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【小説】死ンダ君モ愛オシイ 第24話

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 金魚は何も言わない。この金魚を、アズサは「しおりさん」と呼んでいた。そして今日、俺は「栞さん」という女性に出会った。無神経で品がない、横暴な女性だった。俺の知っているアズサが、あの女性を慕って、金魚に名前を付けるなんて思えない。思いたくない。

 ――私が、間違いかもしれない、とは考えませんか?

 この言葉の意味を考える。考えるんだ。どうにか、都合のいいように。納得できる、上手い「間違い」はないだろうか。金魚が喋ることが間違い? それは今更だ。「栞さん」という存在が間違い……これが一番しっくりくるかもしれない。金魚か、茅野かやの栞、どっちの「栞さん」が間違いなのか。
 理解できないと思っていたアズサの行動には意味があった。料理を食べさせてくれなかったこと、プレゼントした傘を持ち出さなくなったこと、亜季あきを振った時の言葉、憎み続けろと言ったこと……今なら全て理解できる。もし、アズサの行動に意味があったとするなら、金魚に「栞さん」と名前をつけたことにも何かしらの意味があるのでは? 考え過ぎか? まあ、面白いからこの路線で考えてみよう。同居人である自分に、アズサが残したかったもの。そして、そう、金魚は自らを「アズサの遺書」だと称していた。
 間違い、という言葉からはネガティブな印象を受ける。栞さんを否定する、ってことでいいんだよな? アズサの遺書である金魚が「私が間違い」だと言った……つまり、アズサはそれを知らせたかったのだと考える。例えば、金魚に名前を付けて、栞さんという女性を辿らせようとした、とか。これは都合がいいぞ。あの女が間違いだ、そう思いたい。あの女がアズサの大事な人間であってたまるか。あいつを暴く、それでいいな? そういえば、何か見つけたら寄越せと言っていたな。怪しい。絶対見つけてやる。ここまでの推理が仮にいい線いっていたとするなら、アズサはきっと何かを残しているのだ。……たぶんな。

 強引な推理をかまして、よし、見つけてやる、と一矢いちやは金魚を睨みつけながら、ふと思った。あれ? そういえばこの水槽、アズサの死後一度も掃除なんかしていないが、そういうもんだっけ? まあ、綺麗だから問題ないか。

 まず、今日返却されたアズサのカメラをチェックする。データはなにも残されていなかった。そもそも、SDカードが抜かれていたのだ。これを抜いたのはアズサなのか、茅野栞なのかはわからない。どちらにせよ、SDカードを残したまま、茅野がカメラを手放すことはなさそうだが。このカメラは参考になりそうもない。

 手がかりを探すなら、ここだろう。アズサの部屋に足を踏み入れるのは、これで二回目だ。ドアを開けると、まだアズサの匂いがする気がした。気のせいかもしれない。少し埃っぽい。さて、どうやって探そうか、と一矢は部屋の中をゆっくりと見回す。黒幕を辿らせるため、的な考察は、意外と正しいのではと思い始めた。実際、金魚に名前がついていなかったら、あの女性を辿ろう、暴こうなんて気持ちにはならなかった。とりあえずは、この線で進んでみる。これで何も見つからなかったら、ハズレだってことだ。
 まずはやはりPCだろう。前回この部屋に入った時には、デスクの方はほとんどチェックしていなかった。ガレリアのロゴが入ったデスクトップPC。これってゲーミングPCじゃなかったか? とりあえず電源を入れて、モニター画面に目を遣ると、画面の端に付箋が貼られていることに気がついた。なんだこれ。デスクに手をつき顔を近づけると、「Hero0914Possible」という文字が、辛うじて確認できた。この汚い字はアズサのもので間違いないだろう。しかしこれは……。
 一矢は座り心地の悪いアズサのゲーミングチェアに腰を下ろして考える。これは……恐らく何かのパスワードだろう。そして間違いなく一矢に宛てて残されている。自分用のパスワードをモニターに貼るほど、あいつは馬鹿じゃないし、そもそも……。一矢は腕を組んで首を捻った。どういうつもりだ。恋人の誕生日なんてパスワードにするような奴じゃない……と思うけど。一矢の誕生日は9月14日。なんだか居心地が悪いけれど、少しだけ、気分がいい。しかし喜んでいる場合じゃない。これでほぼ確定だ。アズサは何かを残している。
 キーボードを叩いて、パスワードを入力するとホーム画面が開いた。アズサは何を見せたかったのだろう、と固唾かたずを呑んで画面を見回したが、ぱっと見、なにも残されていない。エクスプローラを開いて隅々まで確認しても、ファイルはひとつも残っていなかった。どういうこと? 当然、何かを残しているからわざわざパスワードの付箋を貼っていたのだろうと思ったが、空っぽって。誰かに消されたなんてことは、流石にないと思う。家の人間が出かけている間に家に入り込んでPCをいじるなんて、ドラマやアニメならそんなシーンが許されても、現実的に考えにくい。だとするなら、アズサがこのPCの中身を削除したのだろう。まあ、そこまではわかるが……じゃあ、なんで付箋を残してたんだよ! 意味が解らん、と呟きながら、一矢はもう一度確認したが、やはり何も残っていなかったので、大人しくシャットダウンした。

