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虐待親への怒りと葛藤

最近の中でも、少し前、過去に虐待してきた父親に対して、怒りが芽生えて、抑えられない時期があった。

私はまだ連絡先が繋がっていた父親に、長文で罵倒するLINEを送り付けた。

“父は『梓のせいで俺の人生めちゃくちゃだ』って言ってきたけど、それはどっちのセリフよ?!
あんたのせいで、私の心も体も身体も人生もめちゃくちゃよ!!
あんたと会わなくなってからも絶望感で自殺未遂と入院を繰り返してて、働けなくなって生保になって、グループホームに住んでる。
こんなに堕ちたのはお前のせいだ!!!
私がどれだけ今も昔も辛かったか、分からないでしょう?!”

“こんな家に生まれたくなかった、私が迷惑で邪魔でムカつくなら、暴力なんかせずに捨ててくれりゃ良かったのによ!!!!
それとも私が悪い子だったからって言い分がありますが??
じゃあだからって殴ったり蹴ったりしていい理由にはなり得るんですか??”


主治医によると、怒りの感情が出るのは『正当』であり、必要な『プロセス』だという。
むしろ『回復の兆し』であるとも言われた。

しかし、このまま両親に対して怒りを持っていても埒が明かないし、自分も苦しむだけなのではないかと感じるようになった。
冷静さを欠くと、衝動性が高まったり、怒りの感情をコントロールできなくなってしまったりする部分が少なからずあるのは、自分の反省点だ。

父親からの返信は
『実の娘なんだから愛してるに決まってる』
という言葉が送られてきた。
それと一緒に、
『ちーが段々変わっていく姿を見るのは辛かった』
という内容も来た。この文章は、父親は私が精神を病んだのは“SNSのせい“と言いたいということだ。

つまり父親は私へのDVの加害の意識や自覚は無く、娘の行動、考え方のせいにしていたということが分かった。
私は酷くショックを受けたが、訪問看護や心理療法等で沢山話をし、ぐっちゃぐちゃな気持ちをなんとか整理することが出来た。


父親のことは、もう諦めようと思った。
しかし私には、まだ、母親がいる。

母親のことは信じたいと思った。

母親はきっと、昔より変わってくれている。
私の意見も前よりは聞いてくれるし、暴力や暴言は無くなった。なんだかんだ『私の味方』で居てくれてる、という安心感が少し持てるようになった。


『愛してくれている』と、少し思えるようになった。

父親と離婚して実家に帰るのには、相当な勇気が必要だったと思うが、娘である私の身の安全や心の平穏、回復の為に、一大決心をしたのだと思う。

今でもぶつかることは何度もあるし、悲しい気持ちにさせられることも多々あるのが現実だ。

それでも、『変わろうと努力してくれた』母親のことを認めて、少しでも好きになって、今更でも親子関係を良好にしたいと切に願っている。


母親とだけでも、『仲のいい親子関係』で居られること、母親が変わってくれたことは、これ以上無い幸運だと思って、有難みを持って生きていかなければ。


“泣いても一生
笑っても一生
どうせ同じ一生なら
笑って過ごそう“


少しでも前を向けるように。
今の幸せに気付けるように。

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