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遊びが子どもをかえる・子どもが遊びをかえる (前編)

皆さまこんにちは、引原です。

1年ぶりの更新です。
この間世の中は大きく変化してしまいました。緊急事態宣言解除のあとも、本来の日常のように、おもいっきり自由に外でスポーツをしたり、公園で遊んだりできない子どもたちも多いと思います。

ただ、そんな中でも、3密を避けた外遊びはたくさんあります。昔ながらの「かくれんぼ」「缶蹴り」はそうですよね。「鬼ごっこ」もしっぽを使えば、直接的な接触は避けられます。新型コロナウイルスのリスクと自宅で自粛を続けるリスク、どちらも子どもにとって大きなリスクです。両方のリスクができるだけ小さくなる行動がそろそろ必要だと感じています。

さて、そんな「子どもと遊び」について、「ひと・まち児童館フォーラムin仙台」というシンポジウムで対談をさせていただく機会がありました。(2020年2月23日開催、仙台市戦災復興記念館にて)

「ひと・まち児童館フォーラムin仙台」は、仙台を中心とする児童館の館長さんや職員さん、関連団体のみなさんによる、年に1度のシンポジウムです
遅くなってしまいましたが、2回に分けて、その時の対談内容をまとめていきたいと思います。

対談させていただいたのは、一般財団法人「児童健全育成推進財団」総務部部長(当時)の阿南健太郎さんです。阿南さんとは、3年前に東京都で始まったJUMP-JAMプロジェクトで出会って以来、運動遊びについて議論する仲間なのですが、こうして改まった場で対談するのは初めてでした。対談のテーマは「遊びが子どもをかえる・子どもが遊びをかえる〜児童館と運動遊び〜」です。

遊びが子どもを変える、子どもが遊びを変える

全体

阿南:皆さんこんにちは。児童健全育成推進財団の阿南と申します。

引原:皆さんこんにちは。千葉工業大学の引原と申します。私自身は、ずっと子どもの身体活動量の評価を専門としてきたのですが、ある時、子どもはみんな身体を動かすことが好きなのに、ある時点から運動が好きな子と嫌いな子に別れていくことに気がつきました。調査の結果、小学校中学年くらいに1つの分岐点があるとわかりました。私は、スポーツという決められた枠の中で何かをする事が、その分岐を生むのではないかと思っています。じゃあどうしたらいいのかと考え、出てきた答えが「遊び」です。今私は、阿南さんはじめ、東京都の児童館の皆様と一緒に運動遊びの研究、実践活動を進めています。

阿南:ありがとうございます。では私も自己紹介を。私は大分県の出身で、山で遊んだり川で釣りをするのは好きだけれど運動は嫌い、という子どもでした。今は全国各地の児童館や放課後児童クラブの先生方にお会いして、遊びは大事だよ、と伝える仕事を10何年やっております。運動遊びについて幼児分野では盛んに研究が進んでいますが、小学生になった途端にそれが消えて、学校体育という枠で考えられていってしまう。児童館で行う「遊び」を深められないかなと思っていたところで引原さんに出会い、ご示唆いただきながら運動遊びのプログラムを作ってきました。

本日の対談を通して、タイトルにもなっている「遊びが子どもを変える・子どもが遊びを変える」ことを児童館に関わる私たち自身が信じきれているか、もう一度問い直したいと思っています。また「遊びが大人を変える」部分も沢山あり、遊びの場に大人が一緒にいることの価値を確認し、我々大人ができることは何かという視点を皆さんと共有できると良いなとも思っています。

児童館は変われるか

阿南さん

阿南:最初に私から、今日引原先生と話したいと思っているトピックスをいくつか挙げさせていただきます。1つ目が、児童館は変われるか、という点です。児童館を取り巻く社会環境が変わるなかで、児童館はどうあるべきなのか。遊びと言う切り口から一緒に考えていけたらと思います。そもそも児童館とは何かというと、「児童福祉法に規定された児童館、児童に健全な遊びを与えてその健康を増進し、または情操豊かにすることを目的とする施設」です。「豊かにすることを目的とする」、と明確に書かれているわけです。

でもこれって、達成したかどうか、すごく測りにくいことですね。身体の健康はある程度測れますが、心の健康を測ることは難しい。子どもの人生にとって、本当に大事にされるべきものを、我々がどう変えていけるのか。評価が難しいまま、この児童福祉法40条は一文字も変わらずに、70数年経っているわけですね。

時代が変わっても子どもにとって遊びが重要であるという本質は何も変わらない。でも時代は確実に変わっていて、もしかしたら子どもに与える影響もあるかもしれない。現場の現実をどう重ねあわせていけるのか、我々が仕事している中で成果をどう評価するのか、考えていきたいと思うわけです。

