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遊びが子どもをかえる・子どもが遊びをかえる (後編)

先日の投稿に引き続き、2020年2月23日に「ひと・まち児童館フォーラムin仙台」にて行った対談をまとめます。(以下より続きです)

「子どもの遊ぶ環境」は、大人がつくる必要がある

お二人

阿南:スモールステップでも、子どもたちって日々変わっていっています。しかし、変化を掴みにくいと言うジレンマもありますよね。それを「遊び」を通じて見つめていこう、虫眼鏡で見るようにしっかり見てみよう、ということが、今必要になってきている気がします。今の子どもたちは、やらされること・与えられることが多いというお話がありましたが、短期的効果を求めた促成栽培的な環境に置かれている子どももいるように思いますが、引原さんのおうちのお子さんはきっと全然違いますよね、どうですか。

引原:こういうところで偉そうな話をさせていただく私ですが、自分の家庭を省みると、社会の流れに抗えず認知的側面(例えば、学校の成績や順位)も無視できていないということが、やっぱりあるんです(笑)。だから私、こういった公の場でお話する時の言葉は、じつは自分に対しての戒めとしても言っているんです(笑)。そうすると子どもと接する時に、『公の場であんな偉そうなことを言っていてこれじゃだめだよな』ってなるので。

私は自分自身もスポーツを一生懸命やってきましたけど、子ども時代(小学生の頃)は習い事もせずにしっかりと遊んでいました。当時は、子どもの数も多かったんですね。近所には同学年の子が10人近くいて、習い事をしている子がいても誰かとは必ず一緒に時間を共有できていた。そういう時代に生まれたことは幸せだなと思いますし、その経験値が私を今ここの壇上に立たせているとも思います。

今の子ども達の世代には、私の子どもの頃のような同じような遊び環境がないんですよね。友達のところに遊びに行っておいでと言っても、「誰々くんは習い事があるし、誰々くんは家族でお出かけだし」となってしまう。30~40年前のあの環境は、今の子どもだけで自発的につくることはできない。だからこそ、私たち大人が、子どもの自由に遊べる環境を整えていってあげないといけないなと思うのです。そんなことをずっと考えていた3年前に阿南さんと出会って、初めて児童館のさまざまな現場を視察させていただいた。非常に可能性があるな、と感じました。今の社会において、こういった環境を真剣に取り組んでいる場所って、ほかにどこがあるだろうって。全国で約4,500か所あり、一部民営化されているとはいえ基本的には公の場所で、真剣に子どもの遊ぶ場所を作っていこうとしている大人ってほかにはないですよね。これを逃す手はないだろうと思っています。

ただし、阿南さんがトピックスとして挙げられた「大人の役割」って、大きく難しいテーマで、それを果たそうとしても、なかなか社会環境がそうさせてくれないということもありますよね。例えば、学童クラブで新しいことを始めようとしても、保護者から「そういったことは望んでません、きちんと宿題をやらせておいてください」と辛辣な言葉を投げられることも多いと聞きます。ですから、大人の役割を考えていくと、子どもを取り巻く大人たちの意識改革の問題につながってくるのじゃないかと思うのです。

阿南:そうですよね。私は、過疎が急激に進んでいくような田舎の町で育ったので、近所に同学年はほとんどおらず、少ない人数だけど学年関係なくみんなで遊ぶような環境でしたけど、そういった縦の関係がありつつの交友関係で学んだことはたくさんあったように思うのです。どちらにしても、我々の世代は大人の介入なく遊んできましたけど、現在大人の介入が高まっている子どもたちに関わることの難しさも感じています。これから模索が始まって、もっと深めて行かなきゃいけないことなのかなと、改めて思ったところです。

「遊び」がアクティブなライフスタイルを作る

運動遊び

阿南:そもそも何で運動遊びが子どもたちにとって良いのか、改めて引原さんの言葉で話していただきたいのですが。今、子どもたちの体力低下や健康問題が増える中で、体を使う遊びが重要視されています。個人的には、世界的なスポーツの祭典が近づいて、運動や体育をどんどんやらせなきゃ、みたいな雰囲気や風潮から運動遊びって言われると、ちょっと嫌だなあと思ってしまう部分もあるのですが、そのあたり含め何か思うところありますか。

