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#1 「目立つ」と「浮く」は案外違う

簡単に自己紹介「鈍感的感覚派」とは?

こんにちは。
鈍感なのに感覚を言語化するオタクのゆかたろうです。

「鈍感的感覚派」とはなんぞや?
ってとこ、最初に自己紹介兼ねて書きたいと思います。

わたし自身の性質なのですが、
感覚派というか、感覚優位の性質でありながら、
「ガチ感覚優位、感覚だけで高いレベルまで行けてしまう!」
という、いわゆる「感覚派」の人の中にいると、
割とついていけなくなるタイプです(笑)
と言って、思考優位な人や、論理的な人の中に混ざると
それはそれでついていけないのです。
感覚的な、言葉にならない部分を置き去りにすると、
心が呼吸困難に陥る、わがままボディ(笑)

他人と比較して優劣を論じるのは本末転倒ですが、
他者との比較でしか、他者との差異が見つからず
他者との差異でしか、自己認識できないというのも事実だなと(笑)
なので、比較して自分を観察して分析してみた結果

「ある程度鈍感だけど感覚派」

というのが、冷静な自分なりの自己認識です(笑)

感覚も論理性も、どちらかだけを取ると
「帯に短し、たすきに長し」のすこぶる中途半端なデザイン。
しかしそれが故に、「感覚を言語化して伝えていく」ことを
知らず知らず、世の荒波に揉まれながら見出してきたようで(笑)
それがとある時に、妙に喜ばれたことがあって、
自分のデザインとして、ありがたく受け取れたきっかけになりました。

いくつか、マガジンを書いておりますが
もう少し範囲広め、自由度高め、オタク度強め(笑)
そんな風に書きたいなと思い、新たなシリーズを初めてみました。
わけで、本編です。

「目立つ」と「浮く」は案外違う

「着物で電車に乗ったり、街を歩いたりして浮きませんか?」

と、尋かれて、びっくりしたことがある。

…思ってもみなかったから(笑)

※最近、毎週意味なく「着物を着る日」を設けております。
「着付けは運動!」「技術は継続!」をモットーに
着付けを忘れないために、
そしていただいた着物をタンスの肥やしで終わらさず、
何より自分自身の楽しみのためにです。
その記録は、こちらのマガジンで不定期更新中↓。

確かに。
着物で電車に乗ったり、
駅や街中を歩いている人は、
多数派ではない。

しかし、曜日や時間帯によっては、
ポツポツ見かける。

わたしも、「あ、着物だな」とは思う。
しかし「違和感」は感じない。
多くもないが、珍しくもない。

だから「浮いてる」とは、
感じたことさえなかった。

でも言われてみれば、何故だろう?

…日本人だから?
たぶん、コレ正解(笑)

でも他にもある気がする。

なんだろう?
そんなことを考えながら駅のホームに佇んでいると。

ものすごい寒そうな、
少女風ミニスカートファッションを見かけ、
思わず目を惹かれた。

足元はストラップのヒールサンダル。
タイツは薄手。
ミニ丈の膝上10センチ以上に見えるミニスカート。
思いの外、背が高くから、
出てる足の面積が余計に長い。
ダウンもコートも着ていない。

え!?寒くないのかな?と思って見上げた瞬間、

ハッとした。

…殿方だ。
…そして、中年だ(おそらく)。

確証は無いけど、体格が直線的。

※ここからは、この方が「女装」だと仮定して脳内が回転してます。

女装を悪いなどとは、全然思わない。
ファッションは自由な自己表現であるべき。
堂々と表現する姿勢に敬意を感じる。

しかし、よりによって妙なタイミングだったから、
「伝統的な着物姿のご婦人より、
現代的な女装の中年男性の方が、
インパクトが大きいけどな、、、」
と、思ってしまった。

「目立つ」と、「浮く」の、境界線。
その一つの要素に、

「ギャップ」と「違和感」
これがある…かもしれない…と思った次第。

寒い日に、コートもダウンも無く
ミニスカートとサンダル、という季節的「違和感」。
中年男性の少女風の出立ち、という性別的「ギャップ」。

着物は少数派だけど、
この「違和感」と「ギャップ」は無いよなあ、と。

夏なら夏の色と涼しげな質感のものを着る。
そもそも身体を覆う面積が大きい衣服だから、
体型の凹凸が出にくい。
もし女装したとして、
性別の違いも洋服よりは分かりにくい気がする。

「違和感」に関しては、「無言のセリフ」が醸し出されて
身に纏われてることもある。
男性の女装って、大袈裟に言えば「迫害に対する戦い」みたいなところがある気がする。
人によるから、全員では無いけど。
「無言でも着ること自体が、強いメッセージ性」となることは多い。
ファッションが自己表現というのは、こういう側面がであるからこそ。
わたしが見かけた方が、戦いの最中なのかはわからなかったけど、
そういう「心の真ん中にあるもの」って、
ちゃんと染み出して、身に纏われるんだと思う。
そうした「強いメッセージ性」は、駅やホームとか、
不特定多数の人がいる混雑した空間では、
返って「際立つ空気感」になるんじゃないだろうか。

この辺の「戦いの側面」は、
着物に関しては、程遠い感じがある。
完全に保証された伝統と市民権がある感じ。
着物は「保守的なるもの」の代表格。
そこへいくと、女装は「革新的なるもの」の代表の一角をなすだろう。

着物の女性と、女装の男性。
いろんな意味で、対照的でありつつ、
「少数派」という共通点のある事例。
ぼんやり考えていたことに、こんなに興味深い事例が、
目の前に与えられたことに、こっそり感謝した。

ま、ぶっちゃけ、浮いてても着ちゃうけどね、着物(笑)

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