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ダウン症児を産んで7年後に思うこと

2015年7月にダウン症児の娘を出産した。当時、私は36歳で初産。はじめての出産で分からないことだらけなのに、ダウン症の子を産んでしまうなんて。正直不安だらけで、不幸のどん底だと思っていました。

前回も書きましたが、綺麗事だけでは済まされません。でも、ここで不幸自慢をしたい訳でもありません。7年後に幸せに気づくことができたからこそ、当時のことについて正直に書きたいと思います。ダウン症の子を産んで悲しむ人が1人でも減りますように。


ここから前回の続きに戻ります。

手術室から戻ってくると、ベッドの横には夫がいました。夫に「ダウン症だったかい?」と聞いてみると「いや違うよ」と言って泣いています。その時、私は「あ、嘘だな」と思いましたが、気づかないふりをしました。

後から聞くと、私が麻酔で寝ている間に、夫はお医者さんに娘がダウン症の可能性があると聞かされていました。夫曰く「少しの間でも、幸せな気持ちでいて欲しかった」そう。もし届くなら、7年後の私から「ダウン症だったとしても幸せだよ」と教えてあげたい。

その日の夜、NICUで娘について説明がありました。大学病院のNICUはとても広く、薄暗く、たくさんの保育器がありました。ピーピーピーピーといろいろな音が四方から聞こえてきて、「こんな世界があるんだ、、みんな大変なんだ、みんな生きて欲しいな、」という気持ちになりました。

私の赤ちゃんは、点滴や鼻のチューブで管だらけ。管だらけだから、どんな顔かも分からないけれど、ふにゃふにゃでかわいかった。

私は赤ちゃんを抱っこさせてもらい、椅子に座らせてもらいました。お医者さんの話の最中、私のうしろに立った看護師さんは、赤ちゃんじゃなくて私の背中をトントンしくれていました。きっと看護師さんは、私がショックを受けすぎないように、背中をトントンしていてくれたのだと思います。

お医者さんの話によると、食道閉鎖はなかったこと、ミルクを飲むことができること、動脈管開存があったけれど今は元に戻ったこと、心室中核欠損があること、肺高血圧になっているので今後手術が必要なことを伝えられました。最後に、皮膚にたるみがあること、筋緊張が弱いこと、かかとにシワがあることなどから、染色体異常の可能性があると告げられます。

生まれる前にダウン症について、たくさん調べてググっていたので大体のことは知っていましたが、お医者さんは、私の知らないことも教えてくれました。説明はかなり長く1時間以上ありました。ダウン症の方は、昔は短命だったけど今は医療技術も進み60歳以上生きている人もいること、知的障害がある人が多いが個人差もあること、英語の翻訳家になっている人や書道家になっている人の話などをしてくれました。

私は「娘は結婚はできますか?」と聞きました。すると「周りの方のサポートを受けて、結婚している人もいますよ」と教えてくれました。そこで少しだけほっとしたのを覚えています。
それから、「先生がダウン症だと診断した後に、血液検査をして間違いだった事はありますか?」と質問してみました。お医者さんは「いままでは、私が診断して間違っていた事はありませんでした。ただ、今回はじめて間違えているかもしれないし、これから間違うこともあるかもしれません。」と答えてくれました。冷静で優しく患者さんたちの気持ちに寄り添ってくれる正直なお医者さんでした。今でも本当に感謝しています。神対応でしかありません。

お医者さんの話を聞いている間、私はNICUの床がぐにゃぐにゃと揺れているように見えるくらいショックでした。ショックなのに冷静な精神状態。泣く余裕も無い。「何とかダウン症じゃないことにしたいけど、もうどうすることもできない」という思いでした。そして一瞬「なんで私ばかり」と思いましたが、なぜだか「流産の時より悲しくない」と思いました。綺麗事かもしれませんが、赤ちゃんの成せる技なのか、、産後のホルモンが出ていることもあり、母親になった喜びも少しは感じていたのかもしれません。これは一抹の望みでした。

その後、赤ちゃんの血液検査をし、ダウン症の確定診断が出るまで3週間ぐらいの時間があったと思います。私はNICUでお医者さんから聞いたときに99.9%ダウン症であると覚悟していました。

確定診断が出るまでは、ちゅうぶらりんの気持ちで、とても辛い時期でした。娘のことは私の母親と本当に仲の良い友人2人にしか言えませんでした。伝えたい友人もいたのですが、妊娠中だったり、病気を抱えていたりで、友達にもショックを受けさせたくない思いから、すぐには伝えることができませんでした。友達からの反応が怖かったのも正直な気持ちです。
(7年後の私より。今まで友人や知人に娘がダウン症だと告げて嫌な思いをした事は1度もありません。)

夫の母親にも伝えたかったのですが、夫は「絶対に言えない」と言い、なんと2年も伝えられずにいました。(後から知ったのですが、夫のお母さんはだいぶ前から気づいていたそうです。気づかないふりをしてくれてた優しさに感謝。)

出産後には「染色体異常」の「異常」という言葉に傷ついたり、「ダウンちゃん」という言葉に傷ついたりしました。「染色体異常って言わないで。彼らにとっては正常なのよ」なんて今でも思います。「ダウンちゃん」と言う呼び方は、今では可愛いとさえ思いますが、当時の私はダウン症に対して無知すぎたのでとても気にしていました。

7年間ダウン症児の子育てをしながら「私はなぜショックを受けたり傷ついたのだろう」と考えるようになりました。最初は目をつむっていましたが、私の中に大きな偏見や間違った考え方があることが原因と気づきました。

当時はこんな風に思っていました。

  • 親や親戚、周りの人に申し訳ない

  • 恥ずかしい

  • 人生終わった

  • どこにも行けない

  • 自分の時間がなくなる

  • 不幸になった

  • 私には育てられない

  • 大変そうで無理

  • 私のせいでこんなことになった

  • お金がかかるから育てられない

7年経っているし、自分のことだから半分笑い話にもできますが、当時は本当に真剣でした!
でもほとんど間違いでした。

なぜ私がこう思ってしまったのか、そしてなぜ間違いなのかを次回から1つずつ紐解いていきたいと思います。

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