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甲子園に怪物初登場!江川卓をはじめて見た驚きの一日を再現する。

 江川卓が初めて甲子園に登場した日、私はバイクの免許を取りたくて、教習所に通っていました。
 昼のことでした。
 教習が終わった帰り道。通りには誰もいませんでした。車もほとんどなく町は静かでした。
 私の耳に、隣の生け垣から、甲子園の実況中継が聞こえてきました。
 隣の家も、その次の家も甲子園の実況中継。
 皆、テレビに釘付けなのがわかりました。
「そうだ、今日は、あの江川卓という投手の甲子園デビューじゃないか」
 私は小走りで家に走りました。
 それまで、私は江川投手の名を新聞でしか知りません。でも、新聞の記事自体が、尋常な内容ではありませんでした。
 次々とノーヒットノーラン。
 連続120イニング無失点。
 驚くべき記録の連続でした。
 江川投手の記事を書くのに、文才はいらない。他の試合と同様に、試合の記録を正確に書けば、それだけで凄い記事になってしまう。そんな選手が地方球場に登場したのです。報道機関が、地方球場から全国に、驚きの記録を発信し続けたのです。
 私は、こんな実績を上げ続けるピッチャーを、高校野球どころかプロ野球も含めて知りません
 甲子園に対する私の期待は高まるばかり。
 全国の野球ファンも、きっと同じ気持ちだったことでしょう。
 私は家に帰り付き、居間で、すぐにテレビを点けました。
 画面は、試合の途中場面でした。
 江川投手がマウンドにいました。
 体つきも投球フォームも、桁外れでした。
 足が長いのに、お尻がバカでかい。下半身の発達が凄いのなんの。身長は186センチ。
 元水泳部出身の私としては、見たことがない体形です。水泳選手の腰は引き締まって、むしろお尻は小さい印象です。下半身も鍛えられているのに、お尻はきゅっと縮まり、肩が逆三角形に張るのが特徴です。
 対して、野球部の選手は、みんなお尻がでかくなる。使い方の違いなのでしょうね。その野球部員と比較しても、江川投手の尻は、バカでっかかったです。
「サイズの合うズボンがあるのだろうか」
 私は余計なことを考えてしまいました。
 投球フォームは、左足を頭近くまで上げ、軸足である右足すらも踵も思い切り浮かしています。これ以上ないほど重心を高くします。
 ここから一気にキャッチャーに向かって、全身を落下させます。
 腕を後ろに振りかぶり畳んだままに、左足を前方の地面に着地し、後ろの右足の膝は地面をこすり、上半身がさらに倒れ、一瞬肩からボールが弾き出されます。
 大胆極まりないフォームでした。
 リリースされたボールは、バックスピンで浮き上がり、バウンドするように伸びて、加速したままキャッチャーのミットに突き刺ささりました。
 バッターは、バットを振りようもありません。
 ひたすらバントしようとします。
 それでも当たらないのです。
 江川投手のフォームは、全身でボールにタテのスピンをかけるものでした。今の投手では、真似しても、とてもコントロールがつかないであろう、極限の上下変動です。それは、地球の引力をフルに使い切ったピッチングフォームでした。 
 考えてみれば、江川投手がプロデビューしてからのフォームは、左足の振り上げは、高校時代の半分程度です。
 コントロールとシーズン通しての連投を意識して、下半身の動きを抑えたものでしょう。それでも、プロであれだけの実績を上げて、オールスターで三振を取りまくったのです。
 甲子園デビューのテレビ画面には、江川投手がプロ時代には見せることがなかった豪快なフォームが映り、三振を取り続けている姿がありました。
 アメリカの大リーガ-が、高校生に混じって登場したように、私には見えました。
 江川投手のプロとアマチュアを通しての全盛時代は「高校生の頃ではなかったか」という説があります。
 この大胆なフォームは、確かに『高校全盛説』の根拠になりそうでした。
 テレビ画面の中で、次つぎと三振を奪っていく江川投手に対して、バッターは委縮して、なんとかボールをバットに当てるだけ。
 バントかチョンと短く持ったバットを出すだけが精一杯のよう見えました。
 バッターは、皆高校生としては一流選手です。地方大会で活躍して勝ち抜いてきた素晴らしい選手たちなのです。でも、はじめて見た大投手に、委縮しているように見えました。気の毒なくらいでした。
 結局、江川投手は、確か18奪三振を奪って、デビューの試合を終えたと記憶しています。ただ、母校である作新学園自体は、攻撃力は弱かったように思います。なかなか点を取るのに苦労していました。逆に言えば、対戦相手の高校は、一流であった証拠でもあります。
 江川投手にぶつかったのが、不運だったのです。
 でも、一生に出会うことにない歴史的な投手とバッターボックスで対戦したのは、きっと一生の思い出になったのではないでしょうか。
 高校時代の江川投手のフォームを、その後の甲子園に出場した名投手と比較すると、顕著な違いがありれます。
 代表的なのは松坂投手でしょう。
 松坂投手は、体の上下動を抑えて、水平に踏み出すだけです。
 柔らかく強靭な筋力を生かして、全身をねじってはねじり戻して、力を解放する。剛速球とコントロールを両立した理にかなった無駄のないフォームでした。
 野球で大切なのは、まずはピッチャーのコントロールです。
 江川投手の重心を極限まで上下動するフォームは、練習しても真似できるものではありません。これでコントロールが乱れないのですから、下半身の安定感は抜群です。
 江川投手のストレートとカーブで、バッターはきりきり舞いでした。
 これは、もう素質ですね。
 江川投手はこのフォームで、延長戦を投げ抜いてしまうのですから。
 江川投手と高校生時代に対戦した選手で、広島東洋カープで活躍したキャッチャーがいます。
 オールスターに出た時のこと。同じく選出された太陽ホエールズのエース遠藤投手が尋ねました。
「高校時代の江川投手のストレートと僕のストレートを比較したら、どう?」
「ぜんぜん」
 遠藤投手だって、150キロ台のストレートを投げるプロ野球の本格派投手です。
 江川投手の高校時代の凄さが伝わってくるエピソードではないでしょうか。それでも、江川投手は、甲子園では優勝できなかったのですから、各チームの江川対策は大変なものだったわけです。
 江川投手の出現が、高校野球全体の水準を上げたことでしょう。
『甲子園に魔物はいなかったけど、怪物はいた』
 テレビは、高校野球の新しい歴史の開幕を、全国に伝えてくれのです。

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