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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第二章「槻の木の下で」 前編 2

 ひとときして、智仙娘の前には、目の大きな、そして、眉毛の凛々しい男の子が座らされていた。

「鎌子、どうしてお前は、こうも毎日毎日悪さをするのですか?」

 智仙娘は捲し立てる。

 鎌子は、そんな彼女の顔をじっと見つめて聞いている。

 彼が母親の顔を見ながら、その小言を聞いているのは、決して彼が反省をしているからではなく、母上の口はよくこんなにも早く動くものだと感心しているからであった。

 しかし、母親というのは大したもので、息子が話を聞いていないということが分かるようで、

「聞いているのですか?」

 と、問うのである。

 すると大抵、彼の答えは、

「えっ? はい……」

 なのだが、彼女がさらに突っ込むと、

「えっと……、何でしたっけ?」

 となって、結局最後は、

「罰として、蔵に入っていなさい」

 となり、彼は黙って蔵に入るのだった。

 しかし、そんなことは日常茶飯事で、智仙娘が蔵の前にいる間は、大人しく正座をして反省している振りをするのだが、彼女が立ち去ると、早速寝転がって、板の隙間から僅かに見える外の景色を眺めるのであった。

 雲が、ゆっくり流れていく。

 外は相変わらずいい天気だ。

 つまらない、つまらない。

 なにか、もっと楽しいことはないかな?

 彼は、単調な日常を嘆き、そのうち小さな寝息を立てるのであった。

 この日の夜、鎌子は、久しぶりに飛鳥から帰って来た父御食子にこってりとしぼられた。

「鎌子、お前は、この中臣が祭祀を司る家として大王に仕えっているのは分かっているな?」

 父の顔は怖い。

 鎌子は小さく頷いた。

「神事を取り仕切る家にとって、祭壇は宝も同じ。ましてや、それが氏神であればなおのことだ。分かるな?」

 また、小さく頷いた。

「では、どうしてこんなことをするのだ?」

 父は、常に冷静だった。

 鎌子は、父が取り乱すところを一度も見たことがなかった。

 子供をしかるにしても、頭ごなしということがない。必ず、理論ずくめで攻めていった。それが逆に、鎌子には苦痛であり、恐怖でもあった。

「答えられないのか?」

 答えは決まっていた。

 ただ、やりたかったからだ。

 子供がやることに理屈などない。

 いましたいこと、それが彼らにとって最も重要なことなのだ。

 しかし、「やりたかったから」などと言えば、ますます父親の怒りを買うのは必至である。

 だが、これといって良い言い訳が浮かぶほど、彼は年を食っていない。

「鎌子、お前もまもなく十歳になるのだぞ。兄の枚夫(ひらふ)は、五歳の頃から毎日毎日神事の勉強をして、十歳になる頃には祝事を諳んじていた。いまでは、私とともに重要な祭祀をこなすようになってきている。このままでは、ますます差が付いていくぞ」

 枚夫とは、鎌子の異母兄である。

 鎌子は、この異母兄の話をされるのが嫌だった。

 そして、なにより異母兄と比べられるのが嫌だった。

「鎌子、もう少し、腰を据えて神事の勉強に取り組まんか?」

 神事の勉強は好きではなかい。

 色々な決まりごとが多すぎて覚えられなかった。

 しかも、そんなことどうでもいいだろうという決まりごとが多すぎるように、鎌子には思えた。

 しかし父に言わせれば、長い間かけて残ってきたものは、それが重要だからであり、重要でないものはすぐになくなってしまうらしいのだが……。

「それとも、何か他にやりたいことでもあるのか?」

 やりたいこと?

 いまの鎌子に、そんなものはなかった。

 やりたいことより、退屈な毎日をどう過ごしていくかが、いまの彼には重要だった。

「神事の勉強もしない。かといって、他にすることはない。そんなことでは碌な人生は歩めんぞ」

 どうせ人生は決まっている。

 宮内か地方の祝(はふり)になるのが関の山だと、彼は思っていた。

「鎌子、飛鳥の私の下に来るか?」

 鎌子は、父のその言葉を聞いた時、大きな目をさらに大きくした。

 確かに、飛鳥には興味がある。

 しかし、父の下で一緒に生活するなんて真っ平だ。

 彼は、大きく首を振った。

 それを見た父は、

「もう良い、今夜はもう遅いので休みなさい」

 と、深いため息をつきながら言うのであった。

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