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【小説】死ンダ君モ愛オシイ 第23話

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 雑に散らかった、埃っぽく狭い応接室に似つかわしくないような、いや、逆に似つかわしいような、その派手な女性は、名刺を片手で差し出してきた。社長のくせにマナーも知らないのか。悔しいから自分も片手で受け取り、こちらの名刺も片手で押し付けてやろうかと思いながら、一矢いちやは丁寧に両手で受け取り、両手で差し出した。同じレベルに成り下がって品位を失うわけにはいかない。

 しかし……この人がアズサを拾った人間なのか。ソファに腰かけるとベコッという謎の音がした。硬くて座り心地が悪い。茅野かやのと名乗る女性は、黒っぽいダークブラウンのリップに、パープルのシャドウ、太いアイラインにバサバサのつけまつげという顔面の武装に加え、カラフルな幾何学模様のブラウスが目に眩しく、その上まるで値踏みでもするかのような目でこちらを見てくるから、一矢は思わず視線を逸らした。アズサはお世話になったのかもしれないが、あまり好きになれないタイプだ。
「先日は……こちらの不手際があり、申し訳ありませんでした」
 まずは深く頭を下げた。「コーヒー、どうぞ……」と背後から消え入りそうな声が聞こえる。前回来た時にもいた、年齢不詳の女性社員だ。謝罪中に背後からコーヒーを差し出すとは……嫌がらせだろうか。
「あはは、その件はもういいのよ。新しいのを用意してくれるんだってね。期待してるわ」
「はあ……」
 茅野の話は当然気になるのだが、テーブルのふちギリギリのポジションに置かれたuccの紙コップコーヒーが視界に入り、そっと安全な場所に置き直した。こんなところにトラップが。油断も隙もない。
広川ひろかわ一矢さん。うちの子……あずさ柚希ゆずきの同居人ですって?」
「……」
 同居人……嫌な言い方をする。これはわざとなのか、それとも恋人だとは知らなかったのか。まあ、敢えて訂正するつもりはないが……。
「どなたから聞いたんですか?」
「柚希からいつも話を聞いていたから」
 一矢は無言で茅野の瞳の奥を探った。ほんとに? アズサが? 名前まで出して? にわかに信じがたい。
「どんな話を……」
「そうね、あなたが大事だったみたいね。守りたかったのかしら」
「守りたい……?」
 ほんとに? アズサが? いやいや、守りたいっていったい何から……。絶対おかしい。どう考えても、あのアズサがそんな話をする様子を、想像することができない。いくら死後、知らないアズサの顔を知ったとはいえ、さすがにこれはない。でもそれなら、この女の言葉にはどういう意図があるというのか。一矢は眉をひそめて、不敵な笑みを浮かべる茅野の顔を見ていた。
「遺品はもう整理したのかしら? もしも……なにか怪しいものを見つけたら、ぜひ報告してほしいの」
「怪しいものって?」
「ふふ、たとえばの話よ。よくわからない、なにかのデータとか。もしかしたら仕事の大事な資料とか、残してしまっているかもしれないから。私も社長という立場上、会社の情報が漏れたら困るでしょう? ああ、怪しいものって言い方はよくなかったわね。でもあなたにとって、意味不明な資料は怪しいもの、でしょう?」
「はあ……」
 それを言うためにわざわざ自分を呼び出したのか? 怪しいな。
「まあ、もちろん、柚希はそんな悪い子じゃないってわかってるわよ。あなたにも『迷惑』がかかるかもしれないしね」
 なんと答えればいいかわからず、一矢が茅野から視線を逸らして、ふと窓際のデスクに視線をやると、資料の山の脇に見覚えのあるカメラを見つけた。
「あの、あれは……アズサのカメラでは?」
 気だるげに茅野は一矢の視線を追うと、「ああ」と言って立ち上がった。高いヒールでゆっくりデスクまで歩き、カメラを片手で掴む。アズサが大事にしていたカメラを、雑に扱われた気がして、一矢は不快に思った。
「あの子の私物だから、同居人のあなたにお返ししてもいいけれど……」
 再び「同居人」の言葉がチクリと刺さる。
「あいつが大事にしていたものだから、持ち帰ってもいいですか?」
「ふ、構わないわよ」
 座っている一矢の横に立ち、片手で差し出されたカメラを、一矢は両手で受け取る。ズシリと重い。こんなに色んな重みのある精密機器を、よく片手で掴むな。神経を疑ってしまう。いや、でもアズサの恩人なのだ。我慢しろ。
「なぜここにあいつのカメラがあるんですか? 私物なのに」
「あの子が置いて行ったのよ」
「それはいつ……」
「亡くなる前日。辞職するって言って」
 腰に軽く手を当て、まだ横に立っている茅野を、一矢は見上げた。頭上からの視線に威圧されている気がする。
「あいつ、仕事辞めてたんですか?」
「あら、話してなかったのね」
 不快な気持ちを、ぐ、と堪えた。
 前日に仕事を辞めていた? それって死んだことに仕事は関係しているのだろうか。それとも迷惑をかけないように前以まえもって辞職したとか?