 ――ふふっ。

 背後で笑い声が聞こえて、一矢は勢いよく振り返った。誰もいない。金魚さえも。少し馬鹿にしたようなあの笑い声……たしかに、アズサの気配を感じたのだが。
 やはりあいつは笑っているのだろうか。必死に探している姿を眺めて楽しんでいる? それとも、何かを見つけてほしいと願っている? もう、あいつがわからない。前の自分なら、馬鹿にして楽しんでいる、にオールインするのだが。

 一矢はモニターに貼ってあった付箋を剥がし、指先で弾きながら文字を睨んだ。「Hero0914Possible」……9月14日は一矢の誕生日だとして、HeroとPossibleの意味は。

 「はは、夕日を背負ったヒーローみたい」

 アズサとヒーローで思い出すものはそれくらい。初めて出会った、歩道橋の上。他に何かあっただろうか。それってやっぱり自分のことを指している……なんていうのは思い上がりだろうか。Possible……可能。ヒーローならできる、みたいなニュアンスで合ってるか? 俺ならできる……ってこと? いやいや、あいつがそんなことを言う訳が……ああ、もうほんとにアズサがわからない。この前みたいに出てきてくれたら、問いただしたいことが山ほどあるのに。あいつのキャラ設定を見直したい。

 夕日? ヒーロー……。そういえば、もうひとつカメラがあった。先日花絵はなえから受け取ったカメラだ。あれには夕日と一矢の姿が写っていた。「アズサの行動に意味があるのなら」の考察を続けるとすると、遺品のカメラなんて、意味がないはずがない。……よな? 一矢は慌てて立ち上がり、リビングの棚に置いたままの小さなカメラを取りに行った。
 夕日。そして逆光でシルエットになっている一矢の姿。花絵は夕日しか写っていなかったと言っていたが、どういうことだろう。とにかく、自分の知っているあの歩道橋。頭が混乱して機能しないから、もういっそ、行ってみるか? 何でもいいから動かないと落ち着かない。時刻午後7時ちょっと前。まだいける。夕日のタイミングは逃したが、必要ならまた足を運べばいいだけの話。

 思い立ったら即行動。居ても立っても居られず、30分後には例の歩道橋の上にいた。そして、嘘のように、あの時アズサが立っていた場所にしっかり手がかりが残されていたのだ。少し錆びた手すりの上に貼られたステッカーに書かれた文字は、「ハッピーバースデー」。本当にアズサの手がかりなのか? 例えば、そのステッカーがホワイトメールのステッカーだったり、アズサの文字で書かれた「ハッピーバースデー」だったりすれば説得力はあるのだが、何の変哲もないただのステッカー。それなのに、一矢はアズサのメッセージだと信じ込んだ。歩道橋の上。車の音。煙たい風。まばらな街灯がやる気なさげに町を照らし、車のヘッドライトが一矢の下をくぐっていく。この場所に、アズサは立っていた。ああ、やっぱり夕日を逃したのは痛いなぁ。

 帰り道、一矢は最近すっかり失っていた気力を、ほんの少し取り戻していた。なんの根拠もない。誰が貼ったかも不明なステッカーを、アズサの残した手がかりと信じ、前に進んだ気がしていた。今はそれでいいと思う。考えたって、どうせ正解はわからないのだ。とりあえずゴリ押しで前に進もう。夕飯は親子丼をテイクアウトすることにした。

 ハッピーバースデー。根拠が全くないわけではないのだ。パスワード? いや、それよりも。年に何回も祝わされた、アズサの謎のバースデー……あれにだって、当然意味があるはずだ。それを示したのが、あのステッカーなのだ。一緒に暮らした二年の間に、アズサの誕生日は7回あった。勿論、全て覚えている。これまでの経緯を考えたら、あんなバカバカしい誕生日に意味がないはずがない。

