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体験としての映画(作劇/質感/解像度/容量)

HBOの『チェルノブイリ』が『シン・ゴジラ』に似てるのは扱うもの(放射線を放つ制御不能の巨大ななにか)の性質上展開が似るだけでなく、作劇上も同じ仕組み。

作劇

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通常の作劇は人物が立ち向かう外的問題(事件・事故)内的問題(勇気とかトラウマとか)と結びついて進行するけど、『シン・ゴジラ』も『チェルノブイリ』も主人公たちは外的問題に全振りで、事態にひたすら立ち向かう。

『インデペンデンス・デイ』や『ツイスター』などひと昔前の災害映画は外的問題(災害)の解決が内的問題(別れた妻を取り返す)の解決と結びついて最後には全部一件落着、みたいなのが多かった。進研ゼミ始めたら自信ついてテストだけじゃなく部活と恋愛もうまくいく的な仕組み。

でも現実はそんなうまくいかないことをみんなもう知ってる。

世界の危機も自分の問題も2時間で解決、というのは現実ベースの作劇では成立しなくなった。

ただ、現実を取り入れながらもスーパー絵空事なエンターテインメントショーでなら可能。『アベンジャーズ エンドゲーム』なんかは外的問題(サノスを倒し宇宙を救うこと)がトニーの内的問題(自己中→利他的へ変化)とマッチしてる王道の作劇である。

質感

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『チェルノブイリ』4話の魔の90秒ワンカット(放射線が強すぎて人間が90秒しか活動できないエリアでのガレキ撤去作業のシーン)はやはり象徴的で、ドラマチックに盛り上げる演出は皆無、に見える、という演出が、一番観てる側はドラマチックというかハラハラしてしまう。人が現実を捉えるときの不正確さの質感を精細に演出に取り入れ、結果シンプルの極みのような映像になっている。盛り上げない。ただそこにいるように撮る。

限りなく盛り上げてみせることで「心」から信じ込ませる旧来の演出の極地が『アベンジャーズ エンドゲーム』

限りなく現実っぽく見せることで「脳」をハックして信じさせる最新の演出の極地が『チェルノブイリ』

なのだとすると、起点はやはり2001年9月11日だ。

いろんな人が何度も言ってるけど、「映画みたいな見た目の強烈な現実」があらわれたことでなにか認知の基準が更新されて、リアルを目指すと「映画みたいな見た目の強烈な現実、に見える映画」ていうねじれが生まれた。

映画と現実の質感が逆転したのだ。

解像度

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「映画みたいな見た目の強烈な現実」に見せる手段としては、手持ちカメラだったり報道映像の多用だったりっていう小技はあるんだけど、根本的な大技として「人物を外的問題に全振りする」─つまり旧来の映画っぽさとは逆にするってのがあるんだと思う。

より現実に感じるようにするためには、大きな外的問題に内的問題を都合よく織り交ぜるのは不自然になってしまったということだ。

映像の綺麗さも、人間の世界への認知もめちゃくちゃ解像度が上がった結果、世界の危機を2時間で全解決しちゃう昔ながらのお話はたぶん「昔のデジカメの画像を見たときのような解像度の低さ」を感じてしまうのではないか。現代人にとって情報量が足りてないのだ。

逆に22作3000分かけたエンドゲームや何シーズンも続くドラマシリーズはそれだけ情報量も増えるし、それってつまり人物の解像度が高いということで。旧来の2時間映画で人々が感じてたような満腹感、満足感を与えるにはそのぐらいの情報量を込めて解像度を上げてかないといけなくなっているということではないか。

容量

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ただ、2時間なら2時間なりに描き出せるちょうどいい人間の情報量もある。

それは昔っから邦画が揶揄されてる「半径2メートルの世界」だったり。

これは最近邦画が盛り上がってることとも関係あるんではないか。

2時間なら→小さい人間関係
世界の危機なら→ロングシリーズ

みたいに戦場がうまく分かれたってことなのかもしれない。

大作がロングシリーズに戦場を移したおかげで、2時間なら2時間なりの情報量と解像度でそこまで大きくない個人的な問題を描く小さな作品が、意外とのびのび戦えるようになっているという説はある。

そこでショートフィルムはですよ、20分という容量の中でなにができるか。世界の危機は入らない。人間関係を高解像度でやるにも足りない。ちょっとした人間関係ですら2時間かかるなかで、現実を高解像度で描写するにはショートフィルムでは容量不足である。

で、20分の容量にちょうどいいのは、お伽話だ。

細かく解像度高く、時間をかけて描く人間の個体と時間─現実を描くのではなくて、記号化された人間たち全員で簡単な構造物をつくることで、ひとつの端的なアイデアや感情の質感をつくる。

白雪姫も桃太郎もイソップ物語も、人物の解像度からしたらシンプル極まりないけど、お話全体として質感は持っている。

人間が共有する空想(=物語)の原点が口伝やお伽話だとすると、いま映像でそういうコンパクトにパッケージされたお話に一番近い質感を持ってる映像は、ショートフィルムだと思うわけです。

世界を揺るがす問題の真っ只中、まるでその場にいて体験したかのような解像度の高い現実味のある疑似体験は、『チェルノブイリ』を筆頭に2時間にとらわれないロングシリーズへ。

世界を揺るがさないけど、とある人間のとある問題と解決をじっくり見届けるなら、2時間の映画へ。

記号と構造で紡がれるパッケージされたお伽噺を楽しむなら、ショートフィルム。

解像度/情報量が高い話を楽しむ…ロングシリーズ
解像度/情報量が普通の話を楽しむ…2時間映画
記号と構造を楽しむ…ショートフィルム

こんな楽しみ分けもあるかもしんないですね。

自分のショートフィルム『GHOSTING』がもうすぐ公開だからなんか都合いい結論にしてないか?と言われれば…その通り!!11月8日(金)公開!よろしくお願いします!!!

こうでもしないと自分でもまとめきれなかったので、この記事のようなことは引き続き考えてみることにします。

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また映画つくりたいですなぁ。夢の途中です。