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“自分を生きる”ために旅する人生を。

誰しもが、心の中に"モヤモヤ"を抱えながら生きている。
いっそのこと全て消し去って、どこか遠くへ旅したくなるときだってある。
そんな時、「自分の違和感と共に生きる」ことの大切さを教えてくれたのが、ヘラルボニーでした。

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みなさん、はじめまして。
2023年4月3日に新卒で入社いたしました、リテール部門ECチームの勝木大地(かつきだいち)と申します。

入社の1年前にインターンしていた頃は、東京にオフィスもなくメンバーも20人弱でしたが、今は気づけば倍以上のメンバー数となり、大手町にある綺麗なオフィスで日々を過ごしていることに自分でも驚いています。

日々変わり続けているヘラルボニーですが、当時から何一つ変わらないなぁと思うこともたくさんあります。
それは「違和感を言語化する」というカルチャーです。

誰しもが、日々生きている中で、多かれ少なかれ何かに対して違和感を感じることがあると思います。僕もそうでした。
しかしこれまで、そうした違和感を言語化することはありませんでした。

それは、自分自身のボキャブラリが乏しいからというのもありますが(笑)、それ以上に、その想いを言葉にしたら周りからどう思われるか、それが怖くて、”言語化したくない”とどこかで自分にストップをかけていたからだと思います。

でもヘラルボニーと出逢って、メンバー1人1人が綴るnoteを見て、僕も一歩踏み出そうと決心できました。

このnoteを機に、自分の人生を振り返りながら、心の中に閉じ込めていた想いを、きちんと言葉にしていこうと思います。

まずは、簡単な自己紹介から。


自分という人間について 

【基本情報】
今年で24歳になるミレニアムベイビーです。

京都生まれの北海道育ちで、小学校4年生~6年生は野球、中学・高校はバスケットボールに没頭していたスポーツ少年でした。
また、中学から親元を離れて初めての寮生活というものを経験し、トラブルメーカーな僕は毎日のように先生や先輩から愛の鞭を受けて6年間過ごしてきました。

その後は上京し、八王子にある創価大学に入学。
晴れて夢の一人暮らしができるかと思いきや、家庭の事情によりまたしても寮生活へ。そこでは2年間を過ごし、気づけば計8年間も過ごすほどの寮生活スペシャリストに。

僕の青春のほとんどが寮生活の思い出といっても過言ではないですが、他にも大学時代では、入学式や大学祭などを運営する実行委員会などの学内活動に携わらせていただいたり、大学で出逢った友人と2人で東南アジア一周の旅に出たりしたことも大切な思い出です。

歩いて、登って、泳いで、笑い合った東南アジア一周の旅。
しんどい時には、この動画を見返えすのがルーティーン笑
(画像タップすると動画が見れます👆)

【どんな人?】
よく周りの人からは、「勝木ってすぐ人に影響される素直なやつだよな!」と言われていました。

確かに振り返ってみれば、
部活動やサークル、バイトを決めたのも友人の誘い。
進学先や寮生活を決めたのも家族の影響。

これまで人生の多くの決断を身近にいる人から影響を受けてきた、そんな人生でした。

もちろん、誰かに影響されての決断と言っても、自分が納得した上で決断した選択もあります。でも、中には曖昧な気持ちで周りに合わせようと、流されてしまったりする自分が好きになれませんでした。

これからは
誰かのせいにして生きるのではなく、
周りのふつうに合わせて生きるのでもなく、

「自分の選択に心から納得して、自分の人生に誇りと責任を持って生きていきたい。」

そんな想いに突き動かされたのは、とある"モヤモヤ"がきっかけでした。

人生の迷路

僕の中にあるモヤモヤを話すうえで、避けては通れないものは「宗教」。
皆さんは宗教について、どのようなイメージを持っていますか?

