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家族の枠から解放されたいあなたへ

奥底にある記憶

仕事柄、いろいろな家族関係を体験した人のケアをすることがあります。今の問題が現在の問題だけではなく、その奥にはさまざまな要因が重なり合い、そのさらに奥にはかつて体験した生い立ちに関係することがよくあります。「こんないい歳になった大人になってもこんな気持ちがある」、とご本人も恥ずかしそうにおっしゃったりしますが、だからこそ、これまでなかなか口に出せず、ずっとずっと心から消えずにくすぶったままなのです。

全ての問題が家族と関わっているとは言いませんが、家族との関係は人間形成の核となる部分に大きく影響しているので、やはり大事な部分です。負担になるほど深刻に向き合う必要はまったくありませんが、もしあなたがそんなタイミングを迎えているように感じたら、気軽にできる範囲の取り組みをしてみても、損はありません。

家族は支えかトリックか

あなたにとって、家族とはどんなものでしたか? 家とは? 血縁とは? 家庭とは? どんな生い立ちでしたか? 幸せなものでしたか? それとも何らかの問題がありましたか?

家族とその関係性が、私たちの基盤に大きな影響をもたらしているのは、想像通りです。もちろん、否定して生きている人もいるでしょうけれど、私たちが過去とつながった現在を生きている以上、これまでの年月の記憶が私たちの現在に相当な影響があるので仕方ありません。傷みかけたものを食べたらお腹を壊すからやめておく、グラスを持つ手を離すと割れるから、落ちないようにする、など、私たちは現在を生きているように見えて、過去のデータを同時に生きています。

生い立ちは、人間関係の原型となるパターンを作ることになりますから、書き換え作業を行わない限り、そこで学んだことは、現在に反映されます。ですから、生い立ちを忘れたふりはできても、完全に無視することはできません。良いものであれ、悪いものであれ、私たちが健全に、過去からの影響を受けないようにしようと思えば、それを意識化し、整理する作業が必要となってきます。私たちが生きるためには、無意識にさまざまなルールを取り入れているために、そのルールを外すためにはまず、そのルールを認識することから始まります。

葛藤の場としての家族

かつて、私にとって家族とは完全な足かせでした。子どものころ、仲のよさそうな友人の家族を見ていると、なぜ自分だけ、わざわざこんな家族を振り当てられたのかと絶望したものです。幼い頃からかなり長い年月、両親とは想いが全く伝わらず、同じ言語を話しているのに、まるで宇宙人同士のように意思の疎通ができませんでした。親たちには子どもの真意をくみ取れるだけの力がなく、傷や問題を抱えていました。小さな子どもだった私には、それが具体的には分からず、周りの助けもなかったので、とりあえず捨てられないように愛想をふるったり、我慢の限界がきて爆発したり、感情をマヒさせたり、病気になったり、実に健気に生き延びようとしました。

世界は大人が中心となって作っているで、その中身がたとえ傷だらけの子どものような大人であっても、大人は大人として認識されて尊重されるため、その彼らに養育される子どもには光が当たりません。養育者を踏み越えて子どもをケアすることは難しく、養育者もたとえ自分に助けが必要であっても、それをなかなか認めるわけにはいきません。子どもたちは矛盾だらけの世界に生き、恐怖や悲しみや葛藤と馴染みになってしまったりします。一見問題のなさそうな家庭でも、なんらかの葛藤や家族間の問題を体験している方が自然ですから、この思いは多少なりとも誰しもが体験していると思います。

足かせを外そうと躍起になった日々

私が本当に家族の問題から卒業できたのは、つい最近です。この話をすると、家族間の問題を抱えているクライアントからは「先が長すぎます」と絶望の悲鳴を聞かされるのですが、本当に、しっかりと取り組み、完全に私が乗り越えるまで、かれこれ20年以上かかりました。私は若いころから、さっさとこの家族の問題を卒業したいと考えて、逃げずにずいぶん向き合ったものです。それは私自身で取り組む方法がメインでしたが、断ち切れば済むはずの家族との関わりを持続させることを頑張ってきました。

家族間の問題は、親の死でしか卒業が無理なのではないのかと思った時期もあったのですが、幸運なことに両親が健在なうちに、あれほどの確執があった家庭だということを忘れるほど、深刻な問題がなくなった関係を現在は体験しています。具体的にどんな風に取り組んだかは、またおいおい書いていこうと考えていますが、こんなに平穏であたたかな時間が私たちに流れるのは、奇跡だと思っています。私が子どものころに想像していたイメージ図とは違うものの、今の現在の関係もいいなと思っています。

もっと簡単に家族間の問題から卒業する方法はないか

私が取り組んだ方法は時間をかけて真正面から、ハードな取り組みをしてまで親子関係や生い立ちからの信念の修正に取り組む方法だったのですが、今全容を俯瞰してみて、同じ方法をほかの方にお勧めするだろうかと自問すると、今なら、もっと簡単な別のやり方をお勧めするだろうなと思うのです。

控えめに言っても、トラウマや固定概念を修正することは、自分を自由にすることができるので、どんな人であろうと、どんな方法であろうと、取り組んでいくことをお勧めできるくらい、有意義なものです。

けれど、親の問題や家族の問題から卒業してみて感じることは、「実際はそんな大した問題ではなかった」ということです。「なぜあんなに壮大な問題だと思っていたのだろう」と不思議に思うほどなのです。

私たちは木につながれた小象

一つ言えることは、私たちはまだ力のなかった子どものころからその景色を見ていたために、実物よりもとても大きく感じていた、その印象のまま今も見てしまいがちだということです。久しぶりに母校の小学校へ行ったら、鉄棒の低さにびっくりすることがありますよね。ああいった錯覚が実際に起こっています。

私たちは小さな子象でした。どこかに行ってしまわないように、木につながれていて、どんなに引っ張ってもそこから出ることができなかったために、木につながれると自由になれないことを嫌というほど理解してしまいました。月日はたち、私たちは大人になっても、その過去に囚われ、全力を出せば気を引っこ抜くほどの力があることに思い及びません。自分にその力があることを知らないのです。

あなたは十分に成長し、あの頃の自分ではありません。そしてあなたは、あなたを縛っていたものを攻撃する必要もなく、ただ自分にはその力があることを理解することができます。

今自分が囚われることをOKするか

確かに過去は変えられないように思うし、今なお囚われている自分にも直面したりすることもあります。客観的な観察から始めてみましょう。そして、その観察で起こる判断を一つずつ取り外してみるのです。簡単そうで、これがなかなか難しい。私たちがいかに混乱してきたかが分かります。けれど、根気よく続け、必要な助けを得ていくことをお勧めします。

過去につながれている現在を、甘んじて選ぶ必要はないのです。日本にはセラピーやカウンセリングの習慣が根付きませんでしたが、混乱していることに取り組むとき、混乱していない人の手を借りることは自分の弱さとは関係なく、とても役に立ちます。沼から出られないときには、沼に落ちていない人の力を借りるでしょう? できるだけ、クリアな立場で手を貸してくれる人を探して、あなたが自分で取り組むことを手伝ってもらいましょう。

過去のせいにしない自分は気持ちがいいもの

もしあなたがハードな家族関係を体験してきたとしたら、家族はあなたの成長や大きな飛躍のきっかけとして、用意されている可能性があります。あなたはいつでも選ぶことができます。木につながれたまま動けないと愚痴を言うか、木を引っこ抜いてあなたの行きたい場所へ進むかをです。どんな過去を持っていても、どんな経験をしていても、あなたはそれを体験するためにやってきた。そこを乗り越えることが大きなスイッチになっているとしたらどうしますか? 

あなたは過去において、1mmも悪くなかったし、今も悪くありません。どんな過去を持とうと、どんな体験をしようと、あなたは責任を負う必要はない。安全な場所を確保し、いざという時のために助けを用意して、日常で気楽に取り組む方法が分かれば、あなたの過去は怪物が飛び出してくるパンドラの箱にはならず、ただのアルバムです。気負わずに出会った過去を赦していくことを始めてみるのはどうだろうか。


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