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性別:女としてのわたし

性犯罪に関する記述があるので、経験がある人、デリケートな方はご注意ください。

自己肯定感が著しく低い人間が、性別と性犯罪とかについて思うことをつらつら吐き出す。わたしのnoteを読む人、そこそこいてくれるのに、こんなこと書くのはちょっと怖いんだけど。

特にこれといって建設的な意見はないです。答えも出ない。書きたいことを書く。長い割に読後感はたぶん悪いので、ご注意ください。

わたしはトラウマになるほどの性犯罪の被害に遭ったことはない。

あまり泣き寝入りするタイプには見えないんだろうか。むしろ最近は「戦えそう」とまで言われる。体力ないしめちゃくちゃひ弱なのに。「強そう」と言われる事に対してコンプレックスがある。内面とのギャップを感じるというか、誤解されてるように感じてモヤモヤする。

ただそこまでヤバイ被害に遭ったことはないけど、一応全くないこともない。というかこの記事を書こうとして思い出した。

小学校の時、一人で帰っていた時のこと。路地裏で性器を露出したおじさんに話しかけられた。そして「ねえ、なめて」と言われた。

学校から帰る途中、橋を必ず渡らなくちゃいけないんだけど、おじさんはその橋にいた。自転車に乗っていて、橋から川を眺めていた。私が彼の前を通り過ぎたとき、おじさんは私の後ろから自転車で追い越していった。

私が橋を渡り終えると、角を曲がり少し細く薄暗い道に入る。そこは住宅街で、昼間は人気がない。そこに入ると、追い越して行ったはずのおじさんがいて、話しかけられた。

私は最初身動きが取れなくなって「いやだ」と言っていたけど、「顔に何かついてるよ」と言われこちらに触れられそうになったので、「やめて」と言って逃げた。

当時は防犯ブザーを持たせることも一般化してなかったし、そもそも商品化もしていなかったし、あのままあそこで逃げ出せなかったらどうなっていたかも想像できない。

大人になった今思い返すと、私が見たそれは本物ではなかったように思う。ヴィレヴァンに売っている、水を含ませるとその大きさになるおもちゃに似た薄い肌色をしていた。高校生の時それを見て「あー……」となんとなく悟った。でも小学生の女子にその区別がつくわけないだろ。しかも身長的にも、かなり視線の近くにそれが来る。相手がいたずら心からやったとしてもセーフにはならない。それにもしかしたら本物だったのかもしれない。もう記憶が曖昧でわからない。

というか橋の上にいたのだって、たぶん一人で帰ってくる女子を物色していたのだろう。私は当時かなり根暗だったから、泣き寝入りしそうに見えたんだろうか。

その日の夕方すぐ親と一緒に駐在所に連絡したけど、結局その男は捕まらなかった。

私はしばらく、路地裏を通って帰れなくなった。私の家までのルートは二つある。けれど、通学路に指定されていないもう一つのルートは、歩道もない、車の行き交う大通りだ。以来しばらく路地裏が怖くなって、その大通りを交通事故を怖れながら歩いて帰っていた。数年後、同じ町の違う場所で、似た人を見かけた時は身体が震えて何もできなくなった。トラウマにはなってたな。いまも悩まされるほどの大きなトラウマではないけど。

私は、記憶を封印した。というより、「怖かった気持ち」を封印したんだろうな。むしろ変質者に遭ったことを笑い話にさえした。「自分より酷い被害にあった人に申し訳ない。こんな事で怖がるなんて」とそう思っていた。

別にこの事について可哀想とか、思って欲しいわけじゃない。加害者を糾弾したいわけでもない。実際どうしたいかも自分でわからない。問題提起がしたいわけでもない。ただ受け止めるために吐き出したかっただけ。

ちなみにわたしはいわゆる美人ではないし色気もない。メイクも下手だし、髪も適当。せいぜい太っても腰にくびれがあるくらいしか自慢ポイントがない。

初めて付き合った人に「君にはセックスアピールが欠けている」と言われた。当時は男勝りな格好もしていたし、そもそも小学生だったから当たり前なのだけど、心の中では女の子でありたいことを押し殺していた私にとっては、大きな傷となった。以来私は女性的魅力がないことがずーっとコンプレックスだ。