遊びを通して育まれるものを論証し、発信するには

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阿南:平成30年に改正されたガイドラインに、「児童館の機能・役割」という一節があり、児童館が果たす役割の1つを「遊び及び生活を通した子どもの発達の増進」と表現しています。遊びが子どもに重要だと認識したうえで、そこにいる大人の役割というのもここに登場してくるわけです。マンツーマンの家庭教師のように、これを食べなさいこれを学びなさいこれをしなさい、じゃなく、その場に友達も大人もいて遊ぶことで、子どもが大人になっていくのに必要なものを獲得しようじゃないかと訴えているわけです。

よく言われることですが、児童館の役割として「子どもの自主性・社会性・創造性の育成」や「健全育成」というキーワードもあります。児童館職員がやっていることは何かと問われたらみなさん「健全育成」と答えますよね。でも、我々の思う健全育成と社会一般のイメージは若干違うことがあります。非行防止や犯罪抑止が健全育成だと思っている方からすると、児童館の遊びには何の意味があるのかとなる。児童館職員の感覚としてある「遊びを通して子どもを良い方向に伸ばしていく健全育成」を、きちんと世の中に伝えていく必要があると思うんですね。今はまだ論証できておらず、ふわっとしていて我々の専門性が認知されにくいように思うのです。

私たちの考える「健全育成」というのは、遊びを通して子ども自身が主体性を獲得し、大人になった時に自立できて、僕は幸せだなと思えるかどうか。それをブレイクダウンして、幼児期・小学生時期何をすればいいのかと考えながら、非常に長い期間で我々は関わっているのですね。その反対にあるのが、支援者や指導者主体という考え方です。

でも、いつまでも大人が横にいて、支え続けることはできません。児童館職員のみなさんは、どう子どもの手を離していけるか、ということを、日頃お考えになっているのではないでしょうか。支援者・指導者主体で何かをさせる・仕向けるみたいな手法を減らし、子どもの主体性を育むということも、遊びと非常に密接に関係していると思います。

遊びには色々な要素が入っていて、本当に子どもたちに伝えたいことを、楽しくおもしろく愉快に伝えることができる。遊びと発達も重なり合う部分があります。できなかったことができるようになる、それが発達ですね。それまではできなかったけども、色々なステップを踏んでいく中でできるようになった。「できないこと」というのは遊びの中にもいっぱいあって、子どもたちのできたりできなかったりという「境目」や、できるようになる瞬間を目撃しているのが、我々児童館職員の日々だと思うのですよ。昨日できなくて、明日できるかもわからない、でも今日やってみようよ、と我々やあるいは友達が誘って、相互の関わり合いのなかで教えあいがはじまったりもする。遊びのなかに子どもの変化や発達している様子があり、なかなか見ることのできない部分を我々児童館職員は見ているのかなと思うわけです。

効果を狙うことで、消費する遊びになっていないか

引原先生

阿南:今日は引原先生に、運動遊びや遊びの価値をエビデンス含めて実証していただけると思うのですが、その時にぜひ話したいと思っていることがあります。効果だけを切り取って考えてしまうと、「子どもに運動遊びをさせなくてはいけない」「させることが発達になる」と捉える人が出てくると思うのです。でも遊び自体は子どものものであって、私たちのものじゃない。これをやると頭が良くなる、運動すると学力が上がる、確かにそういうデータもあるかもしれないけど、本当にそれだけでいいのかな、と。運動遊びのプロジェクトを進める私たちが、効果と遊びをどう考えるかを話してみたい。

児童館で時折、本当に子どもが遊んでいるのだろうかと不安になるんです。見た目は遊んでいて、行事やイベントでも楽しんでいる様子はある。でも行事イベント終わって、「先生遊びに行っていいですか」って聞かれて、すごくショックを受けるときがあるんですよ。これは子どもたちにとって遊びじゃなかったのだ、と。では、子どもにとって本当に遊んでいる状態って、どういうことなのかなという事を考えてみたい。

昔はよくあった「名も無き遊び」が、今はやりにくくなっていますよね。いつも同じ2〜3人が集まって、ルールなんかないところから何かやり始めて、毎日どんどん深めていっているような遊び。今は忙しい子どもが増えて、いつも同じメンバーが揃うこともない。そうすると、わかりやすくみんなでできる、それも職員が伝えやすい遊びをやることになる。そういったコンテンツにどんどん流れていってしまって、何か「消費する遊び」になっていっているような気がするのですよね。これで本当に、遊びの豊かさや深さを、伝えられているのだろうかとモヤモヤしているのです。

非認知能力を育むには、大人の認識に訴えること

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阿南:僕の思いはひと通り聞いていただいたので、ここからは引原先生に気になったところからつっこんでいただこうと思います。