もしかしたら、宗教に対してマイナスなイメージを持たれている方も少なくないんじゃないかなと思います。ですが、ここからはあくまで自身の原体験から感じた想いや葛藤について、温かい気持ちで読んでいただけると嬉しいです。

社会人になってからは無宗教の僕ですが、実は宗教を信仰している家庭で生まれたため、幼い頃から生活の中心には宗教がある日々。

年齢を重ねるとともに周りの人や社会との関わりが増えていく中で、強い違和感に葛藤することが多くありました。

例えば、
「宗教は怖くて、触れてはいけないもの」といった社会にある空気感。
ネットを見てみると、宗教に対して飛び交う偏見の言葉の数々。
母校の大学について話す時も、少し壁を感じるような冷たい目で見られてしまう時があるんです。

宗教に属する人って、そんなにも怖い人ばかりなのだろうか?

これまでの人生、悩んだ時に真っ先に寄り添ってくれて、いつも温かい言葉を贈ってくれたのは、大学を通して出逢った宗教を信仰している友人や家族です。

僕自身、まだ物的証拠のないモノを信じられないことも多くあるけれど、少なからずそれらの行動から、生きる上で軸となる「哲学」や「思想」を持ち、自他共のために行動する姿を心からリスペクトしています。

だからこそ、「宗教に属しているから」というフィルターで見られる偏見の言葉や視線が、僕だけでなく大切な友人や家族に対しても矢のように突き刺さるような感覚になる時があるんです。

「全然怖い人ばかりじゃないんだよ!」って声をあげたくなるけど、どんな言葉が飛んでくるのか分からない世の中だから正直怖い。

結局は無意識的に「宗教に属している自分」をありのままに話すことは少なく、宗教に属さないような 社会にある”ふつう”に合わせて生きることしかできない自分に違和感を感じていました。

その反面、
宗教に入っている友人や家族との何気ない日常会話でも、少し違和感を感じることがあるんです。

例えば、
恋愛の話をする時、「結婚するとしたら、同じ宗教の人とするべきだよね〜!」とか。
自分の身に少し悪い出来事が起きた時、「普段祈れてないからそうなったんじゃない?」とか。

ほんとに何気な〜い一言。

特に違和感を感じることは、宗教自体から抜ける「脱会」について。

脱会=幸せになれない、というイメージがある故に、「脱会してほしくない」という言葉をかけられることがあるんです。

信仰することの価値を体感しているからこそ、大切な人にはもっと幸せになってほしいという想いが溢れた言葉なのかもしれないけれど、それだけが本当にその人にとっての幸せなのだろうか。

僕は、もっと自由で、もっと色んな選択肢があってもいいと思うんです。

人それぞれのタイミングがあり、その人が本当にやりたいと思った時にやれるような、一人一人の生き方の選択肢を尊重し合えたらもっと素敵なのに、、と思う場面が多くあります。

強制ではないけれど、「こうあるべきだよね!」という空気感にどこか選択の自由を奪われているような感じがしたりして、宗教の中にある"ふつう"に合わせて生きている自分に違和感を感じていました。

外にも内にも存在するモヤモヤの渦に流され、この想いをどこにぶつけたらいいのかも分からないことが、とても息苦しくて、生きづらいと感じていたんだと思います。

その中で迎えた就職活動では、「何のために就職するんだろう」「何のために生きるんだろう」という問いがわからないまま、1日が過ぎていきました。
まさに、人生の迷路に迷い込んだような日々だったことを覚えています。

父から届いた一通のLINE

そんなある日、父から一通のLINEが届きました。

2021年10月22日 へラルボニーを初めて知った日。

父:なんか知的障害のある人が描いたアートを通して、ネクタイ、スーツのプロダクトから、駅とかの街全体を彩ってる面白そうな会社あるで!
ヘラルボニーって名前らしい!

僕:ベラルボニー?

