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電車でツナマヨおにぎり+ビールという希望

ふらりと出かけるのが好きだった。
思いつきで電車に乗り街まで、あるいは海や山へ。

まだ子どもがいなかった10年以上前のこと。
電車の中、となりにいるのは親友。
彼女とは小学生の頃からの付き合いになる。

子どもの頃から仲が良かったわけではない。
本格的に仲良くなったのは成人式で再会してからで。
お酒を飲みに行こうと誘われ、そこでやっと意気投合、親友そして大好きな呑み友達となった。

朝、電車に乗る前に駅のコンビニでおにぎりとビールを買う。
おにぎりは一個は迷わずツナマヨを。
もう一個はそれぞれお好みで。

電車が動き出す。
少しずつ遠ざかる見慣れた風景。
大きな川を渡りそのあたりで缶ビールのプルタブを上げる。
ツナマヨおにぎりのフィルムをくるくると剥がす。
小さな声で「かんぱい」と缶を少しだけ上に持ち上げる。
至福のひとときの始まりだ。

ツナマヨおにぎりとビールはとても合う。
コンビニおにぎり特有のご飯の塩味とツナマヨのまろやかな旨味、パリッとした海苔の香り。
それらが喉を通っていったあとに、キリッと冷たいビールの爽やかな苦味。
まろやかさのあとの刺激がたまらない。
親友と二人、「はーー、おいしい!」と声を出さずにいられない。

そんな時の彼女はとても幸せそうな顔をしていたし、きっと私も鏡にうつしたように同じような顔をしていたはずだ。
旅、電車、朝からビール。
なにもかもが少し非日常的で、若い私達はそれを必要としていた。
束の間の現実逃避に支えられていた。

たとえばちょっと心が弱っていて。
そんな時お酒に助けられたり、楽しく過ごせたりした記憶が重なり、染み付き、いつの間にかお酒がその人の一部になってしまう感覚。
それがいわゆる「酒呑み」ができるまでの工程ではないかと思う。
それはなんだか恋にも似ている。

私も彼女ももれなく「酒呑み」になった。



本を読んだ。

原田ひ香さんの「ランチ酒」。

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「見守り屋」として夜働く主人公は朝仕事を終え、おいしいランチを食べながらお酒を飲むことを楽しみにしている。
彼女は家族に関する悩みを抱えていて。

武蔵小山、中目黒、丸の内…
15の街の様々なランチとお酒、そして仕事と家族のエピソード。
食事シーンの描写がとにかくめちゃくちゃ美味しそう!
そのおいしいものを食べお酒を飲む幸せと、見守りを頼む人々や主人公の孤独が対象的で引き込まれた。

ああ、おいしい食べ物ってなんて素敵なんだろう。なんて、人の気持ちを和ませるのだろう。
私たちはだめな人間だし、これまでも、これからもきっと間違いを犯す。だけど、今日はまあまあうまくいった。それで良いのではないだろうか。

この本の中で特に印象的だった文章だ。

おいしいものは私たちを支えてくれる。
そしてダメな自分も「まあいいじゃないか、そんなこともあるよ、ご飯もお酒もおいしく感じられるならそれでいい」とゆるされるような気持ちになる。

きっと、おいしいと感じられるうちは大丈夫なのだ。



電車でツナマヨおにぎりとビール、そして親友のこと。
あれから月日が流れ、私たちはそれぞれ母親になった。
彼女は今年の夏、二人目の赤ちゃんを迎える。

仕事、恋愛、コンプレックス、様々なことに揺れていた若い時代は過ぎ去っていった。
小さな現実逃避も必要なくなった。

ただ電車には乗りたいし、朝にツナマヨおにぎりでビールは飲みたい。
単純においしくて楽しいからだ。
もちろん彼女と共に。

コロナだったり、お互い家族や子どもの存在もあり昔のようにふらりとは出かけられなくなった。

だから今後の楽しみにしよう。
数年経って彼女の子ども達がもう少し大きくなったら。
夫も子ども達も巻き込んで電車に乗り込み出かけるのだ。
もちろん、私と親友はコンビニでツナマヨおにぎりとビールを買う。
お母さん朝からビール飲むの?なんて子ども達に笑われながら。

そんな想像の中の風景は私の希望になる。







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