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「わたし」が生きているという勘違い。

ぼくたちが新しい運動を学ぶ過程って

今まで出来なかった動作が出来るようになるってこと。


今まで出来なかったブラインドタッチで文字入力が出来るようになった。

今までよりも薄く玉ネギを包丁で切れるようになった。

今まで出来なかった自転車に乗れるようになった。

今まで出来なかった卓球のショットが打てるようになった。

今まで出来なかったゴルフボールの軌道が打てるようになった。

今まで出来なかったヨガのポーズが出来るようになった。

今まで出来なかった逆腹式呼吸が出来るようになった。

今まで出来なかった気を体内で動かせるようになった。


新しい動作の学習においては

目標としている動作

お手本としている動作がある。

ぼくらは目標に近づけるようにカラダを意識操作している。


だからいつでも「わたし」がカラダを操作していると思っている。

そうやってカラダのOSまでもが「わたし」だと勘違いしてしまう。


頭の中を空っぽにして

カラダの力を緩めると

カラダが自ずから動きたいように勝手に動き出す活元運動。


活元運動指導においては

最初に頭がポカーンとできるように大あくびが出せることを目標にしてもらっている。

初めてのレッスンでまだ大あくびも出てこない状態の方が

息を吐ききって、何もしていない状態を目を閉じて味わっていたら

活元運動が現れてきた。


活元運動については昔から野口晴哉先生の著作を読んでおられて知識では知っておられた。

しかも、その活元運動ができるようになりたくてレッスンを受けている最中。

それなのに自分の手や足が自分の意思とは関係なく動き出したら

「先生、一体何が起こっているんですかぁ~~?」

そんな質問が彼女から発せられた。

その声には驚きと混乱が混ざっていた。


今まで体験したことのあるカラダの学習は

すべてが意識運動に依るものだった。

カラダとは「わたし」が意図して動かすものだと思っていた。


ところがまさに自分のカラダで起こっている動きは

彼女の意思、意識を通じて行っていないものだった。

「わたし」が関与していないのにカラダが動き出していた。


だから活元運動を学びに来てるのに

いざ自分のカラダが活元運動を始めたら驚いてしまったというわけ。


「わたし」が操縦していると思っていたカラダが

実はそうじゃなかったという事実を突きつけられてしまった。

だから驚きと混乱が生じてしまう。


活元運動はいのちを営んでいる本体の無意識運動の訓練でもある。

「わたし」という自我意識が芽生える以前からいのちは営まれいてる。

卵子と精子の時代から途切れることなく営まれている無意識運動。

その無意識運動が卵子からカラダを形成して

生きている現在だって

体液の循環から消化、排泄、すべての働きを自動で行ってくれている。


活元運動の主体は「わたし」じゃなくって「いのち」


部屋の中で静かに目を閉じると

カラダという宇宙が途切れることなく動いていることに気づく。

吸って、吐いてを繰り返している息の出入り。

鼓動による脈動のリズム。

カラダが敏感な女性で排卵した瞬間が分かる人だっている。

「わたし」が瞑目していても

眠りに就いている間だって

ひとときも止まらずに運営されている。


勘違いOSである「わたし」が操縦席から退いてしまえば

カラダは勝手に動き出す。

活元運動はそんな当たり前なのに

気づけなかったことに気づかせてくれる。

カラダって、そもそも勝手に動いてくれているものだったって。



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