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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第四章「白村江は朱に染まる」 中編 21

 高尾深草は、先に御座船に乗り込んで、船底の最終点検をしていた。

 そして、あと少しですべての点検が終わろうかという時、朴市秦田来津から上がってくるよう指示があった。

 彼は、指示どおり甲板上に出た。

 田来津は川岸に佇み、流れゆく川をじっと眺めていた。

「お呼びですか、田来津様?」

 川岸に上がった深草は、田来津に声を掛けた。

「ああ、お前に頼みたいことがあってね」

「はあ……」

 田来津は、胸元から一切れの布を取り出した。

「これは、妻が私の無事を思って襟元に縫い付けてくれた彼女の領巾の片割れなのだが、これに妻への歌が数首書いてある。あっ、待て。もう一首書くのを忘れていた」

 篝火の下、彼はその領巾にもう一首歌を書き付けた ―― 長津を出航する前日、大伴朴本大国が教えてくれた松浦の佐用姫の歌であった。

「これを、妻に渡してくれないか」

 深草はそれを受け取った。

 が、よく事情が呑み込めない。

「あの……と言いますと?」

「お前は御座船を下り、大国の船に乗ってくれ」

「どうしてですか? なぜです? 私もお供させてください!」

「御座船はおとりだ、命の保障はできない。だから、お前には下りてもらうのだ」

「なぜですか? 私は、長年秦家に仕えてきたのですよ! 主を残して、自分だけ安全な場所へはいけません!」

「深草、長年仕えてきてくれたからこそ、お前には朴市に戻って、安孫子や小倉の力となって欲しいのだ、頼む!」

「田来津様……、田来津様は?」

 深草は涙を零した。

「俺は死ぬよ………………明日の戦さでは、多くの死者が出るだろう。武人でもない倭国の良民が、国に徴収され、そして名の知らぬ土地で眠りに就く。将軍の中で、だれか一緒に眠ってやるヤツがいなくては、彼らがあまりにも可哀想じゃないか。それに、私はあの人を守ることができなかったのだし……」

 それは、田来津の人生そのものだった。

 弱き者のために力を使い、弱き者のために命を落とす。

 父の言葉は、こういうことだったのだと彼は思っていた。

「深草、お前は生きろ! 生きて、再び倭国の土を踏むのだ! そして、妻や小倉に、いや、朴市の人々に伝えるのだ。秦田来津造、弱き者のために生き、弱き者のために死したと、良いな!」

「田来津様……」

 深草は泣いた。

 田来津も泣いた。

 後年、深草は孫たちに話をせがまれると、好んでこの話をしたという。

 その時、彼は決まって、最後は涙を流しながら話をしたらしい。

 ―― さて、件の片割れの領巾だが、安孫子郎女は、毎日のように、これを愛しそうに眺め暮らした。

    そして、そこに記された歌を、小倉に子守唄代わりに聞かせ、小倉も、この歌を全て覚えてしまった。

    彼は、特に松浦の佐用姫の歌が好きで、よく口遊んだそうだ。

    秦小倉は、後年、近江甲賀の粟田(あわた)氏の一族である山上(やまのうえ)氏の娘と結婚し、姓を山上小倉と改める ―― これが、あの萬葉集に名高い山上憶良(やまのうえのおくら)である………………かどうかは分からない。

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