に攫われる瞬間に見せたあの日の目の色と、全く以って変わらない。

「彼女はその試作品だよ。コードネーム『睡蓮』。君からすれば『唯花君』と呼んだ方が馴染み深いだろうね」

 
 
 ──わたし、ヒーローになりたいんだ。

 目を瞑れば真っ先に連想される唯花の自慢げな笑顔。スラム街の一端、両親が仕事に出て不在な中で彼女は居間の畳に散乱した漫画本に囲まれながら宣言してくる。

「ほら、わたしの友達もその家族も、本物の空が見られなくてすごくガッカリしてるでしょう? だからわたしがみんなを地上に連れてってあげるの。悪いヤツらをボコボコにして、泣いてる人がいたら手を差し伸べてあげて、それから……」

「バカだなお前、漫画の読みすぎだよ」

 学校の宿題と、ゴミ山に捨てられていた難関私立高校の過去問を睨みながら数年前の僕は吐き捨てる。見込みのない未来は切り捨てる。それが当時の自分のモットーだった。

「そんなことできるのなら、今頃誰かが行動を起こしてるだろ。大人が取り決めた社会の常識を、子供の僕達がどうこう出来るわけがないんだ」

「もう、お兄ちゃんはいつも夢のないこと言うんだから。そんなの今の時点でいないだけでしょう? だったらわたしが最初になれば良いだけの話!」

 苛立ちに身体が支配されたのか、不意に唯花がその場に立ち上がる。片手には、妹がゴミ山で見つけてから肌身離さない一冊の少年漫画が握られている。

「見てて。わたしがこの街の──いや、この国のヒーローになってあげるんだから。歴史の教科書に書いてあった『地上と地下が一つだった日本』をわたしの手で取り戻してやるの!」

「おう、そうか。精々頑張れよ」

「よし、そしたら早速作戦開始ね。手始めに友達を集めて、反政府組織を立ち上げないと!」

「そうか……ってちょい! そんな危ないことしたら大人達が──」

 忠告した時にはもう遅かった。長々と理想を語っていた妹の姿は既にもう無い。つい先刻まで賑やかだった居間は一瞬のうちにしんと静まり返っていた。

 唯花は手に負えないほどお転婆で、ヒーロー漫画が好きだった。思えば旧政府が暴動を起こした時、真っ先に身を投げ出したのも彼女だった。
 
 

 残像すら残さない身のこなしで剣が振り下ろされる。

 桃色の光で構成されるビームサーベル。ブォンと独特な音と共に繰り出されるその一閃を寸でのところで受け止める。安堵した。いくら光の剣であろうと一般的な刀剣でいなせるらしい。

「目を覚ませ──唯花」

 無謀だと自覚しながらも、僕は対峙する妹の目に訴えかける。幾つもの剣戟と閃光を交えながら、その瞳は空虚な色を一切変えようとしない。

「ヒーローになる夢はどうした──今のお前はもはや村人を慄かせる極悪人だぞ!」

 いくら叫んでも、彼女は一切表情を変えない。むしろ攻撃の手は徐々に素早く激しいものとなっている。鎌鼬の如く鋭い怒涛の連撃は、一撃一撃が重たくいなす度に腕が痺れる。これも装甲の能力の一端──なのか。

「ぐっ……!」

 圧倒的な力量さを痛感する。剣を何度か交えては距離を取り、暫しの休息を図ろうとする。しかしその意図すら読み取ってか、後退したところで更に距離を詰められ体力が確実に削られる。

 最初の剣戟から早二分。機械相手に生身では、あまりにも分が悪すぎた。
斜めに振り上げられた相手の光剣が僕の得物を弾く。当然その隙を突かれた。無防備となった脇腹に、装甲を纏った鋼鉄の横蹴りが思い切り放たれる。肋骨が見事に砕かれ、悲鳴を上げる間もなく身体が軽々と横に吹き飛ばされる。

