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鈴木秀之のノート。

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(令和3年3月14日〜)
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2023年1月の記事一覧

人間の「性格」について。

人間の「性格」について。

人間の「性格」って、なんだろう?
というのをね、以前、考えてみたときがあって。
それで思いついたのは、その人が
どのような「ことば」を使うのか、
ってゆうことがさ、つまり、その人の
「性格」なのではないか、と思ったのよね。

とは言ってみても、でも、それは
「ことば」だけでは計りきれない、
とも考えるの。

たとえば、あることばを、
どういう声で言うか、とか、
どういうスピードで言うか、とか、

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ことばが変化すること、ことばが残ること。

ことばが変化すること、ことばが残ること。

中学生や高校生のころ、
国語の授業が不得意だったぼくは、
古文というのも苦手だったけれども。
今になって考えてみれば、
古文って、不思議、というか、つまり、
じぶんたちが生まれる前のもっともっと
昔の人によって記されたことばが残っていて、
今でも読むことができる、って、
すごいことだなあと思える。

いや、ぼくの場合は知識が無いので、
実質的には「読む」ことはできないけど、
それでもね、現在ならば

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「いとおかし」のことを思い出しながら。

「いとおかし」のことを思い出しながら。

きのうとおとといのブログの中でね、
「お菓子」について考えていたら、
これはダジャレで申し訳ないのですが、古文の
【いとおかし(いとをかし)】
のことを思い出していたんだった。

古文についてぜんぜん詳しくないぼくでも、
【いとおかし】とは
「とても趣きがある」のような意味がある、
ということは知っている。つまり、
【おかし】とは、現代の日本語では
「おかしい」とか「変」とか、言うなれば
よくない

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うれしくてたのしいお菓子について。

うれしくてたのしいお菓子について。

さくじつのブログでは、ぼくの
好きなお菓子のことをしるしながら、
それを書いてたら、なんだか
うれしい気持ちになってきた、ってゆうのをね、
ブログの最後で書いたですが。
お菓子とは、やっぱり、
人をうれしい気持ちにさせるものだなあ。
このうれしさとは、つまり、
味がおいしい、というだけに限らず、
その雰囲気がたのしい、
ってゆうこともあるんだろうなあ〜。

たとえば、ロッテの
「コアラのマーチ」の

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ぼくの好きなお菓子のこと。

ぼくの好きなお菓子のこと。

ぼくのすきなお菓子のことを言うとすると、
たとえば、「アルフォート」はね、
ミルクチョコレート小袋10枚入りを、
だいたい、いつも、家の棚で常備している。
食べながら、そろそろ無くなってきそうになれば
ちょっとさみしくなってくるぐらい、
「アルフォート」好きだなあー。

また、常備とは言えないのですが、
いつも買っているのはね、
「キットカット」のミニの
「オトナの甘さ」12枚入り、と、そして、

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摂氏と華氏と生物の繁栄。

摂氏と華氏と生物の繁栄。

おとといにひきつづき、昨日の夜も
車の温度計には「−1℃」と表示されていて、
温暖と言われるここ愛知県豊橋市でも、
時間帯によってはマイナスの気温が登場している。

マイナスということはさ、つまり、
水が凍るということで、
ならば人間だっても、成人の場合では
65%ぐらいが水なのだそうだから、
人間だっても、凍ってしまうのか。。。

と、ここで思い出されるのは、
気温の単位には、
「摂氏」と「華氏

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「−1℃」の表示と健康と安全と。

「−1℃」の表示と健康と安全と。

こうもさむいと、もう、
「さむい」のことしか、
かんがえられないなあ。

さむい〜。

ぼくの住む愛知県豊橋市は
温暖な地域と言われていて、
雪だってもほとんど降らないし、ましてや
雪が積もるのは十年に一度ぐらいかな。
たとえば、昨年のクリスマスの日のとき、
名古屋は大雪だったけれども、
豊橋では積もることも、もしくは
雪が降ることも無かった。

