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天地創造にはどうでもいいのだ
すべての魚は快感を知っている。生きる快感を、満腹の快感を、交尾や産卵の快感を知っている。しかも生きる意味を尋ねるものなどいない。存在して体験の舞台となることは彼らの使命だからだ。暗闇を照らすこと、色彩のきらびやかさを知覚すること、獲物を嗅ぎつけること、消化すること、死ぬこと、そして繁殖したあとで、あるいは繁殖するまえに、他の生物に消化されること。――生きる意味など尋ねることなど許されない。その答え
もっとみる愛が歩むのはもっと寂しい道だ
「だけどやっぱり愛はわれわれの心のなかにあるんだ」とわたしは言った。「われわれの内部でそれが高まったり減退したりする。」
「かなり的を射ているね」と彼は言った。「それは心にそなわった多くの機能のひとつで、われわれの肉体はそのことにさんざん煩わされる――あるいは逆も真ナリだろう。」
わたしは言った。「われわれの眼もそれといっしょに煩わされる。そうじゃないだろうか?だから美はわれわれの官感から逃れ
地獄のなかのパラダイス
違った意味で所有物は重要になる。サンフランシスコ市自治体は、地震発生から最初の72時間は、市民は一人で過ごすことになる確率が高いと強調する。だが、貧しい人々は、食料や水を含む地震用の非難セットを準備していない場合が多いので、市は市民を全員にそういったものを手元に用意しておくよううながしている。ニューオリンズについては、カトリーナの三年後に今度はハリケーングスタフが接近した。そして、それは、何が変わ
もっとみるPTSDと新しく発見した強さ
今日では、PTSDという言葉はあまりに大きな衝撃を受けたために苦悩と恐怖に圧倒され、機能できなくなった人だけでなく、惨事の記憶にとりつかれ、苦しめられている人々にも適用される。2001年9月14日、19人の精神科医が「心理療法士たちの中には……災害の場に押しかけて、悪気はないのだが、見当違いの手助けをした人たちがいた。人々が悲しみと苦悩の中にあるときに頼るコミュニティという仕組みをサポートすること
もっとみる「誰かが死ぬことを願う人生」は幸せか
藤井 森さんは、被害者遺族がもし知人であったり、山へ行こうよとか、こういう生き方もあるみたいなことを勧めるとおっしゃっいましたよね。遺族の感情の部分で言うと、森さんは、人を憎みつづけることや、あるいは死刑にしてやりたい、殺したいと思うことはネガティブな感情で、よくないことだと思っていらっしゃるでしょう。ぼくはそこを第三者がよくないといったところで、なんにもならないと思う。
その感情を、よくないから
裁判員制度で死刑が増える?
森 ちょっと古いけれど、長崎市長殺害事件の死刑判決(長崎地裁・2008年5月)について藤井さんは、どう思いますか。
藤井 判決の理由で、「民主主義に対するテロだ。暴力によって、選挙活動と政治活動の自由を永遠に奪い、有権者の選挙権の行使も妨害した」というふうにあったけど、そんな、「被害者が市長だから許さんぞ」という理由は、僕は間違っていると思う。人の命に優劣があるのかという話になります。光市母子殺
終身刑導入で思考停止が起きる?
藤井 話の位相がずれますけれども、死刑が廃止されて、終身刑が導入されて、天井も決まったというふうになった場合、ぼくも自動的にそれが増えると思います。
現在は天井が死刑ですが、同じ終身刑ができたり、実質的には今三十年以上は出られない無期懲役が最高刑になったら、上からも下からも自動的にそこにどんどん放り込まれていく可能性がある。そうすると、逆に森さんの言い方をお借りすると、思考停止みたいなことが起きる
「冤罪あるから死刑廃止を」ではない
藤井 死刑制度は残した方ほういいとぼくは思っていますが、いまの裁判員制度がはじまって死刑判決を出すことに対して裁判員がそれこそ精神を病むようなストレスを感じてしまうことがあるだろうし、激しい逡巡があるはずなのに、評議内容を人に言っちゃいかん、墓地まで持って行けみたいなことを強制されるわけでしょう。そういった状況に司法全体が耐えうるかどうか。この国が裁判員制度という「国民にひらかれた」司法のもとで死
もっとみる大きすぎる殺人事件報道の比重
森 日本のメディアは事件報道の割合がとても多いという話に戻します。もちろんこれもケース・バイ・ケースです。大きく伝えることに社会的な公益性がある事件だってたくさんある。
でもメディアは有限です。テレビだったらニュースの時間は決まっているし、新聞は死面の面積が決まっている。つまり何かを報道するということは、何かが報道されないということと同義であるということです。
仮に事件の詳細を報道することを遺族が
「事実は切り取り方次第」の自覚を
藤井 取材手法というか、被害者遺族について意見を交換してみたいのですが、これも前出の坂上香織さんのお書きになったものから引用させていただきます。
坂上さんはテレビ取材で多くの被害者遺族に接してきたと前書きをされて、「取材者が無意識のうちに対象者の声を誘導してしまう危険性や、取材者の意図を越えて「被害者」の感情がほとばしってしまう現実にも取材したときのことを次のように振り返られています。
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