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記録|メッシュワークゼミナール#10 中間報告
2023年12月9日土曜日13時〜17時。
メッシュワークゼミナール中間報告。
9月からはじまった場ももう折り返し地点なのかと唖然とする。中間報告では8人のテーマとキイワードについて発表する日。
自分の思考の癖、視点の癖私は物事を概念や抽象化して、ぼんやりした輪郭のまま捉えてしまう癖がある。雲にかかった月のように。私にとっての「森」は何かと問われると、それは循環であり、混沌であり、秩序であり、自
記録|メッシュワークゼミナール#09
自宅から電車で30分、本郷三丁目駅にある東京大学。
日曜午前中、制作展「學藝運動」に足を運ぶ。私が主体として取り扱う何かは、実は違う側面では客体になりうることもある。人間なるものが何かの客体として存在するのであれば、主体となるものは影なのか、意識なのか、感覚なのか、私が見ている世界はどちらが裏でどちらが表なのだろうと思う。
そのまま近くのスターバックスで席を陣取りオンラインゼミナールに入室する。
記録|メッシュワークゼミナール#08
土曜日はメッシュワークのゼミナール。
と書いているうちに、1週間経ってしまった。
プロジェクト共有の中で、誰かの言葉ではっとさせられる連続。
自分の違和感を、心に潜む言語化できないけど何かを、誰かが言語化してくれる時間でした。
プロジェクト進捗シェア◾️Kさん|焚き火
・どうなるかわからいことへのドキドキ。
・昔は、仕事が降ってきていてそれをこなすことが精一杯。
∟今は、自分で企画をして推進
記録|メッシュワークゼミナール#07
私を見て「10代ですか?」と尋ねる人は、この日本国内ではおそらく皆無だろう。おとなと子どもの境界線。20歳の誕生日を迎えたその瞬間から、“おとな“という何かを纏うのだと思ったけどれど、そうでもなかった。私の中にある子どもらしさを探ろうとすると、何だかピンとこないから、きっと今の私は“おとな“として生きているのだろうと思う。でも、もう一回高校生に戻れるかと問われたら、瞬時に戻れる自信はある。
日曜
記録|メッシュワークゼミナール#06
金曜夜、有楽町高架下。
“割烹“と名が付く割に銀座にしては高くない店で酒を飲み、そのまま2軒目へとなだれ込む。有楽町駅からナンパのメッカとして知られるコリドー街に続く高架下では、ひしめき合うお店がここぞとばかりに軒下にテーブルを並べていて、肩をぶつけながら細い路地を歩く。安い酒を交わす人の熱に、人間の生きることの有り様を感じる。酒を交わし、愚痴を言い、喜びを分かち、未来を語り合う。東京のど真ん中で
記録|メッシュワークゼミナール#04 静岡
静岡は、多分はじめての地だった。
踊る心と相反するように、『私は何をわかりたいのか』という答えの出ない問い。
アマチュアフィールドワーカー8人の、熱、騒音、静岡で暮らす中国人、椅子、余白(遊び)、それぞれが調査するフィールドは遠いようで、近い。
静岡では“時間“をテーマにフィールドワークを行った。
決まった正解に向けて結論を導き出すためのリサーチではなく、プロセスを通じていかようにもゴールは変容
記録|メッシュワークゼミナール#03
9月30日、土曜日。
決まった目標に対して定量と定性で進捗を確認する毎日の仕事。30分刻みでスケジュールされているいつものカレンダーに空き時間があると不安になる症候群。無意識のうちにバックキャスティングに偏って思考を運びがちだったり、想定されうる課題に対して仮説を立て検証していくことが求められる日常を少し脇に置き、外側の世界で起きていることを全身で捉え、自分自身の心と体で呼応し思考を巡らせる週末
記録|メッシュワークゼミナール#02
9月23日、土曜日。
朝から小雨の東京で、自宅からオンライン参加。
洗濯も掃除も完了。珈琲と共にiPadの前に座す。
再来週に迫った静岡でのフィールドワークのアナウンス。
最初から“静岡らしさ“を見つけにいく旅ではない。土地の環境や風土は入ってきながらも、見つけやすい場所、見つけにくい場所、人がいる場所、いない場所。静岡という土地、そして対象を通じて、私自身がどのように世界と対峙しているのか観
記録|メッシュワークゼミナール#01
9月16日、土曜日。
山中湖にある森から入った1回目のオンラインゼミナール。
課題図書が読了できていない焦り、そして、半年間の人類学の沼にどっぷりと浸かろうとしている猛者はどんな方たちなのだろうとわくわくしながら入室した、午後1時。東京、福岡、静岡、福岡、ハワイにクロアチア、世界各地から時差を超えて入っている7名(お一人はお休み)と、比嘉さんと水上さん。コロナをきっかけに、世界各国の人と気軽に