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「人それぞれ」の危険性|「父が息子に語る 壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書」読書感想

本記事の引用文は全て、スコット・ハーショヴィッツ著「父が息子に語る 壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書」のものとなります。

「人それぞれ思うことは違う」
「人には人の正解がある、正義がある」
といった、各々の、様々な価値観を容認する立場を取ることを「相対主義」という。

これは一見人々や世界に寛容で穏健な立場のように思える。僕自身も割とこういった立場から物事をみている節がある。
だからこそ、そんな相対主義に危険性があることを、スコット・ハーショヴィッツ著「父が息子に語る 壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書」で指摘されてはっとした。

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彼ら(相対主義者)は真実を「相対化」することによって、自分たちの真実を維持しようとしているのだ。

相対主義は、一見お互いの立場を認めているようにみえる。
しかしそれは同時に「あなたはそう思っているんでしょうね。でも私はこう思っていますよ」と決別を言い渡しているようにもみえる。さらには「あなたがそう思うのは否定しません。ですから私がこう思うのも否定しないで下さい」と拒絶しているようにもみえる。
これでは対話も歩み寄りもあったものではない。
著者はそんな世界を次のように語っている。

これは、すべての人が別々の陣営に振り分けられるという暗い世界観だ。そのような世界では、衝突があるだけで対話はできない。(中略)それぞれの道徳のなかで、両者とも正しいことになる。

「それぞれに正義がある」つまり「絶対的な正義はない」という考えを全ての物事に適用させてしまうのは危険が伴う。
たとえば本書内でもあったが、大量虐殺をする集団がいたとしよう。彼らはそれを正しいと思っている。相対主義に立つと、その大量虐殺を「あなたが正しいと思っているならあなたにとっては正しいんでしょうね」と認めなければならなくなってしまう。

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僕は本書を読んで、自分は結構な相対主義者かもしれないと思った。
昔から「社会規範や社会通念や世間体や道徳や倫理観なんて、場所や時代によって変わるものでしかない。どこかの誰かが定めたものでしかなく、あるいは定めてすらもいないものなのだから、価値があるかどうかは自分(人それぞれ)で決めればいい」と思っていた節があるから。

それで様々な束縛から離れられたため楽でいられたが、上記のような危険性まで考慮していたわけではない。
自由を求めていたのに分断に手を貸していたとしたら、それは本望ではない。

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昨今様々な区別が進んでいる。何もかもを網羅して考慮するなんて不可能なほどに。
それが相対主義に拍車をかけている気がする。

ならどうすればいいかというと難しいが、とりあえずはその危険性だけでも認識しておけば違ってくるでのはないだろうか。


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その分活字を取り込んで吐き出します。