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パンツを履き、選挙に行き、ドーナツを温めよう。

「パンツ履きなさい!」と何度叫んでも全裸で側転し続ける5歳児に、将来、10数年後に「選挙行ったら?」と諭しても「うるせえばか」と無視される可能性大なので、今のうちに期日前投票に連れて行きました。大人たちが仕切る投票所の静寂と緊張感が印象的だったみたいで「選挙行ったよ僕〜」と保育園で大人顔で自慢し倒していました。

大人がパンツをしゃきっと履いている姿をちゃんと見せる。それしかないです。「パンツ履かないと恥ずかしいよ〜おなか壊すよ〜」は子供には通じません、ほぼ間違いなく。選挙もたぶんそうで「老後2000万円貯めるより、一票投じて消費税に反対した方が得だよ」とか言われても、雨の中、近所の小学校まで投票行くかーとはなかなかならないと思います。身近な人が選挙に行く後ろ姿を実際に見て、投票所の厳粛な空気を肺に吸い込んで初めて、<一票の重み>のようなものを覚えるのだと思います。

その<一票の重み>って何でしょうか。それは<将来への贈り物>の重さです。今の生活や働き方や社会の空気感などは、少なからず、ここ数年の政治の影響を受けています。つまり<数年前に行われた選挙からの贈り物>を受け取りながら、僕らは今、日本社会で生きています。僕らは税金を払って、一票を投じて、国家議員や公務員の方に<将来への贈り物>を選んで買ってもらうのです。生活の安心や安全、教育や社会保障など、自分だけではなかなか買えない<贈り物>を、大切な人が生きているかもしれない将来へと届けるということです。

…と理想論的な書き方をすると、むしろ響かないのかもしれませんね。でしたら、投票用紙を、<お母さんが冷蔵庫にマグネットで貼っておくメモ紙>と考えたらいかがでしょう。おなかを空かせて学校から帰ってくる子供への「ドーナツ入ってるよ。20秒温めるべし」のメッセージ。自分は留守にしているけれど「買っておいたドーナツを食べて欲しい人に1番美味しい状態で届けたい」思いを込めたメモ紙。この思いの込め方は、悩んで投票する行動にとても似通っているものがあると思います。

そして、子供はドーナツのとろけるような甘さとともに、メモ紙のこともきっと忘れはしないでしょう。そして大人になったら、自分の子供へまた<メモ紙>を書くときがやってきます。冷蔵庫ではなくLINEなどなのかもしれませんが、「ドーナツって本当は15秒温めるのが1番美味しいから!」と書くかもしれませんね。そうやって暮らしは、生活は、社会は、試行錯誤しながら、思いを伝承しながら、将来の世代へと繋がっていきます。

僕たちは今まで行われてきた数々の選挙を通じて、先輩たちからあらゆる<贈り物>を受け取ってきました。嬉しい<贈り物>も、迷惑な<贈り物>もあったかもしれません。そんな経験も踏まえて、僕たちはなんだかんだ18年以上生きていきました。

パンツを履き、投票することで、<将来への贈り物>を届けた大人として、成熟できます。18年以上生き抜き、選挙権を得たということは、それだけで素晴らしいことです。それだけで素晴らしい<贈り物>のプレゼンターになれるということですから。