私たちは、なぜアイデアを考えるのか
「新しいアイデアを考える必要があるんですよね」
こうした声が聞かれない企業というのはほとんどないと思います。
またその後によく続くのが
「なかなかいいアイデアがうまれないんですよねぇ」
という声です。
では、私たちはなぜ、アイデアを考え、生み出す必要があるのでしょうか?
アイデアは、売上のためにある?
これはある種命題のように思えるかもしれません。社会が変化する中で、既存の事業だけで売上を伸ばし続ける、あるいは保ち続けることは難しく、新しいアイデアを考えなければ、収益を上げ続ける企業になることは難しいでしょう。
しかしながら、冒頭に言っていた「いいアイデア」とは、売上が上がるアイデアのことなのでしょうか?
もちろん、売上が上がるに越したことはありませんが、そもそも最初から既存事業と同じ規模の売上が上がるような事業アイデアなんてそうそう出てこないでしょう(既存事業を築き上げてきた人から見たら、出てきてたまるかって感じですよね笑)
もっと言えば、既存事業として成立した事業も、決して売上だけを狙っていたわけではないでしょう。
アイデアは、課題解決のためにある
売上が上がるということは、それを喜んで購入してくれた人がいるからこそです。そしてその人は、何かしら自分の困りごとが解決することに喜びを感じてくれているのでしょう。
人々の生活はさまざまな困りごとに溢れています。それを解決することに、多くの人が情熱を捧げており、そしてそこには、売上を目的とせず、純粋に課題を解決したいという想いで動いている人たちも多くいます。
アイデアは、そうした課題を解決するために必要になるわけです。
では、そうした「課題」とはどこからやってくるのでしょうか?
課題は、どのように定義されるか
よく新規事業などの事業づくりのシーンでは、顧客の「ジョブ」を捉えろ、ということが言われます。
よく事例で出てくるのは、穴あけドリルを買っているひとは、ドリルが欲しかったのではなく、穴が必要だったからドリルを購入している(雇用している)のだ、というものです。
穴をあける必要があるために、ドリルを雇用する。
この必要があるという言葉で示される部分が「ジョブ」にあたります。
このとき見落とされがちなのは、なぜ穴をあける必要があったのか、ということです。
ジョブ理論の提唱者であるクリステンセンは、
『 人々が商品やサービスを自らの生活に「雇用」するのは
そこに「片付けるべきジョブ」があり、
ジョブを片付けることで「進歩」するためである 』
と述べています。
ジョブを片付けることは目的ではなく、「進歩」することが目的なのです。
つまり、「ありたい姿」に向かっていく道のりの過程に存在している、片付けるべきものが「ジョブ」なのです。この構造の中に課題は定義されます。
課題は、ありたい姿との関係の中に描かれる
こうした関係性を図示するために作ったのが、「山の図」です。
喜ばせたい人がいて、その人たちは、ある山の山頂、つまりありたい姿を目指そうとしています。
そこには、様々な道のりがあり、そして乗り越える必要のある障壁、つまりジョブが存在しています。
山頂を目指す人は、どうしても池を越える必要があると考えていますが、実は別の道も存在したりします。当然そこには崖があったり、風が強く吹いていたりと、別のジョブが存在しますが、そちらのほうが実は乗り越えるのが楽だったりもします。
こうした関係性の中で、どのようなルートをたどり、どのような障壁を乗り越えようとするのかを設定すること、これが課題設定と言えるでしょう。
では、皆さんが喜んでもらいたい人、つまりユーザーや顧客は、どのようにありたい姿を描いているのでしょうか?
ありたい姿は、どこからやってくる?
実は、ここが一番難しいところです。そもそも皆さん自身がどうありたいかを言語化すること自体、難しいですよね?
もっと言えば、そのありたい姿というのは、10年先や1年先というものだけではなく、1日、あるいは数分後だったりするわけです。
自分のことでも難しいのに、それを顧客やユーザーにとってのありたい姿を捉えようとするのだから、そう簡単ではないですよね?
