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67.生活保護制度のこと

現在の日本は、生き辛い時代になりました。

既に“生きる”ことが大変というか…“生きる”ことに莫大なお金がかかるようになってしまいました。

日本は払った税金に対して、充分な還元を受けられているという実感を感じられない国として有名です。
 
その結果、国民は自国の政治…政府を信頼していない人が大勢いますし、“自己責任で生きていくしかない”と考えている人も多いのかもしれません。
 
“自助社会”です。
 
国の流れとして、今のままを維持・継続するのであれば、今後もその状況は酷くなり、後に生き残った人たちは長生きすればするほど、暗黒の世界に生きることになるのかもしれません。

今の前の首相の“最終的には生活保護がある”という発言が大きな波紋を呼んだのは記憶に新しいところです。
 
生活保護が社会保障における最後の砦ということはその通りですが……そういうことではなく、人の生活が深刻化しない為の努力や対策をするのが政治の仕事だろ…というような批判が多かったように思います。
 
勝ち組…強者に多い、弱者の切り捨て論のような発言として受け止められたということです。

厚生労働省では、生活保護の目的を以下のように解説しています。
 
“生活保護制度は、生活に困窮する方に対し、その困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障するとともに、自立を助長することを目的としています。”
 
万が一、生活が成り立たなくなってしまった場合に最低限度の生活を保障する為の制度です。

生活保護で受けられるサポート(扶助)は以下の8種類に分けられます。
 
生活扶助
住宅扶助
教育扶助
医療扶助
介護扶助
出産扶助
生業扶助
葬祭扶助
 
被保護者の家庭の現状などを調査した結果で、8つの扶助の中から必要なものが選ばれて扶助が支給されます。
 
生活保護を申請することは国民の権利であり、制度の趣旨を考えれば、要件に該当する人には速やかに給付する必要がありますが、現実はかなり違います。
 
財政難から現場では支出を抑制する傾向があり、申請しても給付されないケースが多いようです。

給付が邪魔される典型例は“住所がないから申請できない”といって追い返されてしまうことです。
 
生活保護は住所がなくても申請できる仕組になっていますし、制度の趣旨を考えればむしろ当然のことです。

生活困窮者は賃貸住宅を追い出される可能性が高いので、住所がないと申請できないというのは本末転倒です。
 
しかし、多くの人は制度の詳細を知らないので、窓口でこのように言われてしまうと申請を諦めてしまいます。
 
もう1つは扶養照会です。
 
日本の場合、生活保護が申請されると申請者の親族に対して援助できるか問い合わせが行われますが、この仕組は実質的に申請を諦めさせる手段として使われていることが多いようです。
 
もし親族に援助できる人がいるなら、最初から援助を受けているはずです。

親戚に頼れないから、生活保護を申請しているケースが圧倒的に多いはずです。
 
親族との関係が良好ではなく、生活困窮状態を知られたくない人も大勢いるし、場合によっては親族から虐待を受けている可能性もあります。
 
扶養照会は重大な人権侵害を引き起こすリスクがある為、先進諸外国ではほとんど行われていません。

アメリカにも日本における生活保護に該当する仕組が存在します。
 
苛烈な競争社会であるアメリカでさえも、要件さえ満たせば充分な水準の生活保護(具体的には食料配給券、家賃補助、低所得者向け医療保険、養育支援、給食無料券などの各種制度を総合したもの)が支給されるし、人口あたりの社会保障予算も日本よりも多いようです。
 
日本の生活保護は権利として受け取れるものというよりは、親族など周囲の人がすべての犠牲を払って困窮者の面倒を見ることが求められ、それでも生活できず、生存に関わるような状況にならなければ支給しない制度のように見えなくもありません。
 
