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自分がわかりません

子供たち(30歳から40歳の人を含む) のセッションをしていて、
最近よく聞く言葉は

好きな人はいません
好きな事はありません
好きなものも特にありません
特にしたいこともありません・・・

あらら。なんでそんなことになっちゃったんだろう。

最初は私に言うのが嫌で言わないのかなあ?と思っていたら
本当に何もないので、困ってるっていうことらしい。

「自分がわからない」

みんな真面目に生きてきて
中身が何もないことに気がついちゃったらしい。

最初はコロナのせいですかと聞いていたけど
どうやら、コロナのせいではないらしい。

社会の全体の風潮がそんなふうになっているのかなと言うふうに思って、
なぜそんなことが起こるんだろう?と思っていたら、
もしかしてこれかもしれないと思ったことがある。

コンビニ やスーパー やドラッグストア!!

私が子供の頃にはパンはパン屋さんに行って、野菜は八百屋さんに行っていた。ビールは酒屋さんに買いに行くし、タバコはタバコ屋さんに 買いに行っていた。今はどうだろう?
すべてのものが1つのところで揃う場所がたくさんある。
という事は、大した区別がなくなったと言うことだし、
例えば、八百屋さんになりたいと思うのは
難しくなってきたということなのだ。
コンビニを経営したいとか、スーパーで働きたいみたいな感じになって、
結局給料をもらうために働いていると言うような結果になってしまう。

なんだか虚しいなぁ。
私は日ごろから、お金を稼ぐことを目的にして働いてしまうと
最後は虚無になっちゃうよ
。と言っている。

困っている人たちに、私が言うのは
ぜひ本を読んでください! と言うことだ。

本を読んでいる人はこんなことを言わない。
もちろん、こんなノートを読んでいる人たちも、
自分は何なんだろう?とちょっとは考えるかもしれないけど、
虚無とは程遠い存在なんだろうなぁ。

何かを考えるには、そのための材料が必要なので
その材料はほとんど本(文字)からしか得られない。

そして、何の本を読んだらいいですかと言う質問をされるので
例えば、最近見直されている森信三 さんの
修身教授録を読んでみてください。 と言っても、大抵の場合は
本を開いた途端、絶望する感じだ(笑)

慣れてないものは読めないし、お勧めの本と言われても、あなたが好きかどうかわからないから、とにかく本屋さんに行ってみようよ。

私は図書館派ではないので、自分の本は全部購入してから読む。
子供たちが小さい時から、焼き鳥屋さんに行ったら、
その帰りは 隣にある本屋さんに行こうということにしていた。

本屋さんに行ったら、好きな本を好きなだけレジのところまで持ってきて良いと言うルールなので、子供たちはみんなそれぞれ自分の好きな本を何冊も持ってレジのところまで来ていた。
何の本を買ったかは私は知らないし、
何を読みなさいと指示するわけでもないけれど、
本屋さんに 行くのが抵抗なくなっていると言うのは確かだと思うし、
今に至るまでみんな時々本を読んでいる様子。

この習慣があるかないかが大きな違いなんだろうなと思う。
話し言葉が出てこないと言うのも、たいていの場合は本を読んでいないことが原因だと思うし、苦手だと思いこまされているのは気の毒だと思う。

どんなへたくそな字でも、どんなへたくそな文章でも何か書けるだろうし、書いておけばいいだけなんだけどなぁ。

喋るのが下手って言うけど、喋ってないだけだと思うけどなぁ。
そんな感じで、私は1人で喋ってこれを作っている。

今日も読んでくださってありがとう。

ちなみに、どうしても読書にはなじみがないと言う方には、私は音読して聞かせてあげることにしています。
文字が意味として取れないと言うけれど
理解している人が文字を読むと聞いている人も理解できると言う不思議な現象が起こります。なので、子供たちには読み聞かせをしてね。






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