引原:(運動)遊びの効果は山ほどあると思うのですが、まず、人間が身体活動を維持し続けるには、絶対に何かきっかけが必要だと思うんです。そのきっかけ(面白いという忘れられない体験)が運動遊びにはあると思っているんです。私は前職の厚労省管轄の研究所で人の身体活動量を評価する研究をしていました。WHO(世界保健機関)によると人類の死亡の原因に関わる危険因子の第4位が、「身体活動不足」なんです。体を動かし続けることが健康に切り離せないことはわかっているんですね。ところが大人になってから急に運動やりましょうとなっても、みんな本当にするのかなとずっと思っていまして。厚労省のデータだと、大人全体の3割ぐらいしか運動習慣を持っておらず、その数値も70歳代以上の世代の運動習慣率が引き上げての平均値なんです。逆に、20代・30代はめちゃくちゃ運動習慣率が低いんですよ。

阿南:会場のみなさんに聞いてみましょうか、どれぐらい運動をしているか。

引原:そうですね、ぜひ。週2回、1回30分以上の運動を1年以上は続けてるという方、どれくらいいらっしゃいますか。3割はいませんね。1割いたかな、というくらい。大人になってから急に何かスポーツや運動に目覚めたって、40歳以降の特定健康診断の数値が届いて、やばいとなった時ぐらいじゃないかなと思うのですよね(笑)。

世界的なデータで、思春期(13〜15歳)の運動習慣は、30歳以上の余暇活動での運動習慣とものすごく関連性が強いという結果が出ています。中学生以降になると、だいたいその人の行動パターンって将来に持ち越されていく。ところが不思議な現象があって、小学生の低学年に目を向けると、みんな運動や遊びをしているんですよ。子どもの体育嫌いが話題になるけれど、最近の調査でも低学年の子どもの好きな教科第1位は体育なんです。私が子どものころは、雪が降れば体育は絶対に雪合戦や雪だるまづくりとか、体育イコールほぼ遊び感覚でした。だから、なんでそんな子どもたちがいつの間にか、体を動かすことに好き嫌いがはっきりしたり、運動する習慣を失っていくのかは奇妙なことですよね。

小学生の場合、学年が進むにつれて、文科省の指導要領とともにスポーツの概念やルールという制約条件が入ってきて、体育に馴染めなくなってくる子が出てきていると思うんですね。もっと子ども時代は勝ち負けとか上手下手とか関係なく、もっと自由に、内発的な動機(純粋に面白いという気持ち)によってその行為(遊び)そのものを楽しむことのほうが大事なんじゃないかと思うのです。その子どもの時に味わった運動遊びの体験知(きっかけ)により、長くアクティブなライフスタイルを獲得できるのではという仮説を私自身は持っています。

もう一点、早くから特定のスポーツに取り組むことが本当に良いのかなということがありますね。神経科学の領域からわかってきているのは、子ども時代にはたくさんのことを経験させて、たくさんの神経回路をつくっていくことのほうが大事だということです。その神経回路を頑強(熟達)させるのは、思春期以降でもできること。子どもはまだ神経や骨、筋肉も未発達なのに、特定のスポーツで特定の動きの要素や部位を鍛えようとしてしまう。サイエンスと矛盾するような事をたくさんやっても、子どもにとって決してよくないだろうと思います。おそらく、本当に定まってない名もなき遊び、そういったものには動きの多様性があるので、未確認の効果がたくさんあるんじゃないかなと期待しています。

動きたいという欲求を解放する場所が必要

阿南さん

引原:私は人も含めて動物は本来、動くことへの本能的な欲求を持っているんじゃないかと思っているんです。ゲームが大好きな子どもでも、本当は環境さえあれば、体を動かしたと思っている気がします。もう少しわかりやすく言うと、ゲームの世界がリアルに実施できればそれに越したことがないって思う気持ちです。マリオゲームのリアルな世界があったなら、子どもはきっと反応しそうです(笑)。例えば、最近サバゲーが流行していますが、これはゲームの世界をリアルで実践したいという欲求があったということですよね。なので人は環境さえあれば動きたい欲求は必然的に溢れてくるものじゃないかなと。ただ、残念ながら今の子どもには遊び環境の問題もあって、欲求を解放できる場所がないと考えているのです。

阿南:本来入っている回路のスイッチが押せるかどうか。それが大事だなということは本当に思います。授業でやらなきゃいけないものとやりたいことって、どこかちがうんですよね。棒を振り回すような行為があって、それが遊びなのか剣道なのかでは全然ちがうわけで、子どもたちに棒を振り回して遊べる環境があるとよいなと思います。大人になってからも、そのスイッチが入る可能性はやっぱりあるなと思いますよ。運動嫌いと公言してきた私ですが、仲間がいて、運動遊びって楽しいよ、すごいよ、と思わせてくれる環境があって、自分のスイッチが入っていったように思います。