「がっ……!」

 衝撃と激痛。灰色の壁にめり込み、小さな破片と共に床へと崩れ落ちる。先の一撃が肺にも行き届いたらしく呼吸がままならない。上手く、立ち上がれない。

「……詰みだな」

 揺らぐ視界の奥で、忌々しい元総理の声が響く。次の瞬間、目前に黒い影が高速で迫り、桃色の剣先を僕に向けた。もはや恐怖や憤怒のみならず、笑いすら込み上げてくる。

 まさか、あんなに強がりで怖がりな妹に、ここまで追い詰められることになるとは。

「さあ、睡蓮。とどめを刺せ」

 命令された唯花は光剣を片手で構え、剣先を向けたまま後ろに引いた。命を刈り取らんと妖しく光る刀身をもう片方の指でなぞる。まごうことなく突きの構え。壁ごとこの身体を串刺しにする算段だろうか。

 妹の安否を知る──ある意味で目的は果たされた。いくらその意識を掌握されていようと、生きているのなら本望だ。

 ならば、ここでこの命を散らそうと僕は構わない。

「ほら、唯花。さっさとやりなよ」

 相手の所作が、僅かに硬直する。

「さっきの動きは驚いたよ。まさかここまで成長するなんて。だけどな、唯花──」

 言い終えるより先に、無事な方の肺を穿たれる。

 熱く滲む鈍痛。赤黒い血を吐き出し、指先が段々と冷たくなるのを感じながら、腰元に手をやる。

「……駄目じゃねぇか。最後の最後で無駄な動きをするなんて」

 掠れた声を吐き出したのと同時に、片手を上げる。妹の顔に驚愕の色が浮かんだ。けどもう遅い。両手で刺突した以上、防御に移るには相当の隙が生じる。

「何だよ。まだ自我が、あるじゃねぇか」

 僕は迷いなく──拳銃の引き金を引いた。

 弾丸は狙い通り、ヘルメットのこめかみ部分に直撃した。ああ、駄目だ。血が足りない。薄れゆく意識の中で妹の瞳に徐々に光が宿るのが見えた。同時に、光剣が肺から引き抜かれる。
 

 
 くぐもった耳の向こうで、窓硝子が割れる。

 段々と意識が明瞭になっていく。口に装着されているのは呼吸器だろうか。久方振りの夜風を肌に浴びながら徐ろに目を開ける。この感触、姿勢、誰かに抱えられている気がする。

「お兄ちゃんしっかりして! 死んだら嫌だからね!」

 今度ははっきりと声音を聞き取る。数年ぶりに耳にする待ち望んだ声。先刻まで二度と聞くことが叶わないと諦めかけていた、大切な人の声。

「……ゆい、か?」

「あともう少しだから! さっき新政府から伝言を受け取ったの! 指示した場所にお兄ちゃんを届けてほしいって!」

 硝子が悉く割れる音が真下から鳴り響く。何事かと目線を落とし、状況を理解する。今唯花はビルの表面を滑走している。踵をピックのように突き刺しながら地上めがけて落下していた……!

「それとごめん、お兄ちゃん。敵に操られてたこと。それと……元総理を取り逃したこと」

 風音、サイレン音、硝子の破損する音。
 様々な音が空中で混ざる中で唯花は謝罪する。

「手は尽くしたんだけど、わたしが意識を取り戻した途端に応援を呼ばれちゃって。流石に多勢に無勢だったしお兄ちゃんが虫の息だったから逃げることしかできなくて……」

「いや、気にするな。今のお前に、太刀打ちできる相手じゃない。勿論、僕でも、だ」

 息が絶え絶えになるのを自覚しながらも、僕は言葉を切らなかった。

「僕達は、想定以上の巨悪に宣戦布告したらしい。奴等は、ただ権力を振るうだけに、留まらなかった。まるで日本を軍事国家に変える勢いだ。このままだと、地上地下の問題じゃ、済まなくなる……」

「これが……大人の野望」

「だからこそ、今まで以上に戦力を強化しないと。それが知れただけでも、今回の任務は成功も同然だ。暗殺はまた機会を窺えばいい……」

 言い終えた途端、咳が止まらなくなる。
 口内に血の味が滲んだ。流石に自分の身体に鞭を打ちすぎた。

「お兄ちゃん、これ以上は……」

「あ、ああ……後は、お前に任せる」

 目を瞑る前に僕は後方……ビルの頂上を見つめる。

 摩天楼は旧政府の野望を象徴するように果てしなく伸びる。蝟集する虫共を一瞬のうちに蹂躙する程の、強大な威圧感がそこにはあった。



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