日本の社会保障制度は、年金も含めて基本的に家族や親族が面倒を見る“私的扶養”を社会化する形で発展してきました。
 
欧米社会では親族間扶養を前提にすると、虐待などの犯罪が発生する可能性があるので、家族と個人を切り離す形で制度が組み立てられています。
 
表面上は同じ制度に見えても、欧米の社会保障とは根本的に異なる仕組と考えられます。
 
前首相は首相就任にあたって自らが掲げる社会像として“自助→共助→公助”と言っていました。

こうした背景があることから、日本の生活保護は給付が必要な人全員を支援するだけの予算にはなっていないようです。
 
現在、生活保護受給者数は164万世帯となっていて昨年よりも増加しています。

高齢者世帯がその半数です。
 
日本の相対的貧困率は2018年の段階で15.7%になっていて世界で第14位と上位にいます。
 
この調査で貧困状態と分類される人は何らかの支援が必要であり、日本では国民の6人に1人の約2000万人がこれに該当します。
 
相対的貧困の基準は世帯年収が127万円です。

これに対して生活保護の支給を受けている人はわずか164万人なので、支援が必要な人のほとんどが対象外になっていることが分かります。

諸外国の場合、仕事をしていれば貧困から抜け出せるケースが多いですが、日本の突出した特徴としては、有職者でありながら貧困層に数えられる人が多いことです。
 
同様に子どもの貧困が深刻というのも日本ならではの特徴ですが、シングルマザーを中心に仕事があっても生活できない人が多く、これが子どもの貧困率を上げる結果になっています。
 
そもそも、生活保護は国が定める“最低生活費”に収入が満たない時に受給できる保護制度です。
 
その“最低生活費”は、世帯が住む地域や世帯人数によって金額が大きく異なります。

生活保護というと、生活費のすべてを受給できるというイメージがあります。
 
その為、まったく働くことができない人でなければ受給できないという誤解をしやすい傾向があります。

しかし、働いていても収入だけでは最低水準の生活を維持できない時に生活費を補填する形で受けることが可能です。

つまり“最低生活費”と世帯収入との差額が、実際の受給額になります。
 
生活保護費=最低生活費-収入

…ということです。
 
8つの扶助の金額を足し合わせたものが“最低生活費”になり、“収入”を差し引き、不足している金額が“生活保護費”として支給されます。
 
“最低生活費”をもとに算出されるので、今よりも贅沢をしたいという目的で受給できるものではありません。
 
尚、8つの扶助のうち出産扶助や葬祭扶助などは継続的に必要なものではないので、通常は生活扶助、住宅扶助、教育扶助の3つの扶助が中心になります。
 
“収入”とは、給与や賞与といった勤労による収入、自営業収入、農業収入、年金の他、贈与や仕送り、財産による収入や保険給付金、国、自治体からの手当、何らかの臨時的収入のことを指します。
 