「ホワイトメールって変わった名前だね。なんか意味あるの?」
「さあ……特に意味はないんじゃない。うちはブラックだよ」

 アズサとの会話が蘇る。前回ここに来た時には、アズサの言う「ブラック」がしっくりこなかったけれど、なぜか今は頷ける。実情は知らないけれど、この社長はブラックを醸し出している。アズサは元々、職場に誇りを持っていなかった。それでもずっと働き続けていたのに、なぜ死ぬ前日に辞めたのか。

「行き場を失ったあいつを……茅野さんが拾ったと聞きましたが」
「まあ、そうね。でも、仕事と安い部屋を与えただけよ。部屋も借りられない状態だったみたいだから、ほっとけなくて」
 アズサの恩人っていってもなぁ……。アズサは、この人のことをどう思っていたのだろう。
「私はあの子の母親代わりみたいなもんなのよ。あの子、母親にあまり縁がなかったようだから」
 アズサを溺愛し、その後、コンプレックスから嫌悪して勘当した実の母親。勝手に夢中になり、愛人扱いをして、挙句心中騒動に巻き込んだ佐倉さくらの母親。たしかにあいつは「母親」に縁がない。母親代わり? あいつはそんなもの、懲り懲りだと思うが。
「話はそれだけですか?」
「あら、棘があるわね」
「そういうわけではないですが……なぜわざわざ呼び出されたのか理解できなかったので」
「ただお話してみたかっただけよ。あの子が慕っている同居人の方が、どんな人なのか気になっていたから」
 死んだ後に? 結局、「なにか」を見つけたら持ってこい、と脅しをかけておきたかったということなのだろうか。不穏な臭いがぷんぷん漂っているが、大丈夫か?
「では……これで失礼します。デザインの方はまた後日、担当の者がご連絡致しますので」
 そう言いながら、一矢はテーブルの上の名刺ケースに重ねた茅野の名刺をしまい、身支度を整えようとした。アズサの話をもっと聞きたかったけれど、この人の口からは聞きたくない。
 その時、ガチャリと応接室のドアが開いて、野太い声の男が顔を出した。
「あ、すんませんしおりさん、上から急ぎの連絡来てて――」
「まだお客様がいらっしゃるでしょう? すぐに折り返すと伝えて」
「あい、すんません」
 え……? 一矢が動きを止め、息を飲んだ。たった今しまったはずの名刺を取り出す。
「広川さん、悪かったわね。今日はお会いできて嬉しかったわ」
「あ……はい……」
 ちらっと見ただけで、全然気がつかなかった。「茅野栞」……栞さん? 名刺を片手に、凍り付いたように動けない一矢を、不審そうに茅野が見つめている。
「どうかしたかしら? 顔色が良くないわよ」
「いえ……すみません」
 ごくりと唾を飲み込み、慌てて再度名刺をしまって乱暴に鞄を掴み、そして大事にアズサのカメラを持って、勢いよく立ち上がった。
「では、失礼します」
 素早く頭を下げて、そそくさと応接室を後にする。店内にいたメガネ男が何か声をかけてきたけれど、「どうも」とか「失礼します」とか適当なことを言って、店を飛び出した。
 頭が真っ白だ。脳に酸素が足りないのかもしれない。突然のことでびっくりしてしまったから。ええ……どういうことなんだ? あの女性が、栞さんだと?

 もう、ついていけない。溢れるほどの情報が暴力的に襲い掛かってくる。そして絶対ここで終わらない。まだ午後五時前。頬に触れる微かな風はひんやりと日暮れの冷気を帯びているが、仕事を上がるには早過ぎる。しかし今会社に戻ったとして、いったいどんな仕事ができるというのだ。一矢はスマホを取り出し、佐倉に電話をかける。直帰すると伝えただけで、ホワイトメールの話はしなかった。佐倉は心配そうに、「なにかあったか?」と尋ねてきたが、今度話すとだけ言った。本当に今度話すつもりは今のところない。佐倉には関係のない話だし。これ以上、アズサの件に関わらせたくないし、あいつだって関わりたくもないだろう。いや、心配だから話してほしいって、本当に思っているかもしれない。でもそんなことは今、どうでもいい。佐倉はとりあえず置いておこう。直帰できることになったので、文字通り真っ直ぐ家に帰る。話はそれからだ。頭の中が闇鍋状態。このままでは車や電車に轢かれてもおかしくない。……それはシャレにならないな。

「栞さん!」
 自宅マンションに無事到着し、玄関のドアを開けるなり、一矢は叫んだ。部屋の中に進む。靴はちゃんと脱いだ。
「栞さん!」
 リビングに勢いよく踏み込むと、冷たく静まり返っていた。想定内。めげずにそのまま水槽まで進む。問題の金魚はいつも通りのクリアな広めの水槽の中で、水草をかき分けながら、透けたひれを振っていた。話す気はないか。肝心な時に金魚のフリをする。フリ? いや、こいつの正体は何なのだ? ただの金魚なのか? なぜ、こいつが「栞さん」なんだ?

 ――私が、間違いかもしれない、とは考えませんか?

 昨日の金魚の言葉が蘇る。あの時はただ、また意味がわからないことを言っていると流したが、実は意味があったのでは? こいつが、間違い。金魚の「栞さん」が間違い? なにかが、わかりかけている。このヒントを掴みたい。

 普通に考えて、金魚に名前をつけるくらいなのだから、大事な人、なのかもしれない。あの女性が? いくらお世話になった恩人だと言っても、あの人が、アズサの中で、名前を借りるほどの思いがある存在とは思えない……というか、思いたくない。いや、ないよな? ないと思うけど。あー、自分の感覚が信用できない。今日、茅野から聞いた話も、信じられないものばかりだった。あの人の話は信じなくていいと思うのだけれど、いや、どうなんだ? アズサが「同居人」の話をしていたって? 大事にしたい、守りたいって? そんなことを口にするあいつはどうしても想像できない。ないだろ、流石に! でも、自分の知らない「柚希」なら? 惚気話のようなものを聞かせ、大事な女の名前を金魚につけるか? ないだろ、流石に! ないよな?

「おい、金魚」
 一矢はイライラして水槽をコンコンと叩いた。金魚は全く動じない。
「誰なんだよ、お前は! 誰なんだよ、柚希って!」




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