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不妊治療〜流産を経てダウン症児を授かる

私は2015年にダウン症児の母になりました。娘は今7歳になりました。

自己紹介も兼ねて、娘の妊娠前から生まれるまでのお話を書いておきたいと思います。とても長くなるので、生まれてからのお話は次回を予定しています。

ここには綺麗事は一切なし。私の本当に思ったことを書いていきます。なぜかというと、私がダウン症の子を授かったときに、「綺麗事では済まされない」と一番最初に思ったからです。でも、人によっては少々きつい内容かもしれません。ただ、こんな考え方もあるんだなぁと、読んでくださると幸いです。綺麗事無しですが、その代わりに、笑いあり、時々涙ありのお話で綴りたいと思っています。(涙ありと書きましたが、極力涙は少なめにしたいです)

特に出産の時のお話は、今だから笑い話にできることもたくさんあります。それは、現在幸せに生きられている証拠でもあります。一緒に笑っていただけたら嬉しいです。多少辛いことも笑えることは、笑っていこうと思っています。きらきら感動ストーリーでもありません。笑いありのリアルストーリーです。ダウン症の子を授かって悲しい思いをする人が1人でも減りますように。

36歳で娘を授かったわけですが、それ以前に私は不妊治療をしていました。34歳の時に流産を経験しています。3年の不妊治療で授かった子は、心拍確認もできていましたが流産してしまいました。稽留流産だったので、流産の手術があります。やっとの妊娠で流産、、かなりショックでした。手術の麻酔のせいで、感情が溢れ出してしまい「なんで私ばっかりこんな思いをしなければいけないの?」と、手術室から戻って大声で泣いた思い出があります。本当にギャン泣きしたので周りの人はびっくりしたろうなぁ、、笑
しかも麻酔が効いてるのか効いていないのか…本当に痛い手術でした、、(今このクリニックは潰れたので、きっとヤブ医者だったんだろうな笑)

この流産の手術後、3ヶ月たっても生理がない、吐き気がずっと続いていると言うことで、病院を受診すると「まだお腹の中に赤ちゃんの1部が取りきれていません」と言われ、2度目の稽留流産手術をすることになったのです。「なんで私ばっかり」とまたギャン泣きしました。(笑)
2度目は小さい病院ではなくて、大学病院で寝ている間に処置をしてもらいました。この時は全然痛くなかった。手術も成功です。流産の手術は大きい病院にするべきと学びました(笑)。
ちなみに手術台に上がった時に流れていた曲は、oasisの「don't look back in anger 」。お医者さん素敵すぎる。色んな意味で選曲センスの良さに脱帽。この曲のタイトルを和訳すると「怒りをもって振り返らないで」。私も娘の思い出あれこれを怒りをもって振り返らないで、良い思い出にしていく努力をしていきたいと思います(笑)
手術中に音楽をかけるお医者さんが居るとは聞いてましたが、私の人生を変えてくれた曲となりました(笑)

その2年後にまたようやく妊娠。この時がダウン症の子の妊娠です。妊娠6ヶ月の時に羊水過多症と診断され、お腹の子の赤ちゃんに胃袋が見えないから食道閉鎖かもしれないと言われます。この時も泣き崩れました。『羊水過多、食道閉鎖』とググってみると、50%の確率でダウン症または染色体異常と出てきました。妊娠6ヶ月の時にこんな状況になるなんて辛すぎる。耐えられないけれども、毎日の生活はある。しかもちょうど家の引っ越しも重なって、ものすごくバタバタしていました。私は北海道の地方在住なので、札幌の大学病院へ紹介してもらえることになりましたが、ちょうどゴールデンウィークと大学病院の先生の学会があるようで、妊娠7ヶ月になってからの受診になりました。

細かいことを考えるのはやめようと思っていたけれど、毎日悩みました。ダウン症の子のブログを見たりして「お母さんたちすごいなぁ…私には無理だわ、」なんて思っていました。(あなた、この後なるんですけどね、、笑)

妊娠7ヶ月になって北大病院を受診。いろいろな検査をしました。そこで、羊水検査をしますかと聞かれましたが、「もう7ヶ月を過ぎているので、たとえダウン症だったとしても、おろすことができないので、検査しなくていいです。」と言ったのを覚えています。あとで考えても現実逃避してるのか、立派なのかよくわからないけど、必死だったことは事実。

8ヶ月の時にお腹の赤ちゃんのMRIを撮る検査もしました。赤ちゃんが動いていると正確な画像が撮れないので、私も麻酔をして寝ている状態でMRIを撮ります。病院に一泊してMRIを撮ってきました。病院はとても混んでいて、なんと私が泊まったのは、陣痛室です(笑)。妊娠出産をしたことがある方だったらご存知かもしれませんが、出産前の地獄の陣痛を耐えるお部屋です。8ヶ月の初産の妊婦さんをそんな所に入れちゃダメでしょ、、(笑)と今は思いますが大学病院だから混んでいたのでしょうね。
その部屋には一晩で3人、他の病院から救急車で運ばれてきました。カーテンで仕切られてるから、うなり声しか聞こえないけどみんな辛そうだった、、私の隣の人なんて看護師さんの「妊娠44週」って声が聞こえました(涙)(普通は妊娠40週前後で出産します)
私には姉がいるので、姉の陣痛も見てきましたが、そんな甘いものじゃなさそうでした。これも今となっては良い勉強となっていますが、トラウマとなったのも事実ですが、、(笑)

MRIの結果は「赤ちゃんも元気です。胃袋も見えました。口蓋裂などの奇形もありません。何の問題もありません」と言うことでした。エコー写真を見ても、指は5本ずつあるし、かわいいお顔が見えました。そこから出産まではとりあえず現実逃避して過ごすことにしました。今考えると、担当の先生はベテランの方だったので、たとえ染色体異常があっても元気だから問題ないと考えていたのかな、、と推測しています。

検査入院後も相変わらず羊水過多で「双子妊娠してるの?」と人から言われるくらいだったけど、重たいお腹を引きずるように乗り切りました(笑)

39週のときに陣痛がはじまり、20時間ほど頑張りましたが、赤ちゃんの心拍数が下がってきたので、帝王切開になりました。はじめから帝王切開にしときゃ良かったと思ったのは言うまでもありません(笑)
赤ちゃんが出てきて第一声に「にゃー」と猫ちゃんのような声。この声で私は「あ、ダウン症だ」と冷静に思いました。赤ちゃんのお顔を見せてもらうと、二重で目がくりくり。黒目の大きな、可愛い赤ちゃんでした。今でもはっきり覚えています。「とりあえず無事に出産できた。よかった。」と思いました。

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