インターネット上では生活保護受給者を非難する意見が散見されます。

“働かないからだ…”とか、“自己責任だろ…”とかですね。

なので、そういう人たちには少し黙ってほしいので、世の中には人それぞれの都合があるということも理解できるように、今日は貧困について改めてお勉強します。
 
世界中の様々な国や地域で課題の1つとされているのが“貧困問題”です。

それは、日本でも深刻化しています。
 
日本における貧困の多くは“相対的貧困”と呼ばれ、衣食住の確保が困難になるような状況とは異なりますが、生活水準の低下や将来的な貧困の連鎖に繋がる課題です。
 
相対的貧困とは、ある国や地域社会の文化水準や生活水準と比較して、大多数よりも貧しい経済状況にあることを指します。
 
厚生労働省では等価可処分所得の中央値の半分の額のことを指す“貧困線”を下回る世帯を“相対的貧困世帯”と定義しています。
 
“等価可処分所得”とは、世帯における収入から税金や社会保険料などを差し引いた“可処分所得”を世帯人員の平方根で割って調整した所得のことです。
 
例えば、年収400万円の2人世帯と年収200万円の1人世帯を単に比較すると1人当たりの年収はどちらも200万円です。

しかし、水道光熱費など世帯共通の生活コストを考慮すると同程度の生活水準とは言えません。

その為、平方根で割って調整する必要があります。
 
相対的貧困に該当する家庭の子どもたちは、以下のような状況にあることが多いです。
 
・家計を支える為に毎日アルバイトをしている

・高校や大学、専門学校などへの進学を経済的理由から諦めざるを得ない

・1日で栄養のある食事を学校給食の1回でしか摂取できていない
 
そのような子どもたちは、周囲の家庭環境との差を目の当たりにすることで、将来への希望を失い、学習意欲を失っている場合も多いです。
 
こうした状況は学歴や学力差による就職先の選択肢減少や、その後の収入格差にも繋がり、貧困の連鎖に繋がる問題となっています。
 
相対的貧困と異なる貧困の定義に“絶対的貧困”があります。
 
世界銀行の基準では、絶対的貧困に該当するのは“1日1.90ドル以下の生活を送っている世帯を指す”とされています。
 
絶対的貧困はアフリカなどの発展途上国に多く見られます。

それに対して相対的貧困は先進国にも多くあり、一部の国や地域だけの問題ではありません。
 
絶対的貧困の場合、生活に必要最低限な食糧などを購入できる所得さえも得られず、生命の危機に直面しているケースも多いです。
 
一方で相対的貧困は生命の危機に瀕するほどの経済状態ではないので、周囲からすると貧困状況にあるようには見えず、問題が潜在化しやすいという特徴があります。
 
結果的に支援の手が行き届かず、子どもの進学断念や将来的な貧困の連鎖に繋がってしまうケースもあります。
 
日本における貧困率は15.7%であり、およそ6世帯に1世帯が相対的貧困状態にあります。
 
厚生労働省の2019年国民生活基礎調査によると、2018年の貧困線は127万円になっていて貧困線を下回る所得の世帯が相対的貧困に当たります。
 
将来的な進学や就職などへの影響も深刻とされる17歳未満の子どもの貧困率は13.5%でおよそ7人に1人が該当しています。
 
相対的貧困に当たる子どもは2000年頃も14%程度を占めており、約20年経ってもほとんど改善されていない状況にあることがわかります。
 
子どもの貧困は、世帯収入を支える親の貧困によって生じます。

特にひとり親世帯の状況は深刻で、2018年度の平均税込み収入は母子世帯が299.9万円、父子世帯が623.5万円という結果になっていました。
 
ひとり親世帯の中でも、特に母子世帯の貧困率は5割を超えていて、そのうち約13%が“ディープ・プア(貧困線の半分に満たない)”世帯に当たります。
 
また、近年の新型コロナウイルスの流行によって生活が圧迫されて、ひとり親世帯の貧困状況はより深刻化しました。
 
内閣府による“令和3年子供の生活状況調査の分析報告書”によると、お金が足りずに必要な食料や衣服を買えないことが“増えた”と回答した世帯がコロナ禍以前よりも増加しました。
 
必要な食糧や衣服を購入できないことが増えたと回答したのは“ふたり親世帯”では 8.8%で、“ひとり親世帯”全体では 23.1%、更に“母子世帯”のみでは 24.3%に上ります。
 
