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誰にも壊せない幸せ【後編】

カズオ・イシグロさんの『わたしを離さないで』をAudibleで聴いた感想を、2回に分けて書いています。後半のこちらはちょっとネタバレを含みますので、知りたくないという方は、ここで止めておいていただければと思います。


この小説の舞台となっている世界には、明確な分断があります。

もし私達がこの社会において、自分たちの家族や仲間の命を救うため、健康を守るために、「臓器を提供してくれる、ある種の人間がいてもいい」という考え方が当たり前になっていたらどうしますか。 

この小説の中で、臓器を提供する人間は、クローン技術によって生み出されたという設定になっています。

そのクローン技術に関しては明確に記されていませんが、現代社会で可能な技術とすると、以下のような方法になると思います。

生物Aの細胞の核だけを取り出し
生物Bの核を除いた卵子と合体させ
生物Cの子宮に戻してその母体から出産する

こうやって誕生したクローン人間は、一般的な人間と同様に育ち、同じような感性を持って普通に生きていくことが可能です。

でも彼らを、生まれたときから臓器を提供するという使命のためだけに、集団で生活させるということが、まかり通っている世界に自分が生きていたら、どう思いますか。

この小説の中では、学び・成長し・恋愛をし・普通の生活をし・旅行を楽しんだり、そんな人生が送れているクローン人間に対して、人権のようなものはないと考ている人たちが、多数存在することになっています。

そして、クローン人間に教育などは必要ないと考える人と、もはや臓器提供の手法は変えられなくとも、その役目を終えるまでは、できるだけ最良の環境で生活してほしいと考える人との抗争も起こっています。

こういった人と人との分断と同じような構造は、現代社会にも存在していると私は考えます。

 私が今当たり前に生きて、スマホやパソコンやネットを使えて安い食料や安い服が手に入り、快適に暮らしていることは、数え切れないほどたくさんの搾取の上に成り立っています。

このことは、小説の中で存在する「クローン人間からなら臓器を提供してもらっても構わない」という考え方と、構造としては同じようなものではないかと私は考えます。

そして私は、今の生活が当たり前と思い、そういうところに生まれ暮らしている上で、この生活を変えることができないし、できたら変えたくないなとも思っています。 

誰から何も搾取しないで生きていくとなると、山奥で一人自給自足の生活をするしかないし、私はそれを選ばないでしょう。自分の中で、ずっと矛盾を抱えながら生きていかなければならないと、長年思っています。

でもそういう行為に対して、反発をする人、警鐘を鳴らす人も多くいます。

肉を食べない、フェアトレードのものを買う、環境に配慮する、差別発言をする会社からものを買わないなどの活動は、世界で数多くあります。

もちろん私も、安全な場所に立ちながら、なるべく誰かからの搾取を減らしたいと思い、何かしらの行動をしています。でも搾取をゼロにすることはできないとも思っています。

小説の中の登場人物たちは、搾取される側の人間で、それを受け入れて生きています。受け入れているようで、恋人ともう少し長く過ごしたいと思ったとき、主人公たちは自分たちが育った施設の生徒のみに、「3年間の臓器提供の猶予が与えられる」というかつて聞いたことのある噂の真相を確かめたくなります。

そのなかで、自分たちが受けていた教育の、真の意味が明らかになっていきます。

誰かの何かを搾取しながら自分が生きていくことは、私にとって永遠のテーマだと、最近特に感じていました。答えはなかなか出ないと思うのですが、今この小説を読むことができてよかったです。これからも考えていきたいと思います。

この小説は様々なテーマが交差しているのですが、私が一つ希望だと思ったことは、たとえ自分の運命や長くない寿命が決まっていたとしても、 何かに打ち込むその瞬間には、意味があるということです。

自分が、将来なりたいものが選べなかったり、長く生きられない人生であったとしても、 今この瞬間に何かに打ち込んで楽しい・嬉しい・悲しいと思えることこそ幸せで、それは誰にも壊せないものだということです。

その一瞬一瞬を大事にして生きるということは、 なにか大きなことを成し遂げることより、ずっと重要なことなんじゃないかと、この小説を読んで思いました。 

私だって、実は近いうちに死んでしまうこともありえます。 

でも、今日なにか一つのことを学んで、今日は昨日より成長しているなと感じられることや、大事な人と心から楽しい一日を過ごせることは、将来の成功とか安定とかぼんやりとしたものより、はるかに明確な幸せです。

ボーッと過ごしていると、なんでもないこととして通り過ぎてしまうのですが、ちょうど今年から紙の日記をつけ始めていて、日記こそこういった小さくても大事な出来事を残しておける、すごく大事なツールなんじゃないかと思いました。

自分はこれから、いろいろな人との別れもたくさん経験していくと思うのですけれど、その人と過ごした時間や思い出を、その瞬間に大事にしていて、それが心や記録にしっかり残っていたら、別れの受け止め方もすこし違ったものになってくるんじゃないかと思いました。

これからまたこの小説を読み直していくと、さらにそんな思いは深まってくるのではないかと思います。人生でずっとそばに置いておきたい小説となりました。

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