旦那にも聞いたら「俺から見たらかわいいとは思うけど、たしかにそういうことを想起させる雰囲気はない(要約)」とも言われた。

自らの「女らしさ」に極端に自信がない。男の子みたいと言われ、髪も短くして、男勝りに振る舞っていた。けれど、私自身は心の底ではどうしようもなく女の子なのだと、上の初めて付き合った人に自覚させられた。その人に言われてスカートだって履いた。キラキラしたものに憧れ、恋の話に胸をときめかせるし、買い物もおしゃべりも好き。「かわいい」と言われると照れてしまうけど嬉しいし、好きな人のためにおしゃれを頑張ろうとしたりもする。

けれど、いわゆる丁寧な所作や細やかな気遣いは持ち合わせていない。また、家庭的であったり、包容力があるようなことは多分ないし、美しく着飾ることへの執着心は、あるようでない。あそこまでの熱を注げない。一般的な女性に対するイメージで見られても、しっくり来ない。それなのに醜い嫉妬心や情緒不安定さや計算高さは、一丁前に持ち合わせている。

男尊女卑的な考えが横行する家庭で育った。従兄弟や兄弟の中で私だけが女で最年少だったからか、私だけが家事を手伝えと叱られた。兄は叱られなかった。周りは遊んでいるのに自分だけが手伝えと言われる理不尽さにはずっと納得いかなかった。だから私はたぶん、そう言うものへの反抗心として男勝りであることを選んだ側面もあるんだと思う。

けれど、それがアイデンティティだと思い込んでしまった。というかそれで自分を守らないと生きてこられなかった。だって、女性であることを認めて仕舞えばあの家では弱者だったから。

でも、本当は可愛いものは好きだし、女性的な可愛さや美しさに憧れもある。けれどそういう乙女な自分を恥ずかしいものだと思い込んだのがまずかった。未だにそういう部分は自分の弱みと思っているふしがあるし、人に晒すのにはとても勇気がいる。

私はメンタルで言えばジェンダーレスに近いと思う。けれど、そう言い切れるほどニュートラルにはなれない。心の底ではそうありたいと望んでいるし、男女の友情もあってほしいと思う。

でもそれ以上に私の体と心は女だと残酷なほど実感させられる。相手がわたしを一人の人間として見てくれるとは限らないし、わたし自身が相手を深く知れば惚れてしまう可能性だってある。

かつて、ネカマならぬネナベをしていた事があった。ネトゲだったからアバターが男で、私が女と明かしても、態度を変える人はいなかった。しかしアバターを女に変えたり、リアルで会ってから、急に態度を変える人がたくさんいた。

その人に悪気はなくても、意図はなくても、男性とはそうなってしまうものなのだ。けれど、その手のひら返しっぷりに恐ろしさと嫌悪を抱いた。けれど、女として消費されたり賞賛される事に喜びを感じる自分もいた。矛盾だらけだった。

恋愛もセックスもするしアセクシャルではない。女性に恋愛感情に近い感情を抱くこともあるけど、性的な交わりは求めないから、バイセクシャルとも言い切れない気がする。

セクシャルマイノリティと言うほどではないけど、グレーゾーン、みたいなものだと思う。

ただ、性自認がちぐはぐで葛藤があって苦しい。そういうところが共感できるから、セクシャルマイノリティの方には惹かれるのかもしれない。

でも私はセックスもするし、恋愛もたくさんしたし、結婚もしてるし、そういう立場だと、「私はあなたとは違う」的な偏見と断絶をマイノリティ側から受けることもありそうで、拒絶されるんじゃないかといつも怯えている。

マイノリティ、マジョリティというくくりに、グレーゾーンなわたしはいつも疎外感を感じて、コミュニティの渦中に飛び込めないでいる。

さらにぶっちゃける。性犯罪の話に戻る。ここからはかなり後ろ暗い話。不快感を催す人もいると思う。

先に書いたようなメンタルに加え、わたしには痴漢などの尊厳を犯されるような行為や、暴力的なセックスへの憧れがある。無性にそういう気分になる時がある。そういうフィクションも常にではないけど見たくなる時があるし、書きたくなる時がある。