遊びを変化させていくことで、欲求が形になる

遊びを変えていく

阿南:今回の対談のテーマのひとつ、「遊びを変えていく」ということについても話していきたいと思います。子どもたちが遊びを変化させていくチャンスがたくさん含まれているのは「遊び」の特徴ですよね。遊びを変えることの意味、体にとって、脳にとって、そういった観点からご示唆いただけることがあればお願いします。

引原:先ほどの欲求の表現の話にも関連しますが、自分で自由に遊びを作り直せることは、それこそ欲求や動機につながるんじゃないかな。自分が作ったものをやるのは、楽しいですよね。みなさん体験されていると思うのですが、キャンプで作ったカレーがおいしいのって、自分で作ったから。遊びも、こんなのしてみようって、自分たちで考えて変えていけばおもしろく感じて、どんどんやりたくなっちゃうわけです。つまり、変えることは継続するという仕掛け効果もあるとも思います。

神経や脳という観点からは、おもしろいデータがいくつかあります。遊びを変化させることは、創造性や想像力、あるいは自分自身の自己肯定感情が高くなることにつながり、コミュニケーション能力などの社会情動的スキルも高くなるということはよくいわれてきました。追跡データから子どもの頃に非認知的な教育を受けさせると、いわゆる社会人になってからの力、認知的な力(脳の実行機能も含め)が高いというが明らかになってきたんです。実利のある数値に貢献していることがわかり始めて、ますます遊びを通じた非認知能力の教育が期待されます。

「遊び」を世の中に広めるために「効果」を言うことは必要

引原先生

阿南:非認知能力を高めなければ、と、何かそういう手段としての「遊び」に置き換えられてしまうのはこわいなという気持ちもあって、効果だけではない意味があるんだよ、とちゃんと伝えなきゃなと思ったりもします。

引原:阿南さんは、子どもの自発的な成長を促したいという理念が根底にあるのですよね。もちろんその想いは根本にあってよいと思うのですが、やっぱり我々だけでは、なかなか世の中が変わっていかない。そういう中であえて、「効果」という言葉を手段的な発想で用いることによって、多くの人の意識が「遊び」って大事だよねという方向に転換していくのではと思うのです。阿南さんたちが考えるゴールは、本来はもう一歩先にあるとは思うのですが、まずは世の中の考え方を変えていくために、「効果」という言葉を遊びの普及や遊び場の環境整備のための手段として使わざるを得ないかなと思っています。

阿南:児童館が即物的にすぐ何か効果を出せる場所だから行かせるみたいに捉えられると悔しいので、それをうまく使っていく、児童館職員のしたたかさも必要なのかもしれませんね。

変えることを「承認できる大人」としての児童館職員

引原:子ども時代をこう過ごしたら社会人基礎力などの自主性が高まったという因果関係を捉えることは簡単なことではありません。今は社会事情も非常に複雑になってきていますし、この経験が将来のこれにつながっているんだという断定的な答えは導けません。ただ、子どもたちにとって、どの経験がいいのか、整理すべき時期に来てるんじゃないかという気はしています。
例えば、都市部の人からすると田舎の子は元気いっぱいってイメージがあると思いますが、じつは今地方では子どもの肥満の問題があったりするんです。都市部の子どもたちが通うでスポーツクラブや学習塾が受動的だという話をしましたけれど、そこにコミュニティがあるのなら、それはそれで意味があるかもしれない。社会環境と子どもの健全育成との間には難しいメカニズムが潜んでいると思います。

ユニバーサルな児童館という存在を生かす

優位性

阿南:どこにでも遊べる環境があるわけではなく、どんどん格差が広がっていくなかで、児童館のユニバーサルでいろいろな方がアクセスできるという点はすごく大事なんじゃないかという気がしているんです。全国に約4,500ある児童館という名のついた施設が、同じような機能をきちんと果たすことができれば、地域を問わずできることがじつはあるんじゃないかと思っているんです。

引原:今の時代において、子どもたちの自由度があって主体性がある児童館機能って、本当にいいなと思うんです。一方で研究者の立場からすると、東京には600館ある児童館が、本来あってほしい地方にはなかったり、距離が離れていてアクセスしにくかったりという問題も目につきます。児童館の先生方には、もっと他の分野も巻き込んで、まちおこし・まちづくりという視点で取り組んでもらわないと、ますます遊び環境の格差が広がってしまうのではという懸念があります。