そして、ありたい姿というのは、何かに影響されて変わりつづけるものです。
10年前は、スマホはコンテンツを楽しむためのものでしたが、人々がより良いスマホを手にした今、誰もがクリエイターになりたい、というありたい姿を描くようになりました。
10年前に、誰もがアーティストになれるんです、なんて言っていても、共感する人は少なかったでしょう。今では当たり前のように、多くの人が自分の表現を模索するようになりました。
つまり、スマートフォンというアイデアが、人々のありたい姿をアップデートさせていったのです。
(厳密には、元々潜在的に潜んでいたものが発露した、というべきかもしれませんが)
つまり、ありたい姿というのは、様々な人やモノ、体験との間に生まれる相互作用の中に生まれてくるのです。
ありたい姿を、共に探究していく
私たちMIMIGURIが多く取り組んでいるプロジェクトのほとんどには、こうしたありたい姿について対話する時間が組み込まれています。
企業のありたい姿を考える場合もありますし、生活者にあってほしい姿を考えるようなワークショップを行うこともあります。
私たち自身でさえ、自分のありたい姿を描くことが難しい時代です。
「顧客やユーザーと一緒にありたい姿を共創していく」
これこそが、まさに今、共創が求められている理由なのではないでしょうか?
こちらの記事で、紹介した「デュアルサイクルモデル」の根底には、こうした姿勢が潜んでいます。
喜ばせたい人が、何を良いとするか、ということを探り続けること。左側のサイクルをしっかりと回して学びを積み重ねていく必要があります。
同時に、実際に喜ばせたい人が、何かに困ったり喜んだりしている景色にこそ、ありたい姿は体現されています。右側のサイクルは、誰かを喜ばせるためのアイデアを実現することが目的、というだけではなく、どのように喜ぶのか、どこにありたい姿が立ち現れるかを観ることも大切なのです。
SaaSとメーカーの違いがここに大きく現れているように思います。
SaaS系の企業は、実際に出したプロダクトを通じて、ユーザーを常に観続けています。対してメーカーは、比較するとその部分が弱いようにも思えます。ポイントは、アイデア形にしてローンチすることだけが、目的になってしまっていないかということです。
アイデアとは、ありたい姿を共に探究するためもの
ここで冒頭の問いに戻ってきました。
私たちは、なぜアイデアを考えるのか。
私は、アイデアを通じて、喜ばせたい人と共に、ありたい姿を探究していくためにある、という視点が重要だと考えています。
ありたい姿に、明確な絶対解はありません。だからこそ、探究し続けることが大切です。
時には顧客やユーザーが、ありたい姿を描き出すこともあれば、企業側に刺激され、ありたい姿が見えてくることもあるでしょう。
著書『リサーチ・ドリブン・イノベーション』の中で、インサイド・アウトとアウトサイド・インの行き来が重要であるということに言及しましたが、まさにそれは、共にありたい姿を共創するという姿勢でもあるのです。
実際ここをうまくやっている企業は、顧客との関係がものすごく良いように思えます。
特にSaaS系の企業は、プロダクトを通じて、顧客にとって何が「カスタマーサクセス」なのかを、顧客と共に探究している姿勢が強いように思えます。
以前も別の記事でも紹介した、Notion社などはまさにその例だと思います。
よく、Notion社のような、熱量を持ったユーザーのコミュニティを作りたいという声が聞かれますが、それは、顧客と共にありたい姿を探究していた結果生まれたものではないかと思います。
熱いコミュニティがあるから、顧客との共創が進むのではなく、顧客と共創したからこそ、熱いコミュニティが生まれていったのではないでしょうか?
そのアイデアは、
顧客やユーザーに受け入れられるか
という視点だけではなく
そのアイデアは、
新たなありたい姿の探究につながるのか
ぜひこうした視点も持って、アイデアを考えたり、評価してみたりしてはいかがでしょうか?
こんな記事も書いています。
みなさんからいただいた支援は、本の購入や思考のための場の形成(コーヒー)の用意に生かさせていただき、新しいアウトプットに繋げさせていただきます!