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ばあちゃんに会いに

今年やっておきたいことの一つに「祖母に会いにいく」というのがあった。

96歳になった母方の祖母はコロナ禍真っ只中に施設に入った。
そのころはもちろん感染対策で会いにいくことはできなかった。

昨年の春からやっと面会ができるようになったのだがなかなか行けずにいた。
いや、行こうと思えば行けたのになんとなく後回しにしてしまっていたのだ。

いつから会っていなかったのだろう。
今8歳の次男はかろうじて祖母のことを覚えていた。
おそらく5年近くは顔を見ていなかったのだと思う。

祖母のことは「ばあちゃん」と呼んでいる。
母は「ばあさん」と呼んでいて、思い出すとなんだか懐かしくて笑ってしまう。
40代後半で亡くなった母は今のわたしよりずっと若い頃から祖母のことをそう呼んでいたのだ。
祖母は髪に強いパーマをあて、ガラガラ声で気が強くて、手はわたしの記憶ではずっとしわしわだった。
農業をしていたからだろう。
その佇まいは「おばあちゃん」よりもやはり「ばあさん」っぽかったと言ったら祖母に失礼だろうか。
本人は全く気にしていない様子だったけれど。

今では完全にアウトだが、わたしはよく祖母に「女のくせに」と言われた。
その言葉が大嫌いで、そう言われると睨み返していた。

それ以外は好きだった。
祖母は干渉してこない人だった。
さっぱりしていて基本放っておいてくれる。
孫にさほど興味がなく、逆にそれが心地よかった。
何よりわたしが祖母の家に遊びに行くと大好物のお刺身と炊き立てのご飯を用意してくれた。
祖母はお米も作っていて、ほかほかの白米は最高においしかった。

分かりやすく優しい人ではなかったけれど、距離感がちょうどよかった。
わたしは祖母のことが、どちらかと言えば好きだった。

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先月祖母に会った。
子供達も連れて行った。

車椅子の祖母の横顔を、たくさんいるお年寄りの中からすぐに見つけることができた。
近づき目が合っても祖母はわたしが誰かわからない様子だった。
マスクを外してみるとやっとわかってくれた。
しわしわの顔で、にしゃっと笑ってくれた。
声は昔以上にガラガラになっていた。
わたしと子供達、3人の顔を順番に眺め「ひさしぶりやな」「こんなに大きくなって」とうれしそうな表情を見せてくれた。

その後少し話をした。
耳がかなり遠くなっているようだった。
わたしの声はほどんど聞こえていないように感じたので一生懸命ジェスチャーをまじえながら話した。
でも会話の内容なんてきっとどうでもいいのだ。
会いにきてくれたことがうれしいのだろうということが表情からしっかりと伝わってきた。

帰る前、祖母は子供達にお菓子と折り鶴をくれた。
今はもう壊されてしまった祖母の古い家にもよくあったお菓子。
しるこサンドってそんなに好きじゃなかったけど今はおいしさが分かるようになったよ。
子供達になにかあげたいと思ってくれた、その気持ちがうれしかった。

帰り際わたしは祖母のしわしわの手を握ってみた。
口を大きく動かして「またくるよ」と言った。
ちゃんと伝わっただろうか。

施設の外に出る。
解放されたかのように饒舌になる子供達。
彼らも緊張していたのだろう。
そとはもやっとした青空。
春だなあと感じたことが妙に印象深く残っている。
またこようと思った。

祖母がくれたお菓子と折り鶴





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