阿南:今児童館の地域格差があるなかで、遊びを通した健全育成という専門性をどうアウトリーチしていけるかというのも大事ですよね。話したいトピックスとして、児童館の有用性ということを挙げたのですが、こんな時代だからこそ児童館が必要だろうと私は思うわけです。でも一般の人たちは、まず“遊び”というワードに引っかかってしまって、児童館職員て遊んでていいよね、というようなことを暗に言われるようなこともあります。そこからなかなか脱却できない悔しさがみなさんの中にもあると思うんですが、外から3年眺めていただいた引原さんから、児童館職員の専門性や児童館じゃないとだめだよねというところをもう少し挙げていただいて、みんなを元気にしていただきたいと思うのですけれど。

引原:さっきもお伝えましたように、皆さんのお仕事ってとても専門性と柔軟性が必要な仕事だと思います。スポーツコーチングなら、形がありメソッドが確立されているし、学校教育もやはりきちっと学習指導要領に基づいているわけですよね。一方で、遊びって変えられるし、自由で強制的なものでもなくて、その中で子どもたちの発達を促すってものすごいファシリテーションスキルで、とんでもない専門職だと思うのです。そしてその専門職とはいかに柔軟な対応ができるかという柔軟性が大いに関係していると思うんです。

なので私は、皆さんの仕事が遊びを使った専門的な仕事だということを、世の中に発信しやすいように整理していく役割を担わなければと思います。その時に、効果や変化を含めてきちっと見える化して発信していくことが大事かなと思います。スポーツ好きの子もゲーム好きの子も関係なくどんな子どもにおいても欠かせない共通の体験ですよね、遊びって。児童館は、誰もがその遊びの恩恵を受けられる、そんな子どもの環境を作っていくリーダーであって欲しいというのが私の願いですし、ぜひそういうことをやっていってほしい。児童館というお仕事には、大きなパワー・エネルギーがあり、今世の中に求められているものだと思います。

阿南:専門家の言葉をどう借りてくるかということですよね。引原さんのように児童館に関心持って関わり続けてくれる研究者ってそうそういない。でももしかしたら、ただ気づいてないだけで、そんなすごいことやってるんだと思ってくれる人は、皆さんの周りにもまだまだいるんじゃないかなと思うのですね。児童館を通過していった多くの人は、児童館の価値を感じてくれていると思うので、振り返って児童館でのこの経験が良かった、あの体験があったから今の私がありますというようなメッセージを発信してくれる方は、もっともっといるのではないかとも思うのですね。そういう人を掘り起こすと、その方々が持っている専門性が児童館につながってくることにもなります。

だからこそ児童館が持っているもの、果たしていることをどんどん発信していく作業が、今必要なのかなと思うわけです。児童福祉施設として誕生した児童館が求められている役割は、そこにいる子どもがその時点で幸せになるってことだけじゃなく、その子たちが大人になったときにもどうなのか。要は彼らがつくる次の未来や社会を、変えるために我々がいるわけですよね。よりよい社会を、未来を手渡したいわけですよね。そのために今、日々積み重ねている素晴らしい体験、あるいは実践を、もっともっと世に出していかないと。彼らが児童館の遊びのおかげで、こういう人生が送れていると。胸張って生きていってもらえるように、今やっていることを伝えていってほしいと私は思うわけです。

幸せの積み重ねが未来につながっていく

阿南:最後になりましたけども、引原さん何か言い残したことは?

引原:社会を変える、というとなんだか大きなことのように思いますが、今の子どもたちが幸せなだけじゃなく、未来にそれがつながっていく、という部分が非常に大事だろうと思います。今ある子どもたちの幸せの積み重ねが、のちの幸せもつくるだろうと。認知能力へ偏重した考えになり過ぎると「今努力しておかないと大人になってから苦労するよ」という表現を使って、子どもに勉強させるってことはよくあるじゃないですか。でも人生100年時代の中で、この10代あるいは10歳までの時代が、どれだけ楽しかったかのか、ということもとても重要なのではないかと思っています。10歳までの10年間と、30〜40歳までの10年間が、主従関係ではないような気がしているんです。人生100年のなかで、ここの10年間がものすごく良かったと思えることが、大事なような気もしてるんですね。それが次の10年、あるいは30年につながっていたらもっといい。でも、単純に生まれてからの10年あるいは20年、「ものすごい楽しかった!」ってまずは言わせてあげたいなとシンプルに思っていて、人間の幸せってその積み重ねなんじゃないかなと感じてたりしています。

阿南:健康や発達という観点からも、基盤となる幼少期の育ちというのは、すごく大事。その環境もさらに本当に大事なんだろうなということを、改めて運動遊びとか遊びという切り口でも感じられた対談になったかと思います。今日のところは、こちらで終えたいと思います、どうもありがとうございました。

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