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わたしの小指。/ショートショート

ネイルが外れた。
剥がれたのではなくて、外れた。
役目を終えたように、ポロン、と。
あぁ、お疲れ様、わたしの薬指。
外れて内ももに落ちた、濃いピンクのネイルにまぶたでお辞儀をしながら
カランと音を立てたグラスに残る、ライムの香るハイボールを飲み干した。


小指、かわいいね。
隣に座る彼に、だし巻きたまごを一切れ、取り皿に乗せた時。
ふと添えた左手を見て、そう言った。
一瞬たじろいで、でも、その柔らかい音に、
わたしは初めてその言葉を本来の意味で受け取って、素直にありがとうと言えた。

昔から、とても短いわたしの小指。
からかうように、何度もかわいいと言われた小指。
物心ついた時から必ずつけていた、薬指のリング。
リングに合わせて着飾る、わたしの10枚の爪たち。
短い小指が、隠せるように。
リングとネイルで、目線を逸らせるように。
小さなコンプレックスの隣で、頑張っていた薬指。


彼が薬指で、わたしが小指。
並んで歩く姿が、ガラスに映る度、影となって現れる度、わたしは心の中でそっと思う。
その姿にわたしの2本の指を写しながら。

でもそれは、わたしのとは全く違っていて
薬指の彼は、隣のコンプレックスを隠してはくれないし、注目を逸らせてはくれない。
小指のわたしを、いつも目立たせてしまう。
そのために、笑われるのはあなたなのに。
もっと相応しいパートナーがいるはずなのに。

かわいいのに、何をいつも怯えているの。
あの時と同じ音でそう囁いて、わたしを包み込んでくれた彼。
僕は、君を見て欲しいから着飾っていようかな。
いつか、薬指のリングの理由を聞かれた時、その指に触れながらキスしてくれた彼。

そんな彼の寝息を背後に感じながら、わたしは、まだ朝というには相応しくない時間帯に
冴えてしまった頭を落ち着かせる為の手段を探していた。
温いフローリングを、そっと歩いて、
微かに音を立てる冷蔵庫に手をかけて、
地味な薬指と、小さな小指が目に入る。


時間的には今日、わたしは、彼のご両親の元へ向かう。
恐れずに、会いに行けるかは分からないけれど。
薬指には、リングもネイルもないけれど。
そろそろ、小さなコンプレックスの小指を、わたしは愛してあげられるかもしれない。
残りの9枚のネイルも、取ってしまおうか。
そう、自分の意思で。
まだ明るくなるには時間がかかる。
寝てしまえる程にも、落ち着けてはいない。
出した手を胸に戻して、ぎゅっと右手で握ってあげた。


眠れない?
また同じ音で、そっと囁く彼の言葉に、わたしは返事をすることなく傍へ歩んだ。
大きな彼に包まれたくて、守って欲しくて。
そんなわたしとお別れする前に、
子供から大人になる前みたいに。
タイムアップの時間まで、彼の胸に潜り込む。
まだ、朝にならないで。そう思いながら。
頭の片隅には、9枚のネイルを思いながら。





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