見出し画像

目的意識のない行動は無意味であることを改めて思い知った

6月が始まりました。僕の無職期限が刻一刻と迫り、残す所1日です。そんな思いもあってか今日、知り合いの管理栄養士さん兼経営者の方が主催する「筋肉運動会」なるものに参加してきました。
結論から言うと、会自体は楽しかったです。普段見れない筋骨隆々な人のパフォーマンスを見れたし、ジム以外で体を動かすということを久々にできましたし。
ただ、昼食を取り終えた後少し会自体が少々グダりまして、周りの人が「暇だね」と口々に言っていました。同じく僕も「暇だな」と思った同時に「自分はなんでここにいるんだっけ」と中盤から思ってしまい、以降それほど楽しめない時間が続いてしまいました。
これはこの会だけに言えることではなく、「この時間に◯◯を達成しよう!」という気持ちがないと、物事というのは心から楽しむことはできないのかなって思うんです。


惰性で流されるままという無意味さ

仕事にしてもイベントにしてもその他の趣味にしても、他人に言われたから、という理由でやっていることに意味なんてないんですよね。最初はなんとなくで進められることにも、すぐに限界が来る。
目的なんてなくても全力で楽しめばいいじゃん! と世間的にそういった場所に場慣れしている方はおっしゃるかもしれませんが、ネット的に言う「ウェイ系」の方々はみんなでバカ騒ぎすること自体が目的の人が多い。するとその場を全力で騒ぎ立てることに意義を見出し、満足度も上がるのかなと思います。
今回僕が選択したモノがそもそも僕に合っていなかったというのは実際やってみて気付いちゃったのですが、もう少し僕自身も目的を設定して挑むべきだったなと思いました。おそらく客としてだけでは楽しめないだろうから運営側に回らせてもらうとか。しかしそうなってくると当日ではなくもっと前にお声がけいただいた方に相談すべきだったので、そこからですね。


常になんで行うのか自問する

個人的に結構好奇心旺盛な方で、やりたいことはドバドバ湯水のように出てくるタイプです。だからこそ、なぜそれをするのか、それをして意味があるのかを考える必要がある。なんとなくパッと見面白そうだからという理由で散財してきたことは何度もあるし、なかなかやめられないことに足を突っ込んで時間を無駄にしてしまったことも何度もある。
実際にやって見なきゃ分からない! とか、失敗は成功のもと、というのは僕の信念でもあるし間違ってはいないのですが、自分の向かうべき指針を意識することで、そこからブレず、今後に生きる行動の選択ができるようになるのかなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?