見出し画像

【小説】死ンダ君モ愛オシイ 第21話

Prev……前回のお話


「俺が昔、知宏ともひろの家にお世話になってたことは知ってるんだよね?」
「ん……聞いた」
柚希ゆずきが来たのは、俺が出てった後だった。思えば、こないだ一矢いちやから聞いた『アズサさん』の間違い探し、あれは柚希が知宏の家に来る前の話だったんだね……。勘当されたって話。俺たちは『なにか事情があって行き場のない子』ってことしか知らなかったけど」
 名状しがたい気持ち。なにも知らずにアズサの話を聞かせていた。まさかこんな形で繋がるとは。
「もういい……。全て知りたいなんて思ってない。なんとなく、わかったし。つまりあいつが佐倉さくらの家に拾われて、父親のレストランで働きながら、母親に愛人代わりにされていたと。俺は愛人なんて信じないけどな」
「うん、そうだね。これははっきり言うよ。俺から見ても、いい関係には見えなかったし、ただ知宏のお母さんが夢中になってるだけだった。むしろ柚希は困っているようだった。でも、知宏は、認めたくなかったんだと思う。実際、俺が知ってるお母さんも、気さくで優しい女性だったし……。ふとしたきっかけで、なんかのスイッチが入っちゃったのかも」
「だったら! お前だって、あいつの思い込みを否定することができたんじゃないか! それを放置した結果がこれだろ? あいつは未だに愛人だなんて、アズサが殺したなんて言ってる……! お前があいつの思考を矯正することだってできただろ!」
「うん……うん、そうだね。ごめんね、一矢」
 ここで静流しずるを責めるのはお門違いだってことは、わかっている。きっと優しい静流のことだから、そばで苦しんでいる佐倉の味方でいたかったのだろう。それに、強く意見を押し付けなかっただけで、恐らくやんわりと否定はしていただろうと思う。わかっているんだ、そんなこと。
「あいつが作った料理を食べたから死んだとか! そんなの本望だろ!」
 おかしい、論点がずれている。言いたかったのはこれじゃないのに。
「柚希は時々、お父さんから教わった料理を作って、振舞っていた。まあ、それはシェフであるお父さんからの課題だったんだけど。あの日、知宏だって食べてるんだよ。柚希の料理。毒なんて盛られてないって、彼もわかってる。あいつは柚希のことを嫌っていたけど、料理だけは――」
 静流は余計なことを言ったかと、一矢の様子を窺っているようだった。まさか静流も、一矢がアズサの料理を食べたことがないなんて、思いもしないのだろう。
「聞けば聞くほど、許せない」
「うん、そうか……」
「だけど……だけど、俺もあいつと同じことをしてるんだ。アズサのことを、人殺しと責めた。俺はあいつ以上に、自分が許せなくて……だけど、アズサはもういないし、今更こんなこと知ったってなにもしてやれない。そうだ! あいつはこれを望んでるんだ! 俺の気が狂うほど、苦しむ姿を愉しんでる! だから俺はこうやって……!」
 一矢が腕に爪を立て、ガリリと引っ掻く。即座に静流は手を伸ばして爪を立てた一矢の右手を握った。一瞬の出来事だった。まるで想定していたかのような。左腕に皮が捲れてうっすら血が滲む痕が三本残っている。静流の手は温かい。
