【小説】 回る世界と舞台装置としての私
私はモブだ。この世界において、特筆すべき点のない有象無象の人間の一人でしかない。
人生という物語においては誰しもが主人公であるという論調を見かけることがあるが、私はそうは思わない。
この世界は壮大な群像劇であり、一部の名前を持ったキャラクターと大多数のモブで構成されていると考えているからだ。
人気があるキャラクターならば各個人にフォーカスしたスピンオフが制作されるかもしれない。しかし、極々平凡なモブに過ぎない私には縁のない話だ。
私は悲しくなるほど凡庸だ。運動や勉強や家事や趣味など、思い付く全ての行為が人並みの域を出ない。下手でも上手でもないため、誰の記憶にも残らない。
先日も自身がモブそのものであることを身に沁みて感じる体験をした。
ある日、私はいつものように会社に向かう電車に乗っていた。あと少しで乗り換えの駅に着こうかという頃合いであった。
電車内にざわめきを感じ、手にしていたスマートフォンから視線を上げた。
私からそう遠くない所で、一人の少女が吐いてしまったようだ。高校生くらいだろうか。
その一瞬の間に、周りの人々は動き出していた。
一人の女性は即座に少女へと近付き、大丈夫かと声を掛けながら背中を擦りはじめる。
一人の男性は鞄からビニール袋を取り出し、良かったらこれを使ってくださいと差し出す。
そして周りの人々が次々とタオルやハンカチを差し出し、少女に駆け寄った女性が一人一人に感謝の言葉を述べながら代理で受け取っていく。
間もなく駅に着き、袋を差し出した男性が一目散に駆け出していった。
彼はホームから最寄りの階段を駆け上がり、改札の所に常駐している駅員さんに事態を知らせていた。
私はその場に居合わせながら何もできないままだった。
私には何も差し出せるものもなかったし、若干離れた位置にいたのだから仕方ないと自身に言い聞かせた。
私は通勤ラッシュ時の満員電車を演出するモブの一人でしかなかった。
あの時とっさに動き出せた人達は同じモブでも役割を与えられた特別なモブなんだと言い聞かせた。
アニメや漫画でも感想で語られることのあるモブとそうでないモブとが存在する。
動き出せた彼らは前者で、私は後者だ。
私は愚かな人間だ。
自分の人生が一転するような出来事が起こってほしいと期待を抱きながらも、アクションは起こせずにいる。
例えば宝くじで高額を手に入れるとか、拾った何かをキッカケに壮大な物語に巻き込まれるとか、そんな創作物の中のような変化を求めている。
しかしその一方で自身にはモブらしい人生しか待ち受けていないのだろうという諦観の念も持ち合わせている。
実につまらない人生だが、今後も名もなきモブとしての生涯を全うするしか道が残されていないように思えてならないのだ。
そんな事を考えながら、私は今日も電車に乗って職場に向かっている。周りには同じようなモブが溢れている。
そうして世界の歯車としての役割を果たしていくことこそが自身に課せられた責務なのだと言い聞かせ、何者でもない私の何でもない一日は今日も何事もなく進んでいく。
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