なんなら自身がそういう目に遭う妄想すらしてしまう。殺されたり、暴力を振るわれるのは嫌だけど、エゴの対象にされるのはとても嬉しいと思ってしまう。誰かのオカズにされたって構わない。かつてアダルト関係の仕事をしていた時、女優やグラドルが羨ましいと思った時もあった。もちろん渦中にいたので業界の闇は知っている。それとこれとは別で、そうなりたいのではなく、そういう感情を抱いてしまうという話。

旦那に首を締めてとお願いする時もある。痛いことをしてとお願いすることもある。けれど、旦那は過去の経験から自身の暴力性を頑なに解放しようとはしない。自分を見失いそうになるらしい。我々は歪な夫婦だ。歪だから互いに足りないものを、補い合っている。

端的に言えばマゾヒズムなのだろうが、要するに低すぎる自己肯定感のせいだ。自分への価値を自分で見出せなさすぎて、自分が性的に消費されることすら「自分の価値」と感じてしまうからなのだと思う。たぶん寂しさに耐えられなかったんだろう。今でも弱ると耐えられなくなる。

だから手軽に承認欲求を満たす道具として、見ず知らずの男の人の性欲のはけ口になっていたこともあった。リアルではリスクがあるので、あくまで音声だけだけど。けれど、好きな相手ができれば二股三股繰り返した時もあった。浮気したら自分がクズだってわかって安心できた。どうでもいい相手に優しくされれば本命にも優しくできるからと免罪符にしていた。割り切った関係なら酷いプレイだってしてもらえたから。

浮気に関しては二度としないと誓った。そんな事するなら死ぬってくらい頑なに立てた誓いだから本当に本当に二度としない。一回やったやつはまたやるんだよとかいうのやめてください人の気もしらないで(※被害妄想)

そんなだからさ。セックス依存の人、浮気や不倫を繰り返す人、依存心の強い人は、他人だとは思えない。わたし自身もどうしようもない衝動に身を焼かれる時はある。

けれど、わたしの自己肯定感は少しずつ高まってきているのか、前よりも、破滅的な衝動にとらわれる事は減ったし、悲しいかな、そういう話を書けなくなってきてもいる。もう、寂しいだけだって事に気付いてしまったから。

いや、ある意味胸糞展開でも最後に救いのある話が書けるからいいのか。そういうの、需要あるのかな。

ちなみに妄想するだけで、実際に被害に遭いたいわけではない。たぶん遭ってしまったら、いろんな人を心配させるし、傷つくし、わたしの治療も遅れる。進んで、悪い方向に行く必要はない、はずなのに。どうしても、後ろ暗い衝動に駆られ、とらわれる時がある。

だって今、実際に被害に遭いたいわけではない、って言いながら、通勤ラッシュの中でそんな風にされることを想像して、多分最初は不快だなって思ったけど、それを押しのけて侵害されたらどうなるのだろう、という気持ちが浮かんでしまったもの。極度の恐怖から自己防衛反応として身体が脳内麻薬を出しだすレベルまでめちゃくちゃにしてほしいとか考えてしまった。

ここまでさらけ出して何がほしいんだろうね。

多分きっと、許しがほしい。

こんな醜い女でも、許してほしい。

でも「人間なんてそんなもんだ」って諦めはいらない。

そんな人だと思わなかったと、離れていく人だけじゃないと証明したい。

今の私の周りにいる人なら、理解してくれるんじゃないかっていう仮説を証明したいんだと思う。

わたしを性的な目で見てほしい/見ないでほしい
わたしを消費してほしい/しないでほしい
わたしを傷つけてほしい/優しくしてほしい

この葛藤が理解できても、できなくてもいい。

ただこれがわたしなんだと、認めてほしい。

できれば嫌わないで。それでも愛して。

ごめんなさい。

わたしはこんな女です。

許してください。

こんな一言を言うのに、ここまで言葉を弄さなくちゃいけないのか。

いや、結局、何が言いたいのか、ここまで書いてもわからない。

ごめんなさい。苦しいよ。

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