ひとり親世帯におけるコロナ禍の影響は大きく、貧困状態の悪化に拍車をかける事態となり、それは今にも影響しているので早急な対策が求められています。
 
相対的貧困の解決策としては、まず貧困の連鎖を断ち切る必要があると指摘されています。

収入格差によって、学力や学習機会の格差にも繋がる為です。
 
生活の支援として、国では“児童扶養手当”の支給を行っています。

児童扶養手当は18歳に達する日以降の最初の3月31日まで、児童を養育している人に支給されるものです。

支給額は養育者の収入や子どもの人数によって異なり、最大で43070円、2人目は最大10170円、3人目以降は最大6100円加算されます。
 
この手当は父母が離別もしくは死別した児童や、父母が一定以上の障害状態にある児童、父母の生死が明らかでない児童を監護していることなどが支給条件となっています。
 
貧困の連鎖を断ち切る為には、学習機会の創出や格差是正も必要になります。

近年では、幼児保育の無償化などもスタートしました。

3~5歳児の保育料が無償化されて年収360万円未満の世帯では副食(おかずやおやつ)の費用も免除されています。

0~2歳児クラスの保育料は、住民税非課税世帯に限り無償化対象です。
 
また、フリースクールで学ぶ子どもへの支援として、必要な情報提供やICTなどを通じた支援、家庭訪問なども行っています。
 
また、高等教育の支援も強化されて“高校生など奨学給付金事業”の充実を図り、低所得者世帯の教材費や修学旅行費等も支給される制度も制定されています。
 
日本学生支援機構の無利子奨学金の拡大などにも力を入れていて、幼児教育から、高等教育まで切れ目のない教育費の負担軽減に向けた取組が行われています。 
 
貧困の連鎖を断ち切る為には収入の確保が重要です。
 
その為、就職支援の充実に向けた取組も進められています。

就職に有利な資格取得を支援する為の“教育訓練給付金制度”が導入されていて、資格取得に向けた訓練課程の受講費用が20~50%支給されます。
 
また、ひとり親全力サポートキャンペーンとして行われているのは、出張ハローワーク(市役所などの窓口)や子連れで参加できるマザーズハローワークなどの取組があります。
 
子どもの貧困対策としても親の就職支援は強化されていて、子育てと仕事を両立しやすい社会の実現に向けて様々な取組が行われています。
 
相対的貧困の深刻化は、貧困の連鎖にも繋がる大きな問題です。

絶対的貧困のように生命維持に関わるものでない場合でも、支援が必要になるケースは多いです。
 
また、世帯によって必要な支援は多岐にわたり変わるので、ケースワーカーなどとの相談を通じて個々人に合った支援の提供が求められています。
 
“貧困”について、少しお勉強しました。
 
改めて生活保護の話に戻ると、大前提として生活保護制度のベースになっているのは日本国憲法第25条で定められた “健康で文化的な最低限度の生活を営む権利” です。
 
この権利を巡っては“何をもって最低限度”とするのかが、いつの時代も論じられてきました。
 
代表的なものが福祉系の教科書にも採用されている“朝日訴訟”です。

これは、1957(昭和32)年に国立岡山療養所で生活していた男性が、兄から月1500円の仕送りを受けることになった際に、社会福祉事務所がそれまで月600円支給されていた生活保護を取りやめて、仕送り分から600円を本人に渡し、残りの900円を医療費の自己負担分として徴収すると命じたことの是非を問うたものでした。
 
裁判で男性は、生活保護の月600円の支給では生活できないとして、憲法25条に反していると主張しました。

一審では男性が勝訴、二審では敗訴になり最高裁判決を前に男性が死去したので裁判は終結しましたが、現代でも“健康で文化的な最低限度の生活”を考える基本となっている出来事です。

尚、この時に問題となった当時の生活保護費月600円は、シャツは2年で1枚、パンツは1年に1枚買えば良いという想定の基準でした。
 
生活保護は生活に困窮している人に日本国憲法の第25条の“健康で文化的な最低限度の生活”を保証して、自立して生活できるサポートを行うことが目的です。

申請する為には、以下の要件を満たす必要があります。
 
・持っている資産を売却して生活費に充てていること

・能力の限り働くこと

・他の公的給付を受けている場合はそちらを優先して活用すること

・扶養してくれる家族がいれば扶養してもらうこと
 
これらの条件を満たしても国が定めた最低生活費に満たない場合に限り、生活保護の規定が適用されます。
 
条件の最初にある“資産を売却して生活費に充てること”の“資産”は、現金の預貯金以外にも車や住宅、株式や債券などの有価証券も対象になっています。
 
この辺はちょっと微妙だと思います。

生活保護なんて一生世話になろうなんて考えて申請する人はそういないはずです。
 
生活保護は一過性のもので、そこから脱却した時に何もかもを手放していたら、生活の立て直しが不可能な状態になっているような気がします。

そして、元の生活に戻りたいという気力も失わせてしまいます。

あと、最近問題になっているのは、エアコンの問題です。

現代は温暖化によって、酷暑化が進んで熱中症になる人が増加しています。

厚生労働省は2018年から一定の条件を満たす生活保護世帯に対して、エアコン購入費の支給を認めています。

しかし、実務を担う自治体によって判断に格差が出てきています。

地域によって暑さの違いがあることと、生活保護の費用は原則として地方自治体が4分の1を負担し(残りは国の負担)、支給を認めるかどうかの実務も自治体が担っているので、エアコン購入費に限らず、負担を嫌う自治体による裁量が大きいことも影響しています。

厚生労働省による自治体が消極的な対応にならないような基準作りが求められています。

酷暑化についてはそろそろ北海道も危うい状況になっていますが、未だにエアコンがない集合住宅や一軒家も多いです。

救急車の出動機会も増加しています。
 
このように様々な問題が散乱している生活保護制度の問題もまた、とても難しく大きな社会問題です。


写真はいつの日か…百合が原公園で撮影したものです。

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