 ヴーッ、ヴーッ、ヴーッ……。

 親子丼を片手に玄関のドアを開けた瞬間、尻のポケットでスマホが鳴った。靴を脱ぎながら確認すると、亜季の父親からだった。昨日の折り返し電話だ。
「お久しぶりです、今野こんのさん」
「久しぶりだね、一矢君。昨日はごめん、バタバタしていて……」
 懐かしい、優しくて柔らかい話し声を聞いて少し安心する。
「大丈夫です。ちょっとお聞きしたいことが……」
「うん、珍しいね。なにかな?」
 玄関に立ち尽くしたまま、こっそり小さな深呼吸をした。
あずさ柚希ゆずきって……知ってますか?」
 トクン、トクン、静かに胸が高鳴る。どっちだ? アズサは偶然個展を訪れたのではない。あの日、ふたりは個人的な接触があったんじゃないか?
「梓柚希さん……。梓……ああ、あの梓さんのことかな。柚希さんって名前だったっけ。綺麗な子。不思議な人だったなぁ。一度しかお会いしてないけど」
「それって……5年前の11月5日ですよね? 個展の時」
「そうそう、一矢君も来てくれたよね。梓さんが帰った後だったかな。もしかして、知り合いだったの?」
「いや……そういうわけでは……まあ、知り合い……はい」
「そうか、元気にしているのかな。あの時、僕は梓さんのお陰で人生が変わったかもしれない」
「人生? 何があったんですか?」
「まあ、もう君になら話してもいいか」
 一矢はゆっくりリビングの中を進み、親子丼の袋をテーブルに置いた。
「あの頃、タチの悪い仕事の依頼があってね。指定された写真を用意しろって言うんだけど、どうもそれが怪しくて。勿論、断ったんだよ。できれば関わりたくなかった。ただ、知り合いの紹介だったから色々面倒なことになって……あの個展の日も、脅迫めいた電話が来てね。引き受けてしまったんだ。お金もなかったし」
「はあ……」
「亜季の誕生日……せっかくの個展だったのに、もう、僕は気が気じゃなくて。多分一度引き受けたらこれからも続くんだろうなって、道を踏み外したような気持ちになっていた」
 自分が会った時にはそんな様子ではなかったな、と一矢はあの日の今野を思い出していた。
「その時に、梓さんがふらっと現れたんだよ。儚い雰囲気をまとった印象的な子だなって思ってたら、亜季の写真をずっと眺めていてね。こちらから声を掛けたんだ。あわよくば、モデルになってもらえたらいいな、なんて考えもあったりして」
 儚い雰囲気……まあ、外見だけならそう見えなくもないか。
「でもあの人はこちらを振り向きもしないで、『仕事は選んだ方がいいですよ』って言うんだよ。ドキッとしてね。もしかして、何か知ってるんじゃないかって。僕が何も言えずにいたら、『力を貸すから仕事は選べ』って名刺を渡されたんだ。あれ、どこいったかな。多分まだあると思うけど」
 そう言いながら、電話の向こうでごそごそと音がした。
「力を貸すって言われてもねぇ。どうお願いすればいいかもわからないし。でも、ありがとうってお礼だけ言って、ちゃんと話したのはそれだけ。これ、ちゃんとって言うのかな……。でも、梓さんの言葉で僕も決心してね、やっぱりあの仕事は断ろうって。その後、例の依頼人にお断りの電話をしたら、信じられないくらい、あっさり承諾されたんだ。脅迫までしてきたのに。もしかして、本当に梓さんが何かしてくれたんじゃないかって思って、名刺の番号に何回かかけてみたけど、梓さんは出なかった。なんだったんだろう。仕事の依頼人はちょっと……反社風の人間だったから、梓さんが同じ業界にいるようにはとても見えなかったけど」
「そう、だったんですか……」
「あの時、梓さんが何かをしてくれたのかどうかはわからないけど、少なくとも、あの人の言葉で僕は決心できたから。とても感謝してるんだ。一矢君は梓さんが今どうしているか、知ってるの?」
「ああ……アズサは先月、亡くなりました」
「えっ」
 そうだったのか、という今野の声を聞きながら、一矢は改めてアズサの死を噛み締めた。まさか亜季の父親とアズサの間に、こんな関係があったとは。あいつ、なんで一言も言わなかったんだ。……言えないか。言わないよな、あいつは。

 近いうち食事でも、なんて誘いに適当に答えながら通話を終え、ビニール袋越しに親子丼の容器に触れると、まだ少し温かかった。大丈夫、食欲はある。食べて寝ないと、頭は動かない。何なんだ、この情報の嵐。次から次へ畳み掛けてくる。とっくにキャパオーバーしているが、食らいついて行くしかない。ソファに腰かけ、割り箸をパキンと割って、大きなひと口を頬張る。味はよくわからない。いつもより薄い気がする。そんなことより――アズサが亜季の父親のために、動いていてくれたことが嬉しくて、その味だけ噛み締めていた。

 でも、どうやって助けたんだ?




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