そんな豊橋市でもね、
昨日の夜、車の温度計には

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明日のブログのことを考える日々。

明日のブログのことを考える日々。

日々、ブログを書く、ということは、
日々、明日のブログはどうしよう?
と考えることと同義だ。

つまりはさ、
毎日、ブログを書く、ということは、
毎日、明日のブログについて考えることであり、
それはつまり、たとえば、
今日のブログを書き終えて、
その文章を見直して、公開してから、
ほっとしたのもつかのま、即、
明日のブログのことを考え始める。

そんな明日のブログのことをね、
食事をしながらも考え

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振り向かずにディスカバリー。

振り向かずにディスカバリー。

先日のブログでは、そのブログをしるしながら
ふと思い出していたMr.Childrenの
『#2601』という曲の歌詞を、
すこし引用するようにして書いたですが。
それからなんだか、この
『#2601』を無性に聴きたくなって、ひさしぶりに
Mr.Childrenの1999年リリースのアルバム
「DISCOVERY」を聴いていたの。

アルバム「DISCOVERY」の発売当時、
ぼくは高校2年生なのか

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伝えたいことがあるんだ。(『I'll be』ver.)

伝えたいことがあるんだ。(『I'll be』ver.)

前回noteでは、どうしてぼくは、
こうして日々ブログを書いているのか?
ということについてしるしましたが。
もうすこしこのことについて考えてみると、ぼくは、
こうして日々ブログを書きながらも、
なにかを、だれかへ、
「伝えたいこと」というものは、
とくに持っていない。

ともすれば、ぼくは、
なにについて、だれにあてて、
ブログを書いているのか?
というのも、よくわからないんだ。

たとえば、

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ぼくはなぜ日々ブログを書くのか。(「恩恵」篇)

ぼくはなぜ日々ブログを書くのか。(「恩恵」篇)

なぜ、ぼくはさ、
日々、ブログを書くのか?
という問いは折に触れて考えるけれども、
いまだはっきりとした答えはわからないんだなあ。

たとえば、ぼくは
文章を書くことが、
嫌いではないとは思うけど、でも、
特別、好き、だとも言えないと思うし、
ましてや、得意だとは決して言えないなあ。
かと言って、得意では無いんならば、
文章を書くことが上手に成りたい、
というふうにも思っていないと思われるし、

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ぼくには何も創り出すことができない。

ぼくには何も創り出すことができない。

ぼくは、おとうふが好きなんだなあ。

たとえば、
夏ならば冷やっこ、そして、
今の季節ならば湯どうふ、
なんて、もう、さいこうだし。
はたまた、どの季節だってもね、
麻婆豆腐はうれしすぎる。

そんなおとうふ好きのぼくなのですが、
そのおとうふがさ、
どういうふうにして創られているか?
ってゆうのはよく存じない。
原材料が大豆だということは、
知ってはいるけれども、でも、
大豆をどのようにしてから

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思い始めているような気がすること。

思い始めているような気がすること。

昨日のブログでは、現在40歳のぼくは
これからだんだん老いながら、
いつか亡くなる、ということをね、
このごろ、どことなく
じぶんの中で思い始めているような気がする、
みたいなことを書いたのですが。

とは言ってみても、
「思い始めているような気がする」
ということは、まだ、ぜんぜん
その入り口のドアへと手をかけた、
ぐらいの感覚で、つまり、
「老い」とは何か?
なんてえのは、まったくわかんない。

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「さみしさ」が増えてゆくこと。

「さみしさ」が増えてゆくこと。

10代ぐらいまでのころならば、
ある有名人が亡くなった、というニュースを
テレビで見かけたとしても、
いっしょにテレビを見ている母が、
え、この人、亡くなったの?
って言ったとしても、ぼくはさ、
その有名人の方をよく知らない、
という場合のほうが多かったとも存じますが。

ぼくも現在、40歳となって、
「有名人の方が亡くなられた。」
という訃報のニュースを聞けば、その方とは、
お名前を存じているだ

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