「俺は、ほとんど話したこともないし、一矢みたいに柚希のことは知らないけどさ……多分、苦しむ姿なんて望んでないと思うよ」
 一矢はこうべを垂れて、奥歯を食いしばりながら、黙っていた。それでも、静流の言葉はあまり入ってこない。今の一矢にはあまり染みなかった。なんか優しく宥められてるなぁ、とか、そんなことしか感じることができなかった。
「柚希は多分、受けた恩を大事にする人間だったんじゃないかって、俺は思うんだよね。だから、知宏に当たられても、お母さんに困惑しながらも、拾ってくれたお父さんに応えるためにあの家にいたんじゃないかって思うんだ」
「でも……結果的にふたりとも亡くなってんじゃねぇか」
「うん……そうだね。だから、柚希も傷ついてたと思う……」
 大丈夫そうと判断したのか、静流はゆっくり一矢の右手を解放した。ほんの少しだけ、寂しかった。握られた手に、ほのかに安心を感じていたから。
「俺が柚希に最後に会ったのは、五年前。知宏のご両親が亡くなった後、俺は柚希がどこに行ったのか知らなかったから、すごく久しぶりだった。多分、知宏も。ご両親の命日にお墓参りに来てたんだけど、もしかしたらそれまでも毎年来てたのかもしれない」
 ああ……初めてアズサに会ったあの日だ。一矢は歩道橋の上のアズサの姿を再び思い出した。
「あんな別れ方をしたのに、お墓参りに来てたのは、やっぱりお父さんに恩義を感じてたんだと思う」
「でも、もう来るなって言ったんだろ……」
「うん……そうだね……」
「それで、その帰りに初めて会った俺に罵倒されてるんだ。お前が殺したって。あいつ笑ってたけど」
「そう、だったのか……」
 静流は少し驚いて、一矢を見た。流石に、こんな偶然は想定できない。
「あいつはつまり! 関係ない、いろんな奴の痛みを、理不尽に背負ってたってことだろ? 俺だって、佐倉だって、ほんとに殺したわけじゃないってわかってたくせに、行き場のない思いをあいつにぶつけてた……!」
「うん、でも、一矢は柚希を愛してたでしょ?」
「そんなこと、一度も言ったことない! 好きだとか、愛してるなんて言葉、一度も掛けた覚えはないし、そんな態度も見せなかった。そもそも、あいつは愛されるのが苦手だからもっと憎めって、憎み続けろって言ってたんだ。今になって、その意味がよくわかった。ただのトラウマじゃねぇか! 俺は……俺は……、なんでだよ! なんの特別でもなくって、佐倉と変わらない! ただ、佐倉はずっとあいつを憎み続けて……俺はあいつに魅了された、って……ただそれだけなんだ! 俺は……憎むことも、大事にしてやることも……ぐ、うあ……ううあぁ……ふぅぅ……うう……」
「うん……うん……」
 頭をきつく抱え込む一矢の背中に、静流は優しく手を置いた。
「ぐうぅぅうぅ……俺を殺してくれ……そうだ、俺を……!」
「一矢……」
「アホ」
 ぐぅぅうぅ……!
「アホだ、アホ」
「死ぬなら勝手に死ね! アホ! 馬鹿! ゴミ!」
「楽になれるわけないだろ! アホ! ゴミ! ネズミ!」
「殺してくれは甘え! アホ! ネズミ! シャー芯!」
「甘えだ! アホ! ゴミ! 目玉!」
「目玉!」
「目玉!」
「目玉!」

