【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第二章「槻の木の下で」 後編 16(了)
件の弟成と黒万呂は、罰として大杉の下に括り付けられていた。
あの後、雑物の従者たちから散々に痛めつけられ、体中は痣だらけだ。
「なあ、お前も八重女のことが好きやったんか?」
黒万呂は、鉄の味がする唾を吐き出しながら言った。
「別に」
「ほな、なんであいつに飛びかかったんや。」
「別に……」
「別にってなあ……お前」
「黒万呂は何でや? 何で、あないなことしたんや?」
体の節々が痛い。
「俺は、八重女が好きやからな。好きな女のためなら、命も要らん、……なんてな。それよりも腹減ったな」
黒万呂の腹がなった。
弟成の腹もなった。
2人は可笑しかった。
体中痛いのに、腹はしっかりと減っていた。
「何が可笑しいの? こんなところに縛りつけられて」
その声は、稲女であった。
「はい、これ」
彼女は、大きな握り飯を取りだした。
「おお、ちょうど腹減ってたところや。稲女、はやくくれ」
「黒万呂、くれって言っても、その格好や食べられへんでしょ。うちが、食べさせてあげるから」
稲女は、握り飯を少し取ると、黒万呂の口に運んだ。
飯は鉄くさかったが、美味かった。
稲女は、弟成の口元にも運んだ。
しかし、彼は食べなかった。
「それ、稲女が?」
「うちも手伝ったけど、黒女小母さんと三島女小母さんが殆ど作ったねん。2人とも泣きながら作っとったんやで」
「そうか、母ちゃんが……」
黒万呂は、それを聞いて初めてしょんぼりした。
「弟成、食べへんの?」
「……俺はええ、いま、腹減ってないし」
嘘である。
死ぬほど減っている。
でも、この飯は食えなかった。
雪女と家族を守ると約束したのに、その家族に迷惑を掛けていた。
それなのに、家族は弟成の心配をしている。
彼は、その飯を勇んで食べることはできなかった。
「あっ、誰か来るみたいやから、うち行くね。これ、ここ置いとくから」
稲女は、握り飯を木の下に置くと、急いで帰って行った。
「あいつ、こんなところに置いて行っても食えんがな」
黒万呂は、稲女の背中に言った。
その稲女と反対の方向から近づいてくる人影がいた。
入師と数人の僧侶である。
入師は、弟成の顔を覗き込んだ。
弟成は、なぜか彼の顔を見ることができなかった。
「お前が、あんなことをするとは思わなかったわい。なぜ、あんなことをしたのじゃ?」
「……あ、あいつが、兄ちゃんを殺したから……」
素直に言った。
黒万呂は驚いた。
「あいつだ!」と言う言葉には、そういった意味があったのかと思った。
「…縄を解いてやりなさい」
「しかし、入師様、そんなことをすれば、寺法頭が」
「寺主は私です。さあ、早く」
僧侶たちは、弟成と黒万呂の縄を解いた。
「弟成、付いて来なさい。そっちの子も来なさい」
2人は、入師の後に連れ立った。
入師は、金堂に2人を通した。
金堂には、明かりが入れられていた。
お釈迦様は、何時もより輝いていた。
「弟成よ、それがお前の正しい道か?」
入師は、弟成を見た。
弟成は、それに答えなかった。
「兄の復讐をすることが、お前の正しい道か?」
入師は、なお尋ねた。
弟成は返事をしない。
黒万呂は、弟成を見つめていた。
「弟成よ、兄を殺められたこと、さぞかし辛かったであろう。しかし、お前の兄上は、お前に復讐を望んでいようか? 復讐のために、お前に正しい道を教えたのであろうか?」
弟成は、お釈迦様を見上げた。
「弟成よ、お前は、道を踏み外してはおらぬか? 兄の言葉を裏切ってはいないか? もう一度、自分の足下を良く見つめてみろ」
弟成はお釈迦様を見続けた。
お釈迦様の顔に、三成の顔が重なって見えた。
その顔は、寂しそうに見えた。
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