引原:阿南さんのお話を聞いて思うことがいろいろありました。まず、遊びの目的って何なのだろうということですね。ガイドラインに出ているような「自主性・社会性・創造性」、「健全育成」。阿南さんの言う、「目に見えないもの」が遊びの目的で、児童館の役割でもある。

一方世の中は、とくに1980年代から今日にかけて、見えるもの測れるもの、専門的に言うと「認知能力」を、ものすごく追い求めてきたと思うんですね。測れないけれど、何となく人間の根底で大事だよねというものは、だんだんと軽視と言いますか、それ以上に追い求めるものが出てきてしまった。

例えば私、最初にスポーツの話をしましたが、わかりやすいんですよね、スポーツは。何位だとか、勝ったか負けたか、メダルの色だとか、非常に認知しやすく、世の中的にもわかりやすくて良いじゃないかとなる。我々の研究領域も、あんまり曖昧なものを発信してもだめで、基本的にはきちんと見える化すべきわけですね。

しかし最近になって、目に見えないもの、「非認知能力」が大事ということも言われるようになってきました。本当はいつの時代でも必要なものだと思うのですが、背景として、学問が進んで、この非認知能力を測れるようになってきたということがあると思うんですね。我々の大学教育の領域でいくと、学生の社会人基礎力みたいなものを定量化して、教育の効果を見える化していこうという取り組みがあります。

昔は測る必要なんてなくて、なんとなく大事だよね、とみんなが思っていて、それでよかった。それがきちんと世の中で受け入れられていたので、子どもはいつも自由におもいっきり遊べる時代だった。その世代は、我々が最後くらい、つまり、第二次ベビーブームに生まれた子どもたちまでで、今の子たちはいわゆる非認知能力を育む環境が少なくなってきていると思います。

児童館があるじゃないかと思うかもしれませんが、私はいくらハードの環境があっても、それを取り巻いている大人の意識がそこになければ、実質的な環境にはなっていないと思うのですね。社会が認知能力を追い求めるから、子どもたちが非認知能力を育める環境がなくなってきている。一番の問題は、大人の意識がそこにいっていないということ。大人にそこに目を向けさせるためには、やはりきちっと遊びにどんな効果があるのかという研究をやっていかないとダメなんじゃないかなと感じているわけです。

子どもたちは、朝の7時に出て、学校で義務教育を受けて夕方3時4時に戻ってくる。さらに放課後教育に目を向けると、また学習塾やスポーツクラブに行って指導やコーチングを受けるわけで、つまり、ずっと「受けっぱなし」なのですね。自分から何かを作っていく環境の大切さに、大人の意識が向いていない。これは多分大人が悪いというよりも、社会の問題だと思うのですが、もう一度目には見えないものを大事にするために、遊びの効果を丁寧に発信していくということが、私自身が今やりたいなと思っている事です。

「大人の役割」について、阿南さんの話の中で、指導者と支援者っていうお言葉があったかと思います。そうしたわかりやすい顔を持たない児童館の先生や、学童クラブの先生たちって本当に難しい職域だろうなと私はずっと思っているのです。だって、肩書は教育者ではない、保護者でもない。子どもたちと一緒に何か遊びを作ったり、共有したり、楽しんだりという仕事だけれど、相手は子どもですから、場合によっては瞬間的に教育者になったり、保護者の視点を持ったり、なおかつ支援者であるべき時もあって、つまり状況に応じて色々な顔を持ち合わせてないといけない。職域的にものすごく難しい専門職について、世の中にわかりやすい遊びの「効果」を伝えることで、皆さんのお仕事を理解してもらえやすくなったらいいなと私は考えているところです。

阿南:「非認知的能力」って、盛んに言われるようになりましたよね。教育分野でも児童館でも、それが育まれる環境作りを考えよう、広げよう、深めよう、ってなっていますが、何か短期的な気がして。効果を測ろうとすると、子どもの人生って1年でどうこうではなく、10何年先、20年先に効果が出るのかもしれないのに、その視点が抜け落ちるように思うのです。ビジネスだったら、短期で成果を評価して投資していくことが必要なのかもしれませんが、児童館はもうちょっと長期的ビジョンでいきたいなと思うのですけど、引原先生はそのあたりどうお考えになりますか。

引原:「効果」というと、急性的ですぐ目に見えるものと考えがちですが、私は、ちょっとした変化の積み重ねがいずれ効果になっていくと思っているんですね。「発達」の話もありましたが、小さな変化は我々の日常の中に存在している。私は、あえて「効果」という言葉で発信することで、遊びの優先順位が低いと思われている社会に訴えかけたいと。私の中では効果はちょっとした変化の積み重ねですが、言葉をうまく使うことは必要なのかなと思っています。

後半は、遊びを変えていくことの意味についてなどがテーマです。


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