名前を間違えてしまうほど、今まで聞いたことのない不思議な言葉。

吸い込まれるように、会社のHPYoutubenoteを見てみるとこんな言葉がありました。

「異彩を、放て。」

“普通”じゃない、ということ。
それは同時に可能性だと思う。

僕らは、この世界を隔てる、
先入観や常識という名のボーダーを超える。

障害の有無にかかわらず、
誰もが、ありのままで生きていける社会を創るために。

社会のため、人のため、ではなく
「自分の違和感のため」に。

その思想を知った時、ビビッと体に伝わる”何か”がありました。

それは、自分が今まで感じてきたモヤモヤを払拭させてくれるような、強くて熱いメッセージであり、社会にある見えない偏見に対して、違和感を感じていたのは僕だけじゃないんだ、と心が晴れていくような言葉でした。

また、調べれば調べるほど、
ヘラルボニーが挑戦する「福祉」の分野にも様々な偏見があることを知りました。

例えば、「障害のある人=可哀想な人」という偏見。

僕は偶然、アルバイトで重度の障害のある方の介護をしていたということもあり、無意識的に「可哀想だから」と支援や貢献の文脈で接してしまっていたことに気付かされました。

僕が今まで感じてきた、宗教観の違いによる生きづらさがあったように、「障害者」という言葉のイメージによる生きづらさを抱えている人がいることを知りました。

自分の中にある普通や常識を問い直すことの大切さを学んだと同時に、クリエイティブを通して、社会に対する違和感を人の心に届けるヘラルボニーに憧れを抱いた瞬間でした。

「まだ知らない世界をもっと知りたい。"自分の違和感のため"に生きてみたい。」

という直感的な想いに駆られ、ヘラルボニーのインターンに応募しました。

僕にとってのヘラルボニー

仮囲いアートミュージアムの施工に同行し、初めての作業に苦戦するインターン生3人組。

インターンを始めてから約2年間。
全てにおいて想像以上に刺激的な日々を過ごしています。

企画を創り上げていく際には、
どうすれば、市場ではなく、思想を開拓し続けていけるのか。
どうすれば、社会に、目の前の1人に、ヘラルボニーらしいを形にして伝えていけるのか。
どうすれば、作家さんやそのご家族、施設の方々、クライアント、お客様、そしてヘラルボニーのメンバーを含めた「全ての人」が幸せになれる状態を生み出せるのか。

世の中の価値観や普通を問い直すだけじゃなく、正解のないものに向かって試行錯誤しながら、思想を共に創り上げていくことの難しさを痛感しています。

時折、会社の成長スピードに圧倒され、何をしても上手くできない自分が悔しくて何度も挫けそうになることもありますが、それでもヘラルボニーにいたいと思うのは、愛を感じられる温かい場所だから。
メンバー1人ひとりが心からリスペクトできる素敵な人ばかりだから。

「ありのまま」を肯定してくれるメンバーといると、不思議と自分だけでなく、周りの人や社会に対しても、もっと向き合おうと思うし、もっと好きになりたいと思わせてくれるんです。

改めて、メンバーと、ヘラルボニーと、出逢うことができたことを心から誇りに思い、感謝しています。

"自分を生きる"ということ

普通や常識に流されていく周りと自分を見て、心の中で何かが引っかかる毎日でしたが、 その生きづらさがあったからこそ、たくさんの素敵な人の思想や生き方と出逢うことができました。

「自分を生きる」ってどういうことなのか、noteを書いている今でも探し続けていますが、一つ心から思えるのは、ありのままの今の自分と向き合いながら生きるのを諦めないことが大切なのかなと思っています。

時には一歩踏み止まって、本や映画、身近な人たちとの対話を通して、心の奥にある想いを言語化したり。

時には一歩踏み出して、まだ知らない世界の人たちや景色との出逢いを通して、心から鳥肌が立つような感情と出逢ったり。

旅をするように色々な価値観に触れながら

ありのままに向き合った真っ白な心で、

自分の人生を、自分で選択し、歩み続ける。

前にも後ろにも進めない自分でいるよりも、

今日よりも少しだけ、明日の自分を好きになるために。

そんな生き方を、何歳になってもずっと大切にしていきたいです。

勝木 大地

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