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「プーチン、いいかげんにせんかい」  木戸孝允、怒る

 木戸孝允(桂小五郎)が存命ならば、こう言い放つでしょう。
 明治十年1月29日、西郷隆盛を中心に、西南戦争が勃発。木戸孝允は持病悪化により、西南戦争のさ中、5月26日に亡くなります。
 一坂太郎氏の著書「木戸孝允」山川出版社によれば、木戸孝允は国内の反乱に日々憂慮し、維新の盟友西郷隆盛に対して、息を引き取る直前、真夜中に叫んだといいます。
「西郷もまた大抵にせんか、予今自ら赴きて之を説諭すべし」
 西郷隆盛を叱れる人物は、天下に限られています。その一人が木戸孝允でしょう。
 前年に、明治天皇が東北巡幸の際に、木戸孝允は「七言絶句」をお示ししています。私は旅行で訪問した山口県湯田温泉『松田屋ホテル』の展示コーナーで「七言絶句」を拝見したときの衝撃を忘れることはできません。
  拙作、「小五郎伝 第二十二章」の末尾に、あえて「七言絶句」を掲載し全文をご紹介させていただきました。

 本記事の表紙画像は、松田屋旅館の展示ケースです。私は「七言絶句」を夢中になってホテルのパンフレットの裏に、書き写したものです。
 明治六年に征韓論の対立により西郷隆盛などは下野し、木戸孝允が「七言絶句」を書いたのは明治9年です。
 国内の不平武士を中心にした反乱の不穏な状況下、木戸孝允はひたすら平穏な暮らしを守るため、体調不良な中、心身を削るような努力をしていた頃でしょう。
 木戸孝允は、本当は軍司令官としても、有能な人物だったと思います。ただ、木戸孝允は戦を避けることを第一に考え続ける人物でした。
 武人というより平和を追求した政治家です。
 その価値観は、書物からではなく、多感な幼少期からの様々な体験により培われたものと思えるのです。
 松田屋ホテルの展示ケースには、西郷隆盛の文書もありました。
 楠木正成を称える文書で、やはり武人だなと印象付けられたものです。「七言絶句」の木戸文書とは対照的であると思いました。

 というわけで、松田屋旅館の展示ケースは、とても印象的でした。一度寄ってみてはいかがでしょう。
 さて、現在の世界情勢はどうでしょうか。
 いたるところで、火種から炎が吹いています。ウクライナも報道を見る限り、木戸孝允なら怒るであろうと確信した次第です。
 現代で、プーチンを叱れる人物がいるとしたら誰でしょう。
 ゴルバチョフ氏の出番ではないでしょうか。

追記ーこの記事は、「江ノ島 日暮れ時の芸術」の写真記事を作成中に思いついた次第です。 


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