 「うるせー、アホカラス!」

「一矢?」
「人の頭上で騒いでんじゃねー! うっせーんだよ! 適当なこと言うな! ゴミカラス!」
「一矢、大丈夫、なにもいないよ」
 立ち上がって頭上に向かって叫んでいる一矢の肩を優しく叩き、静流はソファに座るよう促した。しかし、アホカラスは消えない。
「アホ! ゴミ! 目玉!」
「シャー芯! 目玉! ネズミ!」
「アホカラス! ゴミカラス!」
「ゴミカラス!」
「ゴミカラス!」
「ゴミカラス!」

 「ゴミカラスはお前らだろーが!」

「一矢、大丈夫だよ」
 静流が一矢の背中をさする。一矢は完全に頭に血が上り、目を血走らせて頭上を睨んでいる。ちりちりちり、と耳障りな音を立て、カラスたちは消し炭になって、崩れて、ゆっくり落下した。バカにしやがって。大きく肩で荒い呼吸を繰り返しながら、一矢はぶつぶつと呟いている。
「一矢、ちょっと待っててね。ほら、ここ座って。ね、大丈夫だから。すぐ戻ってくるからね」
 静流はそう言いながら、キッチンの方へ去っていく。一矢がソファの上で、息を切らして呆然としている間に、コップに入れた水を片手に、静流が戻ってきた。
「ほら、お水。ちょっとお水飲んでみよう。落ち着くから」
 一矢の手に、慎重にコップを持たせる。
「ゆっくり、ね。ゆっくり……。ひと口でいいから」
「ん……」
 戸惑いながらも、素直に一矢はひと口、水を飲み込んだ。冷たい水が、喉を下って胸に落ちる。まるで肺まで水が落ちて気道が浄化されたように、呼吸が楽になった。ふう、と息を吐く。ほんとだ、少し落ち着いた。魔法でもかけられたのかな。ただ水をひと口飲んだだけなのに。そんなことを考えながら、もうひと口、ゆっくり飲み込んだ。ふう。
「疲れちゃったよね。昨日から色々あって。大変だったね」
「うん……」
「今日はゆっくり休もうね」
「うん……」
「明日も会社、無理していかなくて大丈夫だよ。必要なら、俺から知宏に伝えておくし」
「んー……大丈夫、仕事は……行く」
「そうか……無理しないでね」
 一矢は頷いてから、もうひと口、水を飲む。
「なにかしてほしいこと、ある? あ、ご飯は? なにか買ってこようか?」
「いや……大丈夫」
 静流はホットココアが入っていたコンビニの袋を手に取り、静かに畳み始めた。一矢は黙ってその様子を眺めながら、鈍い頭でぼんやり考える。
「アズサは……時々、『友達』と会って来るって言って出掛けた」
「うん」
「その日は大体、ピリピリしていて、怪我をして帰ってきたことも何回かある」
「え……」
「その『友達』って、佐倉だったのかな」
「いや……」
 畳んだコンビニの袋をテーブルに置きながら、静流は考えていた。
「いや、知宏は流石にそんなことしないよ。感情的になっても、手を上げるような男じゃない。多分……その『友達』は、別の人だと……思うけど……」
 言いながら、静流は心配そうな顔をした。恐らく、意図せず別の対象を示唆しさしてしまったような気がしたのだろう。しかし、そんなことより一矢は、自分が昨日、佐倉の胸倉を掴んだり、馬乗りになっていたことをぼんやり思い出していた。「手を上げるような男じゃない」か。
「信頼してるんだな、佐倉のこと」
「うん、まあ……」
「俺は、佐倉とこんなことになって、正直、お前とも切れたかと思った」
「俺が? 一矢から離れると思ったの?」
「うん。だって、そうだろ。元々、お前はあいつから頼まれて俺に会いに来てたし……ああ、今日もあいつに頼まれて来たんだっけ」
「まあ、そうだけど……」
 静流は一矢の前に片膝をついて、俯いている一矢と視線を合わせた。すぐに一矢は視線を逸らしたが、静流がじっとこちらを見ているのを感じる。
「助けが必要な時は呼んでくれって、言ったよね?」
「うん」
「絶対に力になるって、言ったよね?」
「うん……」
「俺はそんな軽薄な男じゃない。誰と誰がぶつかり合っても、一方的にどちらかの味方になって、友達を捨てたりなんかしない」
「うん、そうか……」
「それに……知宏だって、こんなことになっても、まだ一矢のこと、心配してるんだよ。一矢は裏切られた気持ちが強いと思うけど、知宏は知宏なりに、一矢のこと大事に思ってるし、今までだって本心から一矢のこと気にかけてたはず」
「ん……」
「ねえ、一矢」
「ん……?」
「間違い探しなんだけどさ、もう、やめない?」
 真剣な静流の声に、一矢は顔を上げた。
「もう十分だよ。傷を増やすこと、ないよ。柚希のことを思い続けるのは、いいと思うんだけど……知らなくていいことを追求しなくていいと思う。一矢の知っている柚希をさ、アズサさんをさ、こう、なるべく穏やかな気持ちで思い続けてあげられたら、いいんじゃないかな」
「んー……うーん……」
 そうした方がいいのかもしれない。そうできたらいいのかもしれない。でも……。

 ――知らなくていいことかどうかは、貴方が判断することではないですよね?

しおりさん……!」

 いつの間にか、水槽から飛び出して、輝きながら浮かぶ金魚が、妖艶に揺らめいている。
「え? 栞さん?」
 一矢の視線を辿って、静流が水槽の方へ顔を向けた。
「これが栞さん……」

 ――イチヤさん。もう逃げられない。最後まで、アズサを追って。

「うん、わかってるよ。そのつもりだ」
「一矢……」
 静流は一矢の顔を振り向いてから、立ち上がって、栞さんの水槽の前まで進んだ。
「これが栞さんかぁ……」
 そう言うと、静流はしばらくそのまま立ち尽くしていた。




Next……第22話はこちら



この記事が参加している募集

私の作品紹介

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?