"叱る"ことの別の側面知ってました?
『だから言ったじゃない!どうするの!』
母が言ったかどうかは覚えていませんが、怒られたり叱られたりする時にかけられる言葉の代表格ともいえるのではないのでしょうか?
いまでこそ「どうするのと言われても・・・」と思えますが、当時は怒鳴り声と合わせて、んまぁぁあああ!怖いこと怖いこと!(笑)
そして、この "叱る" ということについて【衝撃事実】を発見したので記事にまとめておきます。何かの参考になりますように!
◆この記事の”まとめ”は【393文字】で1分未満で読むことができます◆
"叱る" ことの目的
『同じ失敗をしてほしくない』
親が子を叱る時、親は子に対して「失敗してほしくない」と言う思いがあることが多いかもしれません。
例えば成長した後、人さまに迷惑をかけないよう躾けるために叱ったり、シンプルにケガなどの危険が迫っているから、叱ることもあるでしょう。
ようは「子が社会に出たとき、上手くやって行けるように」躾ける方法として"叱る"という手段を使うのだと思うのです。
これは、まさに愛情表現なわけですが、ボクの発見にはもう一つの側面があります。
それは『親が過去の失敗体験を、子を通して癒そうとする。』ということです。
自分の過去の傷を子に重ねて癒す
『怒りは短期的に相手をコントロールできる』
子どものころ、怒られるとか叱られることが怖かったわけですが、その怖さを体験するくらいなら怒っている人のいうことを聞いてしまえば安全なので従うことが多いんですけど、その従う事が叱る側にメリットを与えていたようなんです。
ケア・カウンセリングコレクティブ Vol.1 という冊子に載っていたのですが、転載できないので一部を簡単にまとめると
親は、過去の自分の体験や葛藤(こんなことで迷惑をかけてしまった等)を自分の子どもに重ねていて、自分の過去の過ちを子どもが乗り越え”あの体験”を癒せるようにコントロールする。そのために”叱る”という行動を選んでいる。
ということが書かれていました。
自分が犯した過ちや失敗を乗り越えられるようにコントロールして成長させることで、あの時の嫌な感情や体験を子どもを通して癒そうとするわけです。
「あの子うまくやっているようで本当に良かった」
例えば、若いころに対人関係で苦労した母親が子どもに対して礼儀礼節を叱って教えたおかげで、会社でも大変いい評価を受けてうまくいっているとします。
親自身が体験した”若いころの対人関係”という体験を子どもを通して「やった。若いころの対人関係うまく乗り越えられた!」と無意識ながらに重ね合わせ、そこに癒しを求めるのです。
ただ本来であれば、自分の過去の体験はその人自身が癒す必要がありますし、誰かが代わりに癒してくれるものでもありません。ですから、躾のおかげで、お子さんがどんなに良い結果を出したとしても、アナタの”過去の体験”からくる傷は、残り続けるままなんです。
しかーし!!!愛情がベースにあるということはとてもよく伝わってきますよね。そんな中、自分はとあることを思うんです。
それは「子どもが基準ではなく親が基準である」ということなんです。
子と親の嫌なことは別に考える。
私にとって嫌なことは、相手にとっては嬉しいことかもしれない。
さて、突然ですがちょっとだけイメージしてみてください。アナタは粘土でなにかを形作ろうとしています。
すると、講師のような人が来て「ここはこうしないとダメ!崩れてしまうでしょ!そんな形ダメよ!粘土を多く使いすぎてる!決まった量でしか作っちゃダメ!」そういって、アナタの手をいちいち止めてやりたいことを何もさせてもらえません。
その時どんな感情がアナタの中に沸き起こるかちょっとで構わないので感じてみてほしいのです。
そして、時間があればでいいんですけど、そのイメージの中で講師のような人になってみてほしいんです。
確かに、講師のような人のいうことを聞けばある程度の水準までは行けるでしょう。けれど、粘土をいじっている人はそれをしたいのでしょうか?
もしかすると「失敗しちゃったね!でも”何かを作る”って楽しいね!」と笑ってドハマりするかもしれません。
「こうすればうまくいくかもしれない」と考えたり「どうすればうまくいくんだろう?」と失敗した原因を探り始めるかもしれません。
この「何かを作るって楽しいね!」という発見や「こうすればうまくいくかも」という発想「どうすればうまくいくか?」という原因究明の学びは、その人にとってものすごく貴重なことだと思うんです。
まず、”子ども”から”人間”へ
子どもは、歩けるようになると【”歩く”こと自体が目的になる】
遅かれ早かれ、子どもから一人の人間として接する時が来るわけですから、今からできることは一体何かを考えることもできます。
TikTok っていう1分未満の動画をシェアできるアプリがあるんですけれど、そこに子育てについて発信されている方がいました。
その動画の中では、歩けるようになったら”歩く”ということが目的になる。と解説されていました。
動画のコメント欄には、もう少し早く知りたかったなどが書き込まれていましたが、中でもボクの目を引いたのが「だから一向に公園にたどり着かなかったのか…」というコメントでした。
子どもの意思としては、”歩きたい”ただそれだけです。別に公園だろうがスーパーだろうがどこでもいいわけです。歩きたいから。
けれど、親としたら”歩く”ってことはどこかに向かうための手段になります。ウォーキングも歩くことではなくて健康だったり減量が目的なわけで”歩く”は手段なわけです。ギャップができちゃいましたね。
じゃあどうすれば、このギャップを埋められるか考えてみると、単純にどうしたいのかを聞いたりくみ取る必要が出てくるわけなんです。
そうすることで「この子は〇〇をしたいんだな」と理解が進み一人の人間としての意思を認識して大切にすることができてくるわけです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。”叱る”ことの別の側面という発見を記事にまとめてみました。
後半の文章を含め簡単にまとめてみましょう。
◎”叱る”のは子どもをコントロールするため
→ ”叱る”って子どもに限らず、お互いに結構なストレスになりますよね。怒られて叱られるくらいなら、叱られないような行動を取ったほうが安全なので言うことを聞く可能性が上がります。
◎コントロールして、親の心の傷を子どもに癒してもらう
→ なぜコントロールするのか?それは、親が過去に体験した出来事の傷を”成功体験”をもって子どもに癒してもらおうとしているからです。
本来は、自分自身が癒すべき事を子どもに重ねている状態となります。
◎子どもから一人の人間へ
→ では、子どもにはどう接すればいいか?というと一人の人間(極論、他人)として接しながら「よそはよそ、うちはうち」と自分の問題と子どもの問題を切り分けることが必要になります。
そのために、この子は一体何がしたいのか?と聞いてみたり、くみ取る必要が出てきます。その為に発達心理学とかがあると思うといいかも。
というわけで久々の更新は以上になります。今年もものすっごいマイペースですがよろしくお願いします。
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