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寂しさと隣り合わせの四半世紀~幼少期〜

ふつうの家族ってなんだろう。
人生の節々でそんなことを考えていた。

24の小娘が「人生」だなんて鼻で笑われそうだけど、確かに私が選び歩んできた道とそこにあった思考の形跡は、誰にも渡したくないし侵されたくもない。
社会人1年目を終えようとしている今、私は1か月仕事を休むことにした。
これを機に自分の足跡を辿ってみた。


ふつうの家族ってなんだろう。

そう最初に思ったのは物心ついてすぐの、保育園に通っていた時だと思う。
当時では珍しい共働きの家庭に少し遅めの長女として生まれた私は、あまり両親と遊んだ記憶がない。

両親は仕事において重要な役割を任される年齢になり、祖父母の介護があり、そこへ私の子育てが加わった。
まだ共働き家庭への理解が乏しく、制度も整っていない中での子育ては、両親ともにかなり苦労をしたと思う。
それでも甘え盛りの当時の私は、そんなこともお構いなしに甘えまくり、両親を困らせていた。

特に印象的だったのは、保育園の帰り道で近所の公園により、遊ぼうと仕事帰りの母にせがんだこと。
一刻も早く家に帰り、夕飯を作り私に食べさせ、風呂に入れ、溜まった家事を片づけたい母は、しっかりと私の手を握り、家路を急ぐのが常であった。
実際に夜中の公園に足を踏み入れたのは片手で数える程度だったと思う。
保育園の友達でも先生でもない、母と遊ぶわずかな時間が本当に大好きだった。

時折見せる、母の寂しさと申し訳なさが入り乱れた表情が今でも忘れられない。
一度、「ママ、仕事辞めた方がいい?」と尋ねられたことがある。
なぜ母にそんなことを言わせてしまったのか、どう答えればこの表情を和らげることができるのか、幼い頭を必死にフル回転させて考えた。
母ともっと一緒にいたい。もっと遊びたい。

でも、仕事を辞めさせてしまうのは母から好きなことを奪うことであり、自分のせいで母を悲しませたくはない。
足枷にはなりたくない。

首を横に振るのが精いっぱいだった。
そんな子どもだった。


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