年末に、母入院 ~介護と癒し~
2023年12月31日。
「は~~」と穏やかな気持ちでおりますが、29日20時ごろ、母が入院しました。
入院するまでも、年の瀬で何だか慌ただしかったのですが、入院することになり、さらにそれが加速。
誤嚥があり、私がかけつけた時には、酸素飽和度が82%・熱も37.7度。
意識ははっきりしていて、私が来たことも認識していましたが、何度も咳をして、口の中にあるものがちょっとずつ出てくる感じ。
我が家は車がないので、救急搬送してもらいました。
初めての入院
診断では、「誤嚥性肺炎の可能性あり」
血液検査は異常もなく、肺の炎症もあまり見られないとのことでしたが、その後の経過もあるので、入院することになりました。
主治医の先生からは、万が一のこともあるので、どこまで生命を維持するサポートを行うのかも、認識を共有しました。
考えてみると、母は入院したことがないので、私も入院をサポートした経験がありません。
ただ、コロナ禍の後だったからでしょうか?
諸所手続きがあるとはいえ、少額で、日常必要なもののアメニティセットも購入できます。
家族が準備して病院にもっていくものは、
・薬
・マスク
・普段使いの化粧品
・保湿クリーム
ぐらい。
本当に助かりました。
救急搬送時に準備できていなかったものは、30日に施設に取りに行き、病院に届けました。
「おせち料理は・・・」
残念だったこと。
病院では、いまだ面会は「1週間に1回。1回15分のみ」。
もう少し緩和されているのかと思いましたが、そうではなかった・・。
いずれにしても、まずは口からスムーズに食べられる状態になることが先決。
母に入院を告げると、「おせち料理食べられへんの・・・」と。
そう、去年は、施設での面会が30分だったため、何かを一緒に食べるなんてできず。
今年は、一緒に施設でおせち料理を食べることを楽しみにしていたのに、、(ちょっと悲しい)
12月30日の面会
翌日16:00、面会に行くと、担当の看護師さんから、「すっかりよくなって、熱も下がり、お昼も完食でした」と教えていただきました。
当初絶食の方向だったのですが、その間、嚥下機能の低下の可能性もあるとのことで、食事ありに。
ほんとによかった。
ちょっとホッとできた感じ。
ベッドで面会スペースまで来てくれた母は、私のことを認識できていて、ラッキーなことに、クリアな声で話をすることもできました。(日や時間帯によって、発話がないこともあるので)
昨日咳き込んであんなに大変だったこと・・「覚えてない」と言われ、驚きましたが、それはそれでよし(笑)
ここが病院であることも認識できていて、どの病院にいるのかは誰からも伝えられていないと思うのですが、「〇〇病院」と分かっていたので、それもびっくりでした。
話かける時に、なぜか涙が流れてきて、
母「なんで泣いてんの?」
私「なんでやろ? 涙が出てくるねん」
母「〇〇(私の名前)がいるから、ママは悲しくない」
悲しいわけでもなく、嬉しいわけでもなく、愛おしさという感情なのでしょうか?
母から発せられている「ピュアな透明感」みたいなものに心動かされるのかもしれません。
私「逝きたかったら、いつでも逝っていいんよ。生きてたかったら生きてて! 好きにしていいんよ」
母は、それには返事をしませんでした。
次のフェーズへ。今後…
現在の施設では、痰吸引等対応ができません。
そう、1年半ほど前、入所した当時は、要支援2。(遠く昔のように感じますが・・)
体の状態がずいぶん変わってしまいましたし、今後のことも鑑み、ケアマネージャーさんには、施設の変更を検討することを伝えました。
ある意味、入院は、「次の介護を考える」よききっかけになりました。
1月1日は面会に行き、その後東京も戻ります。
1週間もしたら、今度は関西に移動し、退院の支援をする予定。旅は続きます!
お礼
今年3月、春分の日からスタートしたnoteですが、無事1週間に1回の投稿を継続することができました。
”母の介護”がなければ、”母”がいなければ、経験ができなかったこと。
親というのは、なんて有難い存在なのだろうと改めて感じます。
noteを通して、素敵な方々とのつながりもでき、時々で深く考えさせられ、励まされました。
実際にお会いしたこともなく、どこにお住まいなのかも知らなくとも、このようにつながれていることに本当に感謝です。
ありがとうございます。
そして、来年もどうぞよろしくお願いします。
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