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〈エッセイ〉説得力のある話し方をする政治家はやはり信じない方が良い。

最近はある政党の党首と言われる人たちの話を鵜呑みにして、にわか国粋主義あるいは大和民族主義に傾倒し、嫌中・嫌韓に走る人が多いようだ。それらの党首たちはとても良いことも言っているが、「?」と思うことも言っていることに気が付かない人が多い。

例えばあの太平洋戦争は「欧米列強の支配下におかれたアジア諸国を解放するために日本が動いたのだから、日本は悪くない。日本こそ崇高な国なのだ」という話。あんなのは笠原十九司の「日本軍の治安戦ー日中戦争の実相」を読めば一目瞭然で異なった話だとわかる。

にもかかわらずそうした者たちの話を頭から信じ、「教科書には書かれていなかった真実を知ることができた」と勘違いし、それらの著書や言説をSNSに投稿し、「みんなそろそろ気づいた方がよい」という文言を添えるのは軽佻浮薄である。

要は現代の我々はだれもあの当時に生きてはおらず、残された文献や記録で判断するしかない。その残された文献や記録でさえ、人間が書いたものだから様々なバイアスがかかっているかもしれない、と疑って読むべきなのだ。実際、笠原十九司の著書には「皇軍」と自称し中国に進出した日本兵がどれほど中国の民を凌辱したのかが書かれており、中国国内ではすべてを食い尽くすイナゴに例えられ、同じ音読みの「蝗軍」と呼ばれていたとある。

しかし、私の知人がインタビューした当時の日本兵士の生き残りの方の話では、そうしたクズの日本兵も多く居れば、心底中国人のことを考えて人道的に振る舞った多くの兵士もいた、というのがどうやら真実のようだ。時代の渦中、悪行三昧の日本兵も居れば、崇高な行動をした日本兵もいたというわけである。

いつでも歴史の真相は闇の中だ。
最近のディープステートが世界を牛耳っているとする陰謀論もそうだ。その先端を行く元外務省の官僚でウクライナ大使だったという方の本も、その文章の中に「〜〜と推察される」という文言が至るところに出てくる。氏は多くは自身の推察を元にディープステートが世界で起こる事象をコントロールしていると説くが、明確なエビデンスやデータに基づかない言説に対しては、読んだり聞いたりしても「そんな見方もあるよね」だけに留め、頭から信じない方がよい。

肝要なのは何でも一歩引いて見ることだ。物事を冷めて見るのではなく、冷静に他を探ってみる。他の文献も読み、資料やデータ、統計などを自分で調べてみる必要があるということだ。その上で冷静な判断をして行く姿勢、謂わゆる「情報リテラシー」こそが強く求められる時代なのだろう。

きっと今の世の中、饒舌な政治家やペラペラと滑らかに喋るYouTubeのインフルエンサーと呼ばれる人々より、よほど朴訥として口下手で、人と群れることなく、いつもひとり、ボソリボソリと言葉を探りながら語る古き時代の体験者の言葉の方が、ずっと重く真実を孕んでいることの方が多いのかもしれない。

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