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なにかをきっかけに記憶が津波のように押し寄せてくる

先日、鎌倉に1泊し、次の日の朝、予定があったので、別のゲストハウスに向かっていました

その道を歩いて、ある場所にやってきたとき。

記憶がどばっと・・本当にどばっ・・・と溢れてきて

なんとも言えない気持ちになり思わず立ち尽くしてしまった

その場所は10代の苦しい時代を過ごした場所だったのです

謎のパワハラ飲食店で働いていたときの。

なぜか私の10代はそういうきもちわるい大人たちで埋め尽くされていたんですが、
その出来事に。いったいどれほどの意味があったのだろうと、途方もない年月が過ぎた今も想います。

虐待受けて育った子たちもこんな心境なんだろうな・・

なぜ自分の親がこんな親なの?
なぜ自分がこんな体験をしなくちゃならないの?

そういう理解を超えた出来事を目の当たりにしたとき
意味や理由を求めがちですが

私は、出来事に実は意味はないんじゃないかと想っています。
意味がないことがランダムに起こって、それによって喜ぶ人もいれば喪失する人もいる

そういう理不尽の意味探しのために大切な今を使い

過去を見続けるのって苦しくないですか?

私は実は過去を変えていくのは過去を修正することじゃなく

未来に目を向けることだと想っています。
そういう過去の罠みたいのがあるように